土手の伊勢屋・桜なべ中江。吉原と歴史を歩んできた「蹴飛ばし屋」

土手の伊勢屋・桜なべ中江。吉原と歴史を歩んできた「蹴飛ばし屋」

山谷地区を後にし、吉原の方面へと向かう途中、行列ができている老舗の料理店を発見。吉原大門の前に昔からある「桜なべ 中江」「土手の伊勢屋」である。

建物も登録有形文化財であり、多くの人が知る有名店。だが、私は山谷地区を探索してきたこともあって、色々と思うところがあった。

馬肉の千葉屋

いろは通り商店街を抜け、あしたのジョー像がある土手通りを東に進む。かつての吉原大門の近くには古い建物が少し残っていた。

「土手通り」の名称はかつての「山谷掘」という川が存在したことにちなむ。

土手通り

「吉原土手 馬肉の千葉屋」も古そうだ。馬肉専門店とは、とても珍しいお店。馬肉のお刺身や馬の油を販売、また都内の料理店に卸している。

吉原土手 馬肉の千葉屋

このお店も創業100年以上とか…それにしてもなぜ、この場所には馬肉専門店があるのだろう?と思った方もいるのでは?

看板建築が並ぶ

馬肉とこの地域、吉原との関係性がわかるととても興味深い。チラシにもあるが、馬油は火傷、切り傷、水虫、ニキビと何でも効く万能薬である。

馬油販売中
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蹴飛ばし屋

「蹴飛ばし屋」と聞いてピンと来る方はどれくらいいるのでしょう?正直、私は知らなかった。

馬肉鍋(桜鍋)を出すお店のことを「蹴飛ばし屋(けとばしや)」というそうだ。

馬は脚で蹴飛ばすという意味から「けとばし」という名称に。

現在、吉原土手で蹴飛ばし屋を営業しているのは桜鍋の「中江」「あつみや」の2軒のみであるが、かつては20軒ほどもあったそうだ。

吉原との関係性は、
勘が良い方はわかるかもしれないが、遊廓で遊ぶ前に精を付ける、また吉原帰りに桜鍋を食べる習慣があったそうだ。また、吉原で遊ぶ資金をつくるために乗ってきた馬を売る庶民が多かったとか。馬を売る人が多いのであれば、食べてしまおうという…

桜鍋(馬肉鍋)は明治の文明開化で生まれた東京の郷土料理である。馬肉と吉原の関係性はとても濃いことがわかった。

蹴飛ばし屋の名店「桜鍋 中江」

蹴飛ばし屋の代表格として知られる桜鍋「中江」。明治38年(1905)創業。創業115年の老舗店である。土手通り沿いに古い建物が見える。

土手通り

東京都台東区日本堤1丁目。中江の浅草吉原本店である。かつての吉原遊廓内に、桜なべ「中江別館 金村」がある。

その場所は吉原最後の料亭、引き手茶屋の「金村」が2009年に閉店した後、桜なべ中江へ生まれ変わったという。一度見てみたい。

桜なべ 中江

壁には国登録有形文化財のプレートがある。現在の店舗の建物は大正13年(1924)に関東大震災で倒壊した建物を再建したもの。外観は現在も当時とほとんど変わらないという。

平成22年に国登録有形文化財に登録された。

国登録有形文化財
台東区のまちかど賞も

馬の油も、昔吉原遊廓のお土産として有名だったとか。

馬の油

桜なべ中江のホームページに土手が存在したころの橋の写真が載っている。朝から晩まで1中賑わっていたという中江。

中江

現在は馬肉は高級食材となり庶民には手が出せないが、一度食べてみたい。

テイクアウトも

天ぷら屋「土手の伊勢屋」

中江の隣にあるのは天麩羅屋「土手の伊勢屋」である。浅草観光の一つとして遠くから多くの観光客が訪れる名店として知られる。

土手の伊勢屋

創業は明治22年(1889)。昭和2年(1927)に建てられた木造2階建ての店舗は平成22年に国登録有形文化財に登録された。

店舗前には新型コロナウイルス渦中でも多くの方が並んでいたが、私は建物に興味津々。人が多いので写真を撮るのも一苦労だった…

重厚なつくり

土手の伊勢屋ホームページにその歴史、写真が載っている。朝は朝帰りのお客さん、昼は一般のお客、夜は吉原に努めるギュタロウ(客引き)、夜中は吉原遊廓への出前と24時間体制だったとか。凄い。

伊勢屋

系列店や支店などは無く、ここだけ。いつも行列で昼過ぎには売り切れになることもあるらしい。

昼間には多くの人

建物の周囲を囲むように行列が…1時間ほど並びやっと店内へと入れるくらいの人気ぶりらしい。

行列
いせや本店

区画整理で昔の建物と違っているというが、三ノ輪周辺で空襲に免れた木造建築は珍しい。2軒、貴重な建物が残っているのは圧巻である。

建物の裏

伊勢屋の建物の裏。銅板の戸袋は良い青銅の色が残っている。

2階

ここから書くことは個人的な意見。
土手の伊勢屋を境にして社会の表と裏を見たような気がした。土手の伊勢屋に並ぶ行列。決して安いお店ではない。高級料理店である。

しかし、一歩裏へ行くと広がっているのは元山谷地区の労働者の町。いろは通り商店街は次第に綺麗になりつつあるが、裏路地にはまだまだ色濃く山谷の歴史が残っている。たった何メートルかの差で、見えている景色が変わる。

私は高級料理店に並ぶことができない。だからこそ、土手の伊勢屋に並ぶ行列を見て、社会の不条理さを感じたのであった。

吉原土手の老舗

土手通り周辺の建物

土手の伊勢屋の裏路地にも渋い建物を発見。自動車販売店の「三つ和モータース」である。

三つ和モータース

自動車販売店には見えない外観だが、日産自動車販売協力店の会員証があった。

土手通り沿い、あしたのジョー像の西側にある交差点の角に看板建築のような西洋風の建物が見えた。とても目立つ。

交差点にて

日本堤1丁目、手前のピンク色の笹目建具店もよく見ると看板建築。路地側に丸いデザインが施されている。

日本堤1丁目の看板建築

この看板建築の右横の通りには、平成19年(2007)までは昭和4年(1929)建造の「廿世紀浴場(にじっせいきよくじょう)」が残っていた。

当時としては珍しい洋風の銭湯で、「アール・デコ銭湯」と呼ばれていた有名な銭湯。

都市徘徊blog」にて豊富な写真が載っているが、見れば見るほど素敵だな…

その名残というべきか、看板建築が残っているのは幸い。

中央にマークのようなもの

元々何のお店だったのかは不明。

ぜひチェック

土手通り沿いには吉原とともに歴史を歩んできた老舗店や看板建築が残っていた。

 

(訪問日:2020年10月)