【船橋】廃墟旅館「妙泉」。樹林におおわれた船橋の住宅街に眠る和洋風の旅館

【船橋】廃墟旅館「妙泉」。樹林におおわれた船橋の住宅街に眠る和洋風の旅館

旅館…それは観光地だけではなく、思いがけない住宅地に存在することがある。

千葉県船橋市。JR総武線や京成線が通る船橋駅は、東京からもアクセスがしやすい街だ。そして花街としての歴史がある西側の海神新地とは反対側、閑静な住宅街には廃墟旅館が眠っている。

 

鬱蒼とした樹林に囲まれた謎の船橋の廃墟旅館。ここは一体どのような場所だったのだろうか…。

 

船橋の住宅街に眠る廃墟旅館

妙泉のある樹林

船橋駅から東側。海老川に近い住宅街に廃墟旅館はある。

特に特徴もない住宅街であるため、辿り着くのは少し手間取るかもしれない。着物販売店「つるや伊藤」を目指し歩き、その場所から北東に森のような鬱蒼とした樹林が見えたら近いだろう。

 

坂を下ると、少し土地が低くなっているのがわかる。

 

坂を下る

 

鬱蒼とした茂みから、木製の玄関が現れる。
船橋とは思えないほど、昭和感が溢れる景色だ…

看板の色は落ちてしまっているが、「旅館 妙泉」の文字がはっきりと確認できる。

旅館の玄関

旅館の傍にある通りは、車はもちろん、人でも数人しか通れない道幅だ。しかし、旅館の反対側には新築の一軒家が広がっており、廃墟旅館だけが時代に取り残されているようだ。

妙泉の洋館風な建物

廃墟旅館は玄関口が樹林に覆われているが、道に沿って進むと他の建物が少し見える。

横から見た廃墟旅館

洋館?とまでは言わないが、洋風なつくりの白い建物と、ザ・和風な平屋が見える。

宿泊はどの建物が使われていたのだろうか。色々な想像が巡る。

妙泉の看板は、玄関口だけではなく、敷地の角にも設置されている。

比較的新しい看板

こちらは、さきほどの看板と比べると年季も入っておらず、新しく見える。赤と黒の文字が全くかすれていない。

比較的新しい看板の状態を見ると、最近まで営業していたのだろうか…?謎が深まる。

 

裏手に回ると、扉のない入り口があった。こちらはどうやら人の出入りがあるような雰囲気。
現在は住宅として利用されているのかもしれない。

 

船橋の廃墟旅館「妙泉」の他にも

妙泉の近く、南側にも同様の旅館「三日月旅館」があったようだ。現在は、新しい建物が建っているが…

 

このように住宅街に眠る旅館は、どのような目的で利用されていたのだろうか。

かつて宿場町であった成田街道は近いが、船橋駅からはだいぶ遠い立地である。そして旅館にしては部屋数も少なそうだ。連れ込み旅館?ビジネスホテル?

 

…謎が深まる廃墟旅館が気になって仕方がない。

 

追記:船橋の住宅地図と照らし合わせて

とても気になる旅館妙泉。船橋の住宅地図を手に入れたので、後日照らし合わせてみた。緑色が現存する場所、黄色は現存しない場所、赤色は旅館妙泉だ。

船橋駅周辺の住宅地図

昭和30年の住宅地図
昭和38年の住宅地図
昭和61年の住宅地図

住宅地図を基に、現在の地形に当時あった建物を書き込んでみたイラスト地図と住宅地図↓

昭和30年の住宅地図を基に、イラスト地図を作成

紫色の文字で書かれている場所は現存しない場所。

住宅地図から読みとく

廃墟旅館「妙泉」

住宅地図を見ると、旅館妙泉だった場所は「小田原質店」だったことがわかる。昭和61年になると、小田原質店の隣に旅館妙泉が出現。現在は小田原質店の場所も旅館妙泉になっている。昭和38年の住宅地図では「如泉」と書かれているが、恐らく誤字だろう。手描きの住宅地図ではよく誤りが見られる。

旅館妙泉の周辺を見ると、銭湯らしき「海老の湯」がある。昭和61年には規模が拡大しているが、現在は住宅に。しかし、海老の湯という名前はコインランドリーとして残っているのは興味深い。

旧船橋市市役所

さらに南には、現在公園になっている場所に移転する前の「船橋市市役所」があった。そして、「法務出張所」や「登記所」の姿もあるが、昭和61年の地図では変わっている。昭和57年に新しい市役所の建物が完成し、その後はモータープール、児童遊園へと生まれ変わった。…モータープールという言葉に馴染みが無さ過ぎて、プールかと思ってしまった。駐車場のことを指しているのね。

旧船橋市市役所の写真(船橋氏郷土資料館)

旅館三日月、船橋にあった他の旅館

旅館三日月」は確かに現存した。昭和38年の住宅地図では、旅館妙泉の近くだけでなく、反対側の通りにも旅館三日月がある。二店舗経営していたのか…しかし、昭和61年には空き地となっているのが時代の移り変わりを感じる。

さらに、旅館近江、あずまや、菊水、緑園…と数多くの旅館があったことがわかる。赤線廃止の昭和33年を機に、海神新地から新しくこの場所で旅館業を始めた人もいたのかもしれない。タイミング的にピッタリだ。

 

昭和34年の本町通り(船橋郷土資料館)

市役所の近くという立地から、旅館に宿泊する人も多かったのだろう。そして、質屋も利用する人が多かったはずだ。海神新地にあった赤線が、昭和33年の売春禁止法により、その歴史に幕を閉じ、この場所で新たに旅館として転業した方もいたのではないかとの話もある。

旅館妙泉がどのタイミングで規模が拡大したのかはまだわからないが、看板の新しさを見ると、つい最近まで営業していたかのように思える。次々と周辺の旅館が閉業する中、唯一残っていたのかもしれない。

 

 

(訪問日:2020年5月)