外房線「大網駅」。レトロな大網会館、熊野神社と元料亭 -大網⑴

大網白里市、大網駅で下車!まずは駅周辺を探索しますが、最初から昭和レトロなパチンコ店の建物や、気になる料亭風の廃墟を見つけ、テンションが上がります…
まずは大網駅~熊野神社まで。
外房線「大網駅」と歴史
千葉県大網白里市南玉。外房線・東金線「大網駅」へ。外房線と東金線の乗り換えで利用したことがあるが、降りるのは初めて。
明治29年(1896)に開業しているが、現在地へ移転したのは昭和47年(1972)。現在から50年ほど前のことだ。旧大網駅の周辺に古い街並みが残っているため、その話はまた後程。
まずは、現在の大網駅周辺から探索。高架下にあるのは、「大網パブリコ」という商業施設。

コンビニ、飲食店、マリンの土産物店などが営業している。

角川書店発行の『角川日本地名大辞典』には大網に関する記述が豊富。
大網の地名の由来は、「広い網場」という意味だそうだ。かつては周辺一帯が広大な沼沢地だったそうだ。
明治2年頃からは「大網宿」ともいわれるようになり、その後、宮谷(みやざく)県が本国寺に仮庁舎を設置。明治11年には廃止されたが、現在も宮谷県庁跡は県指定史跡として保存されている。今度大網駅から歩いて行ってみよう。

パチンコ・大網会館
駅前には大きなロータリーがあり、病院はビジネスホテルなど新しい街並みが広がっている。道路が広くて、開発された街という印象を受けた。

しかし、大網駅は少し離れた、旧大網駅周辺の旧道沿いに古き良き昭和な商店街が残っている。
ファミリーマート大網白里駒込店の角を曲がり、橋を渡って北側の南町へ。

そしてまず遭遇したのは、レトロなパチンコ店「大網会館」。
”楽しく遊べる パチンコ・パチスロ”シャッターの文字がまさしく昭和。

2階は、高級麻雀倶楽部おおあみ。どちらも現在は営業していなさそう。

2012年のストリートビューに営業中の様子が映っていた。なんと、2階の窓が見えないほどネオンで覆われている。
閉店後に取り払ってしまったのだろう。大網会館のネオンが光っている姿を見てみたかった!

向かいには大網会館の駐車場の看板も。派手な装飾!

周辺は空き地が異様に多く、パチンコ店だけが取り残されているような感じ。昔は周りに飲み屋もあったのだろうか。

金谷川改修事業が行われ、橋が新たに新設。「ようがいばし」と名付けられていた。

川のすぐ横の細い道にレトロな街灯が残っていた。ここにもお店があったのかな?

大網白里町商工会の街並み
川を渡り、いよいよ旧大網駅方面へ。ここからが本番です!川を渡ってすぐの右手は、旧斉幸米店。現在は街灯の看板も撤去されている。

この通りの街灯は、銀色のビーズのようなデザイン。

「大網白里町商工会」とある。ホームページを覗いてみると、更新頻度が高く、なんとYouTubeまで作成されており、商店街が衰退する時代の中で積極的な活動が好印象を受ける。

左にあるのは本郷生花店。現在は閉まっている。

京葉銀行大網支店を通り過ぎ、どんどん商店街の中心部へ。右手にある「片岡酒類㈱」は年中激安と謳っている酒専門店。

手前の並びにある門柱も古そう。

片岡酒類㈱の向かいに、「五郎八金物店」という歴史を感じる金物屋さんがあった。その店名も気になるが、脇に小さな鐘撞があって目を引かれた。

大網の探索では、同様の鐘撞をいくつも見ることになる。中央には”佐野 特製”と書いてある。

佐野特製の鐘撞、調べるといくつか情報が出てくるので各地で出回っていたものなのだろうか。これはまだまだ序の口。大網に残る昭和の風景に終始驚かされることになった。

熊野神社と料亭跡
商店街を探索する前に、少し進んだ金田商店と綿文商店の間の小路に「熊野神社入り口」と看板があるのが気になった…これはこの細い道を行くしかないですよね~

斜め向かいの生城山(ふきの)商店。商店街の続きも気になるが、ここは先に細い道の奥を探索してしまおう!

