銭湯「ゆープラザ」と商店街のような一角。ヨグール看板がレア? -若宮⑴

前回の北藤商店街から、中山競馬場、さらに市川若宮方面へ進むと、昔ながらの銭湯の煙突がみえてくる。
銭湯ゆープラザとその周辺の個人商店の建物が味わい深かった。
中山競馬場
千葉県船橋市にある競馬場「中山競馬場」は、日本の4台競馬主場とされている。
中山競馬場の歴史を調べてみると、かなり興味深かった。
明治40年(1907)に千葉県の松戸市につくられた「松戸競馬場」が前々身だそうだ。
昭和初期には、千葉県における観光事業の一つで、観光地図にも含まれるほど。今度は中山競馬場にもっと注目した記事も書いてみようかな~

近くには、けやき公苑という場所もあった。

中山競馬場の西側を沿って、市川市若宮方面へ。
表の通りと比べて、かなり静かで誰も歩いていない。そば屋っぽい建物があるが、この辺りもお店が並んでいたのだろうか。

銭湯ゆープラザ
しばらく歩いて、西方面を見ると、黒い煙突が見える。地図を見なくても、煙突に向かって歩いていこう。

銭湯に到着。閑静な住宅街の中にポツンと…口コミが64件もあるところを見ると、多くの人に親しまれる銭湯なんだな~

「ゆープラザ」。今どきな銭湯名だ。ネオン看板は夜になると綺麗。

ホームページに、エステティック・セント―と書いてあるのが気になる。
ゆープラザでは、”美と健康”を考えた湯をご用意しております。
また、露天風呂、リフレッシュバス、エレキマッサージ、サウナ、遠赤外線サウナなど、
心身ともに美しくなる設備をご用意しております。なお、ゆープラザにはルビー湯とパール湯の2つの湯がございます。
お風呂を2倍楽しんでいただけるように、2つの湯を男女交代の日替り制で楽しめることも大きな特徴です。
思っていたよりも、充実した銭湯!人気な理由がわかる気がする。入ってみたい。
そして、壁には古そうな壁画が飾られていた。

建物は新しそうだが、昔の建物の名残だろうか?

昭和21年(1946)創業。煙突がとても立派だ。

煙突を眺めていたら「力湯」と文字が見えてきた。昔の屋号だろうか?調べてもよくわからなかった。

公園まわりの商店街の雰囲気
銭湯から少し歩いたところにある、「若宮児童公園」を通って、京成中山駅を目指す。

公園の周り、囲むように商店が並んでいることに気づいた。商店街とまではいかないが、クリーニング屋、郵便局など古そうだ。

2009年のストリートビューでは、電気屋、米屋といった商店の建物があった。現在は取り壊されているところもある。
角には社宅の建物が並んでいる。社宅が近いからお店が多かったのかも。

雪印牛乳と「ヨグール」
今度は雪印牛乳の店舗が。マークもあって、目立つ建物だ。


雪印ファミリア牛乳の看板。消えかかっているが…

今は営業していないのかな…

ヨグール…初めて聞いた。

Twitterでヨグールの写真を出すと、反響が大きかった。
1969年発売の果物の果肉入りヨーグルトのことらしい。調べると色々な広告が出てくる。今は無いが、ヨーグルトじゃなくてヨグールって呼ばれていたことが新鮮だ。
電気屋、病院…
パナソニックの店舗跡もあった。通りに沿ってお店があったのかな~

