【吉原】旧屋号「プリンセス」赤線時代の名残、転業アパートの姿

「吉原」と聞いて、思いつくのはどんなイメージだろうか。吉原は、江戸時代から現代に至るまで大人の夢の国を絶えず守り続けている。日本でも吉原ほどの歴史深い地はなかなか無いのではないだろうか。
現在は、お風呂のお店が立ち並ぶ通りがメインになっているが、赤線時代の名残が少し離れたところに残っている。今回は、その中でも特に立派なカフェー建築「プリンセス」を紹介する。
吉原~遊郭から赤線へ~

吉原は、明暦の大火(1637年)をきっかけに、元吉原のあった日本橋人形町から移転してきたという歴史から始まる。その後、区画はほとんど変わることなく昭和33年(1958年)に施工された売春防止法により赤線区域へと移り変わった…。
その時代に作られた、特殊飲食店の建築を「カフェー建築」と呼ぶ。ダンスホールなどがあったカフェー建築は、独特な趣向を凝らしており、カフェー建築のファンも多い。
カフェーも、1958年をもって廃止され、その後はアパートや飲食店、旅行に転業したところが多いという。木村聡著の『赤線跡を歩く』では、次のように書かれている。
戦後は一時期、進駐軍向けの施設が作られ、”撤退”後はいわゆる赤線区域に移行して、全国どこでもあったようなカフェ―街に生まれ変わった。昭和二十九年には二七〇軒の店に一二○○人の女性が女給として客を招いていた。
270軒のお店と、1200人の女給。かなりの規模だったことがわかる。そしてその当時の様子がわかるカフェ―建築が現在も少しだけ残っているのだ。
カフェー建築の特徴としては、入り口が2つあること、装飾が多い…ことが挙げられる。周りの建築と比べて、曲線が多かったり、扉が多いものは疑いの余地がある…
カフェー建築・旧屋号「プリンセス」
カフェ―建築の女王「プリンセス」の姿

アパートに転業した旧屋号「プリンセス」の建物は、吉原に残る赤線の名残として代表的なものだろう。
住宅街を抜けると、その姿が現れる。
しかし、本やネットで見た近辺の建物の姿があまりにも変化しており、見つけるのも一苦労した。新しい住宅か、駐車場に変わってしまっている。
写真左手手前にある駐車場にも、以前はカフェー建築があったようだが…無惨にも駐車場に。

広角レンズで撮影したプリンセス
以下の写真は、旧屋号「プリンセス」を広角レンズで撮影したもの。
扇形のように、左右に広がるつくり。そして曲線が美しい。

壁の色味もとても良い。
プリンセスの隣が工事中だったため、サイドの壁も露わになっていた。
そして、この工事中の場所こそが、旧屋号「モリヤ」が建っていた場所。またしてもあと一歩遅かった…。

カフェ―建築の現在
木村聡著の「赤線跡を歩く」を手に散策してみても、赤線の名残のある建物はもうほとんどといっていいくらい残っていない。隣の「モリヤ」が更地になり、「プリンセス」の建物も、いつまで残っているか…。
近々、付近のカフェー建築について更なる調査を行いたいところ。
カフェー建築の美しい建物を見ていると、イラストを描きたくなる。描くことで建物の細かい部分まで見えてくるから楽しい。カフェ―建築についてあまり詳しくない世代にとっても魅力が伝わるように、イラストや写真を用いて、その魅力を後世に伝えていきたい。

(訪問日:2020年3月)
赤線跡を歩く―消えゆく夢の街を訪ねて (ちくま文庫) 文庫 – 2002/3/1
木村 聡 (著, 写真)
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