吉祥寺「旅荘和歌水」井の頭公園に存在した連れ込み旅館の記録
吉祥寺、井の頭公園の目の前にある連れ込み旅館「旅荘和歌水」が、ついに10月から解体に…おそらく記事を公開する頃には更地になっているのではないでしょうか。
「いつか、無くなってしまったら記事にまとめよう」と思い、勇気を出して潜入してから1年。この日がやってきてしまいました。
井の頭公園傍「旅荘和歌水」
東京都武蔵野市御殿山1丁目3−3。JR中央線「吉祥寺駅」から南へ、井の頭公園の入り口付近に構える旅館「旅荘和歌水」。吉祥寺の名物と言っても過言ではないほどのインパクトがあるので、一度は見たことがある方も多いのではないでしょうか。
私も昭和の文化を調べている中で知った「連れ込み旅館」という文化が現在も残る場所を探していると、その代表格が「旅荘和歌水」だった。連れ込み旅館については後程…
しかし、終わりは突然やって来る。
2022年秋、10月3日から解体が始まった。
昭和な大人向けのホテルさえも次々と消えているのに、ホテルではなく旅館が令和の現在も残っているのは奇跡だったと思う。私もどうしても館内が気になって仕方が無かったので、勇気を出してホテル内へ…
Deepランドと言えど、特にディープなテーマなので記事にまとめるのを躊躇っていた。「いつか閉業したら、まとめようかな」と思いお蔵入りした写真たち。1年後に解禁になるとは思ってもいなかった。
旅荘和歌水は検索すると、館内の写真をまとめている方も多い。和室・洋室で1部屋ずつ意匠が異なるので、どの部屋を案内されるかによって見ることが出来る部屋が違う。消えた昭和遺産をこのブログで記録に残しておこう。
「連れ込み旅館」とは?その歴史
「連れ込み旅館」についてもまとめておきたい。
連れ込み旅館の歴史
連れ込み旅館の歴史は江戸時代に上野の不忍池の弁天島が発祥とされる「出合茶屋」…と言われているが、戦前から昭和にかけての実態が『図録性の日本史』にまとめられている。(個人的におススメの一冊!)
『図録 性の日本史 単行本(ソフトカバー) – 2018/6/25』
こちらでは「連れ込みホテル」として6pにわたって紹介されている。
戦前は待合といって、粋な静かな構えで、「商談・御休憩」に利用するという名目の逢引・密会の場所の提供業があった。客の要求によって茶菓子、酒も出したが、中には料理茶屋のように料理も出す(省略)家もあったが、要するに男女密会の場所であって…
「商談・御休憩」に利用するという名目。まだ何も知らなかった純粋無垢な頃、浅草寺の北側の旅館で「ご商談」と書いてあったのが不思議だった。今思えばこれも連れ込み旅館だったのか…
終戦後、様式化すると旅館からホテルに、泊まる部屋も個室に。
入り口は目隠しになっていて左右から入るが、館内の様子は外からは見えないつくりに。また、和歌水の場合、帰る時は出口が人目につかないように裏から出る。この配慮があるのは連れ込み旅館の特徴だろう…
現存の連れ込み旅館
2022年夏に駒込の「江戸駒」が閉業になったため、都内に残る連れ込み旅館は急速に消えつつある。
・江戸駒(2022年8月閉業)
・旅荘和歌水(2022年10月閉業)
・旅荘清井(建物は現存)
追記予定。
現在は連れ込み旅館ではないが宿として現役の旅館もある。
・台東旅館
浅草「台東旅館」。昭和23年頃創業の商人宿へ宿泊!素泊まり2千円
また、「まぼろしチャンネル」というブログの「第26回 路地裏の温泉マーク その2」で紹介されている旅館は現存するのか…
昭和の連れ込み旅館の内部へ
旅荘和歌水は、1965年創業。
玄関で靴を脱ぎ、部屋まで女性が案内してくれる。朝8~20時までサービスタイムで、5000円だった。
部屋まで案内されるというのが、なんだか新鮮。エレベーターは無いので、3階にある洋室の部屋まで、進む。途中、一人でしか通れないほどの狭い階段があった。災害があったら怖いな、と思ってしまったので防災の観点から見ても長くは無さそうだと感じていた。
案内された部屋は一番見てみたいと思っていた部屋だった。
恐らく他にお客さんがいなかった。
部屋に充満する煙草の匂い。昭和の匂いが鼻から離れない。
赤い絨毯と壁が一つの景色をつくっているかのような一体感のあるデザイン。
お目当てのお風呂。ひょうたんのような形のタイル張りの浴槽が可愛い!
浴槽の角にはウサギ。ウサギが持つ筒からお湯が出てくる仕組みのようだ。ウサギの背景には太陽と山がモチーフになったであろうタイルがあり、この浴槽も1つの風景をつくっていた。
今の時代には作れない遊び心が詰まった連れ込み旅館だった。
追記:Twitterで2022年10月末、取り壊し中の写真をいただきました。
(訪問日:2022年1月)
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ほんとうに、こういうニュースを聞くと、いかに日本が文化的に後進国かわかりますね(はっきり言って「後進」なんて言葉ではすまないです、いまの日本は「野蛮」で「文化を知らない国」に成り下がっています)。
明里さんのレポートでも、伊藤左千夫さんの茶室を遠く離れた場所に移築した話などが載っていますが、そういうことがなぜ可能だったかと言えば、むかしの建物は、釘を使わないから、分解してほかの場所に移動できたのですよね…。
そういう意味で、実は、むかし(例:江戸時代~明治時代、昭和のはじめ)のほうが【SDGs】を実践できていたのです。
いまは【SDGs】なんてコトバやバッジだけが“ひとり歩き”して、電車内でもスーツの襟に、あのドーナッツみたいなSDGsのバッジをつけている人を見かけますが、そういうふうに、ファッションとか流行として、そういうグッズやキャッチコピーとして、人々の間に流布するのは、いやなものです。
今回の「旅荘和歌水」だって、ドウシテ建物を、そんなふうに乱暴に壊してしまうのか、わたしはワケがわかりません。
賃貸アパートにしたり、フリースペースとか、あるいはオフィスにしたって面白いでしょう。そういうふうに活用すれば、必ず、人気が出たり話題になったり、目に見えない経済効果もあるはずなのに、一部のデベロッパーは「老朽化」「コスパが悪い」と、二度と作れない文化的価値のある建造物を次から次へと壊していくのです。まさに、かつて欧米人から言われた「エコノミックアニマル」そのままです。
ちなみに、今は2015年に国連サミットで採択された【SDGs】がハヤっていますが、この前…2002年には「持続可能な開発に関する世界首脳会議」で提唱されたキャッチコピーがあったの、知っていますか…、そう【ESD】ですよね。でも【ESD】も、一時的には注目されますが、1、2年すると、もう耳にしなくなりました。だから、いま何かと注目されている【SDGs】も、あと1、2年もすれば、だれも見向きもしなくなるだろうと、わたしはニラんでいます。
あぁ…、ホント、日本も外国のように古いものを活かしながら次代に伝えていくようなことを社会全体で進められないものなのか、とても残念です。このまま行ったら、あと5~10年もしたら、少なくとも首都圏には、そういう文化的に価値の高い建物は、ほとんど無くなってしまうのではないでしょうか。いやいや…本当に非常に大きな問題だと思います(悲しくて泣けてきます)。