屋根の跡が残る建物。2009年のストリートビューでは、右がクリーニング屋、左が「ぎょうざさんぽう」。ぎょうざさんぽうは、こんな住宅街にも出店していたのか…

向かい側にも店舗跡。こちらはわからなかった。しかし、商店街らしき賑わいがあったのではと窺える。

次は「若栄会」。隣接する商店街で、アーチ街灯が迎える。
次の商店街は、今回の記事のつづきの商店街のようだ。メインストリートは比にならないくらい大きな商店街が残っている。
(訪問日:2020年12月)
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内容を拝見し、昭和40年代を思い出しながらストリートビューも交えてコメントします。
まず、中山競馬場の「門?」とある門柱ですが、昭和の終盤まで正門にあった門柱が右側の2本だけ移築されたものです。正門にあったころは、左から低、高、高、低と4本の門柱があり、開閉フェンスが付けられていました。右手には、石造りの入場券窓口がありました。
続く「けやき公苑」や、南側の現在の中央門は、昭和53年に美浦トレーニングセンターの開場・移転までは、厩舎エリアの一角でした。最近知ったのですが、戦前の競馬場開設時に貝塚の上に厩舎エリアが造成されたらしく、厩舎の美浦トレーニングセンター移転後に発掘調査が行われ、その後に「けやき公苑」として整備されたようです。
「けやき公苑」から若宮方面へのコースは、まさに、若宮のコメントであった、「おけら街道」を歩かれたようです。元々競馬の開催日以外は人通りも少なく、開催日にはちょうど歩かれた場所に焼きイカや焼きトウモロコシの屋台がありました。その先のそば屋「尾張屋」のあった場所までですが、ここまでは店は2件だけで、おっしゃるような形で商店が並んではいませんでした。現在の「けやき公苑」から300メートルほど歩くと、右側にタバコや牛乳、アイスなどを商っていた「小島商店」(自販機だけ残っていたが、数年前に自販機も撤去)があり、そこから200メートルくらい先がそば屋でしたが、そのすぐ手前に商店街に移転する前の酒店「みどりや」があり、夕刻や競馬開催日は店内の立ち飲みもありました。そば屋の先の左側に小さな洋品店があり、右手に豆腐屋、さらに先にラーメン店(町中華)や自転車店、その先には日用品、和菓子、焼き鳥、「若宮美容室」がありました。
銭湯「ゆープラザ」へはどこを右折されたのか分からないのですが、そば屋の前だと、しばらく行くと往年の名騎手・調教師の野平雄二の大邸宅がありました(今は跡形もなくなっています)。このあたりから左に向かうと、「ゆープラザ」、当時の「力湯」です。当時は周辺に北藤で触れた「東湯」、若宮商店街の南端の「岡野精肉店」裏にあった銭湯(2002年の地図に記載)、「岡野精肉店」先の山口パン(コンコルド)の角を右に曲がって木下街道にぶつかる場所にあった銭湯「松の湯」、ここと4件あった銭湯の最後の1件です。競馬場近在の時代は内風呂がなくて銭湯の世話になっており、「東湯」休業日には「力湯」に行くことがありました。
「若宮児童公園」の周辺ですが、昭和40年代は駄菓子屋しか記憶にありません。雪印牛乳屋さんはあったと思いますが、牛乳を買ったなどの記憶がありません。社宅(確か大同特殊鋼?)は昭和47年ごろに建ったと記憶しています。電気屋、クリーニング、餃子は恐らく昭和終盤から平成にかけてかな?
なお、当時の郵便局は商店街の「かどや」と「三宅商店」の間を入ったところにありました。公園の方から木下街道の若宮小学校の方へ向かうと、当時自宅で米やプロパンガスを取っていた「飯田米穀」がありましたが、10年位前に閉店したようです(2015年4月時点ではまだ店内に照明がついていたが、シャッターをずいぶん下ろして業務を縮小?)。この店の記憶で、いまだにプロパンガスは米屋(若宮だと三宅商店。栗原米店はガスはなかったと思う)が手掛けているイメージが抜けません(笑)。向かいの日赤の災害物資の備蓄庫の場所は、小さな木造の日赤診療所がありました。昔のクリニックなので、クレゾールのにおいがきつかったのを覚えています。
反対側の商店街に向かう方向には米屋や八百屋(ともに名前は覚えていない)があった記憶があります。小学校の前は文具屋が越商店・宇田川商店と2件並び、その右側は石川寝具店でした。さらに先に行ったところに、前述した銭湯「松の湯」がありました。どうやらコロナのあおりで?閉店したようです。