熊野神社入り口から砂利道を進んで奥へ。民家の合間を縫って進むので、ここを本当に通って良いのか不安になるが…

細い路地を奥へ進むと、石の鳥居が建っていた。鳥居は、古いな~と思っていたら寛保2年(1742)と銘が刻まれている。

今から300年近く前とは…高台の上にある神社。大網白里町を一望できる。


狛犬、姿が変わってしまっている。可哀想…

さらに階段口とは反対側にも小さな階段があったが、こちらは人気が無さそう。

熊野神社の鳥居から階段を登っている時に、横に瓦屋根の二階建ての大きな建物が目に入った。

そして、こちらが先ほどの建物の出入口。鬱蒼と茂っているが、裏口のような趣のある門に胸が高鳴る。

一般の民家にしては豪華な出入口と建物の造り…煉瓦積みも見えるな~現在は廃墟だが、ここは一体?


建物を遠目から。手前は広い駐車場?奥に先ほどの二階建ての建物が見える。現在は立ち入り禁止の看板もあり、鬱蒼としている…

並びには、広い入り口と思われる場所もあったが、完全に木々で埋もれていた。

明かに元料亭か、旅館の建物だな…2014年のストリートビューだとまだ生い茂っていない。入り口が二カ所、駐車場側からも出入りすることができる。
この建物が面している裏道は、旧大網駅へと通じる道。
昔を知る地元の方に話を伺うと、元料亭の「新松」という建物だそうだ。結婚式なども開催されていたのだと思う。
周辺には他にも木造建築が残っていた。

向かいには、中村米店。

料亭「新松」、どのような料亭だったのだろう。調べても出てこない。こういう情報こそ残したいなと思う。

料亭「新松」がある裏通り。駅が移転される前、50年ほど前まではこの通りにも人通りが多かったのかな…
(訪問日:2021年9月)
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初めまして。いつも楽しく拝見しています。当方、今回調査対象の大網に以前居住しておりましたので、いつもにも増して興味深く拝見しました。大網から上京して既に20年近く経過し、家も引き払っておりますので、ここ10年位は訪れていませんが、些かなりとも往時を知る限りでコメントを記したいと思います。以下、長文となりますが何卒ご容赦ください。
パブリコ商店街は、一度改装しています。改装前から残っているのは、土産物店位かと思います。当時は(その2)で紹介されている本屋の支店が入っていました。以前は川を挟んで、その先に「ニューパブリコ商店街」もあり、こちらにも(その2)で紹介されている「やのしんミート」の支店がありました。ニューパブリコ商店街は、いつしか閉店・店舗は撤去されてしまいました。
大網会館の周辺は、40年前からほぼ変わっておりません。ご紹介のとおり、旧大網駅周辺が以前の市街地になります関係で、いわゆる商店街は、こちらの記事にある「本郷生花店」あたりまでした。おそらく昭和47年に駅が移転した以降、このあたりが開けるのを見越して開業したものと思われます。ただ、大網は、近隣の東金・茂原と比べて市街地の範囲がそれほど広くないため(市制施行も両市と比べるとかなり遅いですね)、結局このあたりまで商店が立ち並ぶことはありませんでした。それでもこの店は平成初期までは、かなり客の出入りが多かったと記憶しています。
熊野神社はこのあたりでも由緒があるらしく?毎年10月中旬に秋祭りがあり神輿や山車が通りを練り歩くのですが(現在はどうかわかりません)、町会の祭囃子の練習に使われており、夏休みの終わりごろから祭礼までの一カ月程度、笛や太鼓の音がよく聞こえてきました。冬には子供向けに汁粉を振舞うこともありました。
料亭跡の屋号は、「増おと」とであったように思いますが、当方の記憶違いのようです。小学校のPTAの会合などにも使われていたようです(当方は当時保護者ではありませんでしたので来店はしていません)。長々と失礼しましたが(その2)以降についても、後日当方の知る範囲でお伝えしたいと思います。
もっこり公爵さん、コメントありがとうございます!大変貴重な情報を頂けて嬉しいです。地元の方からの濃い長文のコメントは大歓迎ですので、お気になさらずにこれからもよろしくお願いいたします!
パブリコ商店街に昔の姿があったとは…てっきり新しい商店街だと思ってました。料亭の屋号は私も聞いただけですので、正確か分かりません。もしかしたら、他にも同じようなお店があったのかもしれません。