安食・旧街道沿い「鷲町商栄会」。大鷲神社の門前町、趣深い旅館の面影 -安食⑵
安食は利根川の水運で幕末頃に栄えた街。鉄道の開通によって水運は衰退してしまったが、かつての繁栄の面影が残っている。
情報が少ない街だが、歴史ある建物やお店が多く、もっと多くの方に知っていただきたいと思った。
安食小学校付近のお店
千葉県印旛郡栄町安食。前回の記事の続きで、安食小学校の交差点からスタート。
栄町立安食小学校は、創立明治6年(1873)。

学校の入り口にある門柱が歴史を物語っている。
交差点の近くにあるお蕎麦屋「八郎治(はちろうじ)」。よく見たら、「創業明治元年」と書いてある!

明治元年、1868年…
安食が繁栄していた時期。老舗店が数多く残っているのが安食の魅力。お蕎麦がとても美味しいと口コミにも書いてあるのでいつか立ち寄ってみたい。
隣にある和菓子屋「春月堂」も同じ頃の創業。次回紹介予定。

向かい側にはくず餅屋「倉右衛門商店」。このお店も老舗。

”お鷲さま”の名で地域の人々に親しまれている大鷲神社を目指して、県道18号を北へ進む。酉の市が行われる12月には、大鷲神社へと向かう道は駅から行列ができるほど賑わうそうだ。

県道沿いは街灯が並んでおり、商店街が広がっている。

公衆電話ボックスも中身が撤去されて寂しい雰囲気。商店街としての賑わいはあまりない。

マイチャミーの看板が残っているので、このお店の名前が「マイチャミー」だったのかも。

右手にも2つ入り口のある大きな建物が残っている。元々何のお店だったのかな。


左手に見えたお店は、毛糸・手芸材料「紅屋」。

向かい側は、JCBの看板が残っているが何のお店だったのかわからない。2014年時点で既に閉店している。

そして、紅屋の裏に見える建物…

違う角度から撮影。今は個人宅なので深追いは避けたい。地域の人に話を伺ったが、自分の心の中で留めておこう。

赤い屋根と、黄緑色の板見張り。そして縦長い窓。不思議な洋風建築が眠っている。
そして少し先の右側には人形屋「東京屋」。安食なのに東京ってなんでだろうなと思った。

東京屋の向かい側が更地になっていて気になった。

2017年のストリートビュー
千葉信用金庫と古い建物が存在したようだ。
向かい側には茶葉販売店「丸古屋」。訪れた土曜日は定休日だったようだ。

山本太四郎本店の建物
県道18号、交通量が多くて歩道が狭いので撮影するときは注意。危ない。

補修されている屋根瓦…台風の影響だろうか。

この建物は、「山本太四郎本店」。グーグルマップには雑貨店と書いてある。

外から眺めると、食器や日用品などが並んでいた。

タイガージャーなど年代物の商品も多数。

安食を代表する建物。江戸時代にタイムスリップしそうな佇まいだ。お店が現役なのも素晴らしい。

建物が大きいため、全部収まりきらない。左側の緑の部分はたばこのショーケースだったと思われる。

駅から20分ほど歩くので、この辺りの建物の情報は少ない。たくさん記録に残しておこう。

また、建物の隣には大きな門。

向かい側はいくつか更地になっている場所も多かったので、昔は同じような商家建築がいくつも並んでいたのかもしれないと想像した。

竹村旅館と交差点
そして、安食交差点へ。右へ行けば、大鷲神社の参道。
ただ、残念なことに、交差点では事故が多いため道路拡幅工事が予定されているとのこと。

そのため、交差点に立っていた時計店の建物は1か月前に更地に…残っている竹村旅館も取り壊し予定と伺った。

今は車社会だし、私のように商店街を歩いている人の方が稀な存在なので、交通の邪魔になる建物は撤去されるのが当たり前。
でも、安食の歴史をずっと見守り続けていた建物が無くなってしまう。一度壊してしまったら何も残らないのに、と少し悲しくなった。
国道356号、川へ
竹村旅館と時計に挟まれた国道356号を西へ。この道も街灯がつづいている。

シルバー編物教室の看板がある建物。

外観は新しそうだなと思ったが、よく見ると、2階の窓の部分が土蔵風?上からトタン板が貼られているだけで実際は土蔵造りなのでは?と思った。

営業していない店舗。屋根がついているが、元々は何だったのかな。



2014年のストリートビューには、久月の人形を販売している「マルキン」の大きな建物が。現在は駐車場。
裏にはお葬式場があり、高齢化が進んでいることがわかる。
向かい側の小さな建物。2014年のストリートビューを見ると、「せんべい」の看板があったのでお煎餅屋さんだったのだろう。

