木下街道。千葉県有数の宿場町だった「木下」の趣深い建物 -木下⑶
今回は、木下街道を探索。古くから人や物資の往来のある歴史ある街道。その終着点である木下河岸まで、木下駅から歩くと街道沿いには趣ある建物が残っていました。
木下駅北口へ
千葉県印西市木下1633。成田線「木下駅」北口へ。平成19年(2007)に新しい駅舎になり、駅前も整備されたようだ。
木下駅北口
北口を見ると、喫茶店「カペー」の看板が。レトロな喫茶店の看板が目の前に見えるとなんだか安心する。
北口駅前には綺麗なロータリーが。初めて降りた駅前だけど、なんだか違和感を覚えるのは気のせいか…
新駅舎になる前まで、駅前には商店街があったのだ。そして、行商の方々がお店を出店していたことも。
あまりに綺麗になっている駅前は、商店街が存在したことを抹消しているかのよう。それでも私の勘は気づくことができて嬉しい。
「つちぶた本舗の全駅訪問の旅」に駅前の写真がある。現在のロータリーの中心部には建物が並び、コンビニや商店、そして商店街の街灯が見える。
ストリートビューには2012年の写真がギリギリ残っていた。工事中のところに建物が並んでいたのだった。
川村せんべい
北口の東側に、昔と変わらない佇まいで営業しているのが「川村商店」。
元祖木下名物と書いてあるのでお土産にぴったり。「印西とぴっく」さんの記事にまとめられているので気になる方はチェックを!
川村商店は、昭和3年(1928)創業。約100年近く、手焼きせんべい一筋で営業をされている老舗せんべい店。ホームページに、お店の紹介があり、一枚一枚丁寧に焼いている姿が載っている。
戦前から営業されているお店。昔の人々もここのお煎餅を食べて旅をしていたのかな。
喫茶店「カペー」
隣にあるのは、先ほど看板を見つけた喫茶店「カペー」。
生姜焼きやカキフライなど、ランチタイムも充実。今度はここでお昼を食べたい。
外からは店内が暗くて良く見えなかったけど、たぶん営業中!
区画整理で歩道が広くなった駅前。地面のモザイクタイルのアートが美しい。
木下街道を歩く
木下は歴史深い街で一言では説明ができないほど。まず、木下街道とはどんな街道なのか、そして木下はどのように発展を遂げたのか、歴史を振り返ってみようと思います。
木下(きおろし)街道とは
木下街道は、市川、船橋、鎌ヶ谷、白井、印西を通る道。江戸時代に、江戸から下利根への最短路として整備され、銚子方面から江戸・日本橋の魚市場へ鮮魚を送る道としても重宝された。
松尾芭蕉も「鹿島紀行」で木下街道を利用している。
江戸から船に乗って江戸川を渡り、行徳で降りて木下街道を通って、木下河岸から銚子へ…
私は以前、成田街道を歩いたことがあるので、いつか木下街道も完歩してみたいと思っている。でも現在も交通量が多い道なので、歩くときは注意。
千葉県でも有数の宿場町だった
現在の木下街道沿いを歩いていても、商店やホテルなどがいくつも並んでいて、かつての賑わいを感じる。それもそのはず、木下は千葉県でも有数の宿場町だったのだ。
木下街道の宿場町は、行徳、八幡、鎌ヶ谷、白井、大森、木下の6カ所。
船橋が成田街道で最も賑わっていた宿場町であったことは、以前記事でまとめたが、船橋と並ぶほど木下の宿場町は賑わっていたとか。今では信じられないけれど…
昭和初期には、映画館が2つ存在したとか…
「消えた映画館の記憶」さんの記事によると、「木下松竹館/木下松竹劇場(千葉県印旛郡印西町大森4357)」だという。1935~1970年頃に閉館しているので、あまり情報はない。
場所は、北口から西にある国道356号線沿いの「久七だんご店」の南側だという。今は跡形もない。
2つ映画館が存在したというので、他にもあったのかもしれない。
印西町商工会
街道沿い、現在は「印西町商工会」と書かれた街灯が立っている。
現在は空き地や空き店舗になっている建物も多いので、昔は商店街が存在したのかもしれない。
オレンジ色の大きなレトロ街灯が残っているのは嬉しい。
ビジネスホテル印西
駅からも見えていた、ビジネスホテル「印西」は街道から少し裏道を進んだところにあった。
ビジネスホテル印西の看板、どうしてこんなに私の琴線を動かして止まないのだろう。凄く好きな色、デザインだ…素晴らしい。
ビジネスホテル印西の建物は3階建て。現在も営業していると思われる。
入り口が異世界への入り口みたい…アーチが素敵。
ちなみに、看板は裏側からも見えるのでとてもよく目立っている。
木下街道沿いの気になる建物
木下街道を東へ、気になる建物やお店がいくつかあったので紹介していこう。
商店?名もなき建物
商店と思われるけど、今はもうわからない。名もなき建物。
こちらは2012年の写真を見ると「松崎履物店」と書いてあった。
街灯に残る看板を見るに、街道沿いには生活に必要な個人商店がたくさん並んでいたことがわかる。そういえば、駅前にもこの街道沿いにも全然コンビニが無い。歩くときは先に買い物を済ませておこう。
T字路、角に大きな建物。
随分前に閉店していてわからないが、佇ずまいからして衣料品店とか?スーパー?
