JR久留里線横田駅周辺を探索|駅前~横田神社~小坪館跡
JR久留里線の旅。袖ヶ浦市の横田駅にて下車!
開業当時のままの木造駅舎と、駅周辺の街並みを探索しました。
JR久留里線「横田駅」と歴史
千葉県袖ケ浦市横田。JR久留里線「横田駅」にて下車。前回の続きで、青春18切符を使っての母と二人旅です。
開業は、大正元年(1912)。当初は、横田駅ではなく「中川駅」だったようで、大正4年に現在の「横田駅」に改称している。
青いホーロー看板の駅名標が残っている駅舎も珍しくなってきたのではないだろうか。
横田の地名について、角川書店『日本地名大辞典』から引用。
小櫃川下流右岸に位置し、中世武田信興築城と伝える北口城址や里見義尭築城と伝える小坪城址があるとのこと。北口城址についてはノーマークだったが横田駅の北側のようだ。
明治22年に中川村の大字になるまで駅の所在地は横田村だったので駅名は横田駅になったのかな。
また、現在は窓口は廃止されている。
横田駅前通りの現在
横田駅北側は田園風景、南側に国道410号が東西に伸びており横田の市街地を形成している。
横田駅前は店舗棟はなく、タクシー乗り場と小さな広場があった。
2012年のストリートビューを見るとタクシー会社に併設して店舗跡が建っていた。
駅を降りて右側には広場と記念碑が建っている。
「横田耕地整理の碑」が中央に、右側には旧中川村村長の「近藤弥三郎翁像」。
左側にある碑は平成28年と最近建てられたもので、合わせてこの敷地も一部整備されたようだ。詳しい歴史がまとめられている。
横田地区は、中世には「横田郷」として荘園中心に米作により栄え、明治後期には県下でいち早く一反区画による耕地整理が行われたという。碑にはその後の工事の苦悩が描かれている。先ほどの中央の碑は明治期の耕地整理の際の碑だろう。駅前に今も大事に保存されていることに心が温まる。
駅前通りは特にお店