旅人がお煎餅を購入していたのかな。
長門川に架かる、長門橋。水上交通が盛んだったころは、帆船が往来していたそうだ。現在は鉄筋の橋が架かっており、多くの人が生活道路として利用している。
川の手前で戻り、先ほどの安食交差点へ。


訪れたのが2021年6月。次に訪れた時は、旅館の建物も無くなっているのだろう。

在りし日の安食交差点の姿。写真を提供していただきました。

ギリギリ旅館だけでも撮影できて良かった。なんだか呼ばれている気がしたのだった。
追記:現在の写真
現在、2021年10月時点の写真を頂いた。


完全に更地に…ただ、左側の商店の奥に古そうな蔵が見えるのが気になる…今まで見えなかった建物だ。

そして、向かい側も更地に。道路拡張工事が始まるのだろうか。

大鷲神社と参道
安食交差点の東側は大鷲神社の参道になっている。左右に建物が並んでおり、歩道も整備されていて歩きやすい。

浅草から始まる酉の市の最後の場所として賑わう大鷲神社。12月の時期になると、参道に出店も並ぶ賑わいだとか。

右手にはスナックなどがある建物もあったが、コロナの影響で休業中だった。
下総乃国大鷲神社。実は、江戸幕府3代将軍の徳川家光との関わりもある、歴史深い神社である。

徳川家光が、竹千代と名乗る子供だった頃、乳母である春日局が、竹千代の病気平癒を祈願しに大鷲神社へ訪れた。その後、竹千代は3代将軍へと出世し、春日局は神社へ報恩のため、金の鷲を奉納したという話が残っている。

出世開運、それだけでなく子宝にも恵まれるとして人気を集めているそうだ。地元の方に話を伺うと、「大鷲神社を紹介したら、ご利益があって妊娠することが出来た」と話していた。
昔から女性の悩みも解決してくれる神社として注目を集めていたというが、私も女性なのでとても気になる。

駐車場は2つ。
正面には男坂(左)、女坂(右)が見える。

地元の女性が「男坂の階段はとても急で、長く住んでいるけれど数回しか使ったことがない」と話していた。
元々、男坂は神輿が上がる神の道とされており、女性が不浄とされていた時代、女性は上れなかった。

また、女性にとってきつい坂道を上ることは簡単なことではなく、足の脛を見せることはふしだらなこととされていたため、ゆるい坂は好都合だったという話を女性の話を聞いていて思い出した。
『建築デザインの解剖図鑑』という本に載っている。
夫婦杉、合体椎の木、子授け大樹など、ご利益のありそうなスポットがたくさん。

拝殿はさらに小高い山の上に建っている。境内は自然に囲まれており、静かで心が落ち着く場所だった。

日本一の大きさ?魂生大明神
そして、日本一の大きさともいわれる巨大な男性のシンボルをお祀りしている「魂生神社」。

五穀豊穣、縁結び、子授け、安産、夫婦和合の神で、魂生神は高さ2,5メートル、周囲2,3mの石製の男根が鎮座しており、大きさは日本一です。
日本一と称される、ご利益ある魂生大明神はこちら!

写真だとわかりづらいかもしれない。かなりの大きさ!
地元の方がご利益があると話していたのも納得。日本一がまさか、安食に存在するとは…

今から千年位前、庶民の素朴な性神信仰が各地におこり男根神、女陰神に心をこめて祈願しました。願いをかける時は、神社に奉納されている「小さな男根」と人知れず借りて大願成就の暁には同じ男根を作り、合わせて二体の男根を感謝の意をこめて奉納したということです。
現在も、多くの女性の願いが込められた小さな男根が多数奉納されている。

子孫繁栄の飴も販売されているとか。お土産にいかがでしょうか?
魂生神社に祀られる前まで親しまれた、石上神社(旧魂生神社)も合わせて。

最近、新しく再建されたそうだ。写真には昔奉納されたと思われる、小さな石製の男根が。

いつの時代も女性の悩みは同じ。
12月には酉の市だけでなく、近隣で「少子化克服なべまつり」が同時開催されている様子が記事に→
安食大鷲神社 安食酉の市 & 少子化克服なべまつり – 千葉県印旛郡栄町 – 12月
大鷲神社に安置されている、日本一と称される魂生大明神が女性たちによって曳回されるお祭り。
神奈川県の方で開催されているのは有名で聞いたことがあるが、まさか千葉県でも開催しているとは…コロナが落ち着いたら行ってみたい!
(訪問日:2021年5月)
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安食の街中は行ってませんでした。古くからあった素敵な風景が消えていくのは寂しいですね!
安食の最寄りに風土記の丘があって、そこに自然観察に行ったことがありましたっけ・・・
せせらぎにクレソンが生えていたり・・・
風土記の丘が有名なのですね!今度は自然観察に行ってみたいですね~