その隣にある2階建て木造の建物も気になる。元商店?いや、旅館とか?昔の地図を手に入れて調べたいな。
中澤運輸部の建物
向かい側に、「中澤運輸部」と書かれた看板建築風の建物が。
右書きになっているので、戦前の建物かな。
これって看板建築と言えるのだろうか?奥の建物は木製、平屋の建物は倉庫のような建物。
しかし、調べてもこの建物の情報、写真が全然ない!誰も注目していないのが不思議だ。とても素敵なのに。20年ほど前までは、左手前の空き地部分にも木造の建物があったようだ。
運輸部ということは、昔のタクシーとか?でも今は普通に駐車場として使われている雰囲気。
理容室もりた
街道沿いには老舗店が多い。創業明治27年の「伊藤時計店」は電柱広告に。
のどかな景色。街道を歩いていると新たな発見があるので楽しい。かつて右側には「宝田宝生堂」、左には「太田屋呉服店」が並んでいた。
こちらの理容室は、新しいのかと思ったら創業1917年と書いてある。かなりの老舗だ…!
1917年というと、大正6年。当時は理髪店だったのでは?建物は新しく変わっている。
ホーロー看板と商店
「山口種苗店」は駐車場が左にあるが、角を左折したところで販売会を行っており、多くの人が集まっていた。
あ!!
思わず声を上げて喜んだのは、自然物のホーロー看板が2つ残っていたからだ。
キンチョールと金鳥のホーロー看板。間近で見ると大きいな~
この建物もとても古そう。「飯田化粧品店」。既に閉店してから時間が経っている。
屋根の部分が西欧風で和洋折衷のような外観。素晴らしい。
できれば現役の時に訪れたかった…
坂東太郎(かべ藤商店)
近くには、「手作り菓子 坂東太郎」と書かれた建物。名物なのだろうか?
店名は「かべ藤(とう)商店」。残念ながら営業している雰囲気が無い。
食べログのページに口コミが1件。
2010年の情報。坂東太郎とは、利根川のことらしく、このお店はかなり老舗。坂東太郎は3種類「梅」「杏」「栗」で、一番売れるのが栗らしい。5個800円。
2012年のストリートビューでは営業しているんだけどな…
さらに調べていると、明治創業の菓子店だったが、店主高齢のため、平成24年12月31日で廃業したとわかった。
近江屋本店?
坂東太郎のストリートビューを見ていて、気になったのが向かい側にある「近江屋本店」の建物。
2015年には更地になっていて今は無いけれど、街道沿いの古き良き街並みを残す建物だった。特に2階の欄干のデザインが良い!
旅館かと思ったが、酒屋である。
伊藤時計店
坂東太郎の建物の脇道を行くと、明治創業の伊藤時計店がある。
また、パブレストランも。
明治27年創業の「伊藤時計店」。でもシャッターが閉まっている…閉店してしまったのだろうか。
グーグルマップの口コミに、コメントが書いてあったので引用する。
伊藤時計店をご利用していたお客様へ。 2020年2月21日に時計店4代目のご主人である伊藤 克英さんが癌のため亡くなりました。 2年ほど前から闘病していました。本人は病気に勝ちまた皆様の時計を直して仕事に打ち込みたかったのだと思います、亡くなる当日まで修理依頼を受けていました。 時計の修理をお受けしてまだお店にお預けになっていられる方はご連絡頂きたいと思います。 開業明治27年だそうです。 皆様には大変長い間お世話になりました事心より感謝申し上げます。 ありがとうございました。
他では修理できない時計も、受け付けていたため、時計好きの方に愛されていたという…閉店してからだが素敵なお店を知ることができて嬉しい。
柏屋
木下街道沿いで唯一?の飲食店。お腹が空いていたので、有名な老舗蕎麦店が営業していて助かった。
柏屋は次回の記事でまとめる予定なのでお楽しみに。
右手に見えるのは「印西市立木下小学校」。
ホームページに、「丘の上の学校」、創立は明治5年(1872)と書いてあり、かなり歴史ある学校だとわかった。
正寶院(山根山不動尊)
柏屋の斜め向かいにあるのは「正寶院(山根山不動尊)」。江戸時代から木下の北向不動尊として人々の信仰を集めてきたという。
しかし、奥には更地になった空間が…平成21年5月に不審火によってすべて焼失してしまったとのこと。明治29年に再建された堂宇も今は見られない。
そういえば、「吉岡まちかど博物館」を行き忘れてしまった。明治時代に郵便取り扱いや蒸気船運輸業を営んでいた吉岡家の古い土蔵が残っているという。今度行かなければ。
旅館「銚子屋」
木下街道の終着点に構えているのが旅館「銚子屋」。
江戸時代からつづく老舗旅館。ホームページによると創業170年以上とのこと。
明治40年以前の古写真を見ると、橋のふもとに2階建て木造の建物を構えていたことがわかる。
木下の歴史を感じることができる貴重な旅館…コロナの影響を受けて閉業しなければ良いが…
宿泊だけでなく、割烹料理としてランチ営業もしているとのこと。
木下河岸跡
銚子屋の北側にあるのが「木下河岸跡」。
今回は、説明看板を撮影するのを忘れてしまった。
最盛期には年間4500隻もの船が見られ、50軒余りの旅籠や飲食店があったそうだが、明治34年に鉄道が開通すると中心地は木下駅周辺に移り、河岸の役割は終わった。
特に利根川を下って香取・鹿島・息栖の三社へ参詣し銚子の磯巡りを楽しむといった木下茶舟が江戸町民の人気を集めたという。
木下駅から木下河岸跡まで木下街道を辿ってみた。ボリュームが多くなってしまったので、木下駅から西側の街道の街並みは次の記事にて!
