船橋駅近く「浄勝寺の女郎神さん」船橋の遊廓の面影を辿って

船橋駅近く「浄勝寺の女郎神さん」船橋の遊廓の面影を辿って

船橋といえば、海神新地の話題!なぜかいつもPV数ランキング上位にあがってくるので皆さん興味深々…?

船橋のミネ 看板がリニューアル

千葉県船橋市本町2丁目19−19−26。船橋の本町通りを歩いていると突如現れる大人向けのお店への誘い…

成田街道から

普通に風景と同化しているのでもはや誰も気にしてい無さそう。私のブログの記事で毎日のようにPVがある海神新地への記事、皆さんやはり興味が尽きないのでしょうか?→船橋遊郭から海神新地への歴史。伝説の「ミネ」をはじめ、劇場も【船橋散策①】

看板

この辺りは本町通りに存在した船橋遊廓が移転してきて海神新地と呼ばれた一角。近年は劇場も取り壊しになり、ミネだけがぽつんと残っている状態。

ミネ

そんなミネ、実は最近看板が新しくなっていた。少しオシャレな筆記体調の看板に。時代に変化に合わせてまだまだ現役ということなのでしょうか。

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浄勝寺の女郎神さん

千葉県船橋市本町3丁目36−32。海神新地の話題に合わせて、海神新地から少し東側、船橋市民文化ホールの向かいにある浄勝寺へ。

浄勝寺

浄勝寺の境内、入って右手に海神新地と関連がある石塔が残っているそう。中央の碑が女郎神。

入って右手に

女郎神さん、と説明文も設置されている。下(しも)の病気で苦しんでいた人たちの信仰の場であったそうな。

元々は、武蔵国足立郡石神(現川口市)とあるように、違う場所に存在した地蔵のようだ。

「別の場所にあった生き倒れた女の墓を浄勝寺が引き取ったところ、江戸期になってお女郎地蔵として、新地にいる遊女達の信仰を集めるようになった。」と「里山里海だより」に考察がある。どういういきさつで船橋に引き取ったのだろう?

船橋の海神新地が栄えていたことを証明する史跡…まだまだ深堀りしていきたい。

 

(訪問日:2022年4月)

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