我孫子駅「弥生軒」。昭和3年創業、山下清が働いて居た
偶然、立ち寄ったホームにあった弥生軒が、山下清が働いていた歴史あるお店だと知りびっくり!
知っている人も多いのかもしれないけれど、記事に記録しておこうと思う。
我孫子駅のホームにある「弥生軒 6号店」
千葉県我孫子市本町2丁目1 我孫子駅1・2番ホーム内柏方にある立ち食いそば屋の「弥生軒 6号店」。我孫子駅のホームに3店舗構えており、最も古いお店で昭和3年(1928)創業らしい。老舗店だ。
今回私は、乗り換えで偶然このホームに立ち寄り、次の電車まで時間があったので弥生軒が目に留まったのだった。
ボリューミーな「唐揚げそば」が我孫子の名物と書いてあって、美味しそうだなと思っていたら、看板に山下清が働いていたと書いてあり驚いた。
そんなに詳しいわけではないが、名前は聞いたことがある。
「ぼ、ぼくは、お、おむすびが、好きなんだな!」で有名な「裸の大将放浪記」。2007年頃に塚地武雄で復活した「裸の大将~放浪の虫が動き出したので~」で、おむすびが好きな男性というのが印象に残っていた。
全国的にも有名な人なので、千葉県の我孫子で働いていたというのが驚きでしかない。千葉県にゆかりのある方なのだろうか?調べてみることに。
山下清画伯が働いていたという弥生軒
看板に丁寧に説明があるのでわかりやすい。
山下清画伯は若い頃5年間弥生軒で働いて居ました。この絵は昭和35年3月に山下清画伯が昭和15年当時の我孫子駅付近を想い出して弥生軒の為に描いてくれた風景画です。
山下清画伯が描いてくれた大切なこの絵を包装紙にして弥生軒は以前我孫子駅で駅弁を販売して居りました。
山下清画伯が働いて居たのは、昭和17年(1942)から5年間、住み込みで働いていたらしい。
弥生軒の駐車場や応接間で撮影された本人の写真も残っているのが凄い。
「弥生軒はぼくが働いていたお店です」
なんだか素敵なメッセージ…心が温まるなあ。
弥生軒は、昭和3年(1928)に駅弁屋として開業。その駅弁屋時代に山下清氏が働いていた。
今と違って駅弁の需要が高かった時代…
その後、山下清氏が有名になってから、本人に連絡を取って駅弁の包装紙用に絵を描いてもらったのが展示されているもの。絵は四季の4種類描いてもらう予定だったが、「冬」を描く前に他界してしまったという。
立ち食いそば屋になったのは、昭和42年(1967)。我孫子駅の弁当販売は1983年頃に終了。山下清画伯の包装紙のお弁当、見てみたかったな~
平成21年(2009)に復刻販売されたようで、「駅弁資料館」というサイトに写真が残っていた。
その後、「裸の大将」の映画をYouTube動画で観たが、映画の途中で木下駅の弥生軒で働く姿が映っていた。駅弁を売っている人を実際に見たことが無いので、電車の待ち時間に駅弁を売ることは山下清でなくとも大変な仕事だろうなと感じた。映画自体も、心に刺さる良い映画だったので同年代の友達に勧めることにした。機会を見て、シリーズを全部観てみたい。(寅さんシリーズは冬休みに全話観たので…)
弥生軒(天王台店)で唐揚げそば!
後日、弥生軒で母とランチをしました。
名物の唐揚げそば、440円!2個付きで600円だなんて安いなあ。積み重ねられた唐揚げの量も圧巻。
そして初めての唐揚げそば!皆さんが美味しいと言っていたので気になっていました。確かに美味しい!
でも唐揚げ1個入りのはずなのに、手よりも大きな唐揚げのサイズに胃も衝撃を受けました…
そして、2022年3月6日から原材料高騰のため価格が改定に。唐揚げそば(1個)が470円と30円の値上がりになりました!
我孫子弥生軒 のれん分け
また、「我孫子弥生軒」という弥生軒の暖簾分けの店舗も存在した。新京成電鉄の松戸市、「五香駅」前や習志野市の津田沼「新津田沼駅」のホームにあった。
五香駅店は2016年2月開店、2017年7月に閉店。新津田沼駅店は2016年9月開店、2019年8月に閉店したという。最近見たような記憶があったのだが、いつの間にか閉店していた…
(訪問日:2021年5月)
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山下画伯…子供の頃「裸の大将放浪記」は欠かさず見ていました。
おにぎりを美味しそうに頬張る姿はほのぼのしましたね。
最近はこういったドラマ、なくなりましたね…。