(訪問日:2021年5月)
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母親の実家が木下でしたので子供の頃はよく遊びに行って馴染みのある場所でこういう形で紹介して下さるのはとっても嬉しいです。
南口は私が子供の頃は無くて一面の湿地帯で日本デキシーという紙コップメーカーの工場があっただけでした。
後に地下道の連絡通路が出来てその頃から駅前の整備が始まったのかと思います。
このパート3からはまさにばあちゃんちの近所でして駅からの通り道でした。
ホテルがあった場所辺りだと思いますが叔母の話で昔は鉄工所があったと聞きました。
T字路のお店は昔は中沢商店というお店で食料品などを売っていました。
T字路左折してからの旧国道356号は昔はほとんど空き地はなくて建物が並んでいましたが高齢化や2011.3.11の震災で建物の被害が多く取り壊された建物が多いです。
近江屋さんも3.11の震災で建物損傷して何年後かに取り壊されたと思います。
かべ藤さんはお店の奥が工場になっていて子供の頃は何を作っているか知りませんでした。
お饅頭を作って何処かに卸していたみたいです。
お店は駄菓子屋さんという記憶しかありません。。。多分その頃もお店でお饅頭は売っていたのでしょうけど・・・。
おばあちゃんの財布のがま口からお金もらって良く買いに行きました。
伊藤時計店さんは私が子供の頃初めて腕時計を買ってもらったお店です。
ミッキーマウスの時計で昭和51年頃だと思いますが当時4,000円位だったと記憶しております。
買ってもらうのに相当強請ってやっと買ってもらえました。
その先の踏切を渡ってすぐの所に洗濯屋(クリーニング屋)さんがありました。今はクリーニング屋さんは取次店ですが昔はお得意さんを周り御用聞きの様に何か有りますかと預かって自社でやってました。
いつもアイロンのスチームが建物の外にもくもく出ていたのが印象にありまs。
その先の細ーーい路地を進むと未だにお豆腐屋さんは営業しておりました。
その並びに小さい駄菓子屋さんがありましたが今はもありませんでした。
その先の小学校の山の下に風車で脱穀する機械版みたいな作業場がありました。小さい頃はその機械をのガタンガッタン言いながら動いているのをずーっと見てました。
木下小学校の校庭も良く遊びに行きました。
まだ木造校舎が残っていて二宮金次郎の石像は地元の学校には無かったので珍しかったです。
旧国道356号に戻ります。
正寶院(山根山不動尊)は大人になってから名前を知りました。
ずーっとお不動様って呼んでました。
お堂の横に公園がありよく遊びに行っておりました。
当時の国道は利根川の川砂か里山を崩して土か砂を運ぶ大きいダンプの通行が多く危ないので一時間に1本しか走らない成田線の線路脇を歩いて従兄弟達と行きました。今そんな事したら公衆立ち入りで電車止めてしまいます。
後に火災で焼失したと聞いてとてもショックでした。そして今も再建されずにいます。
銚子屋さんの目の前の酒屋さんは建て替えてしまいましたが昔からの古いお店です。看板は残っているけど今は営業されているか確認はしておりません。
その並びだと思うのですが昔産婦人科医院があり母親は里帰り出産で私はそこで生まれました。
木下河岸跡の写真の道路の辺りに運河?川?が流れていたと聞いた事があります。
幼少の頃の記憶なので薄れてしまっていて勘違いしている個所もあるかもしれませんがご了承下さいませ。
長々と失礼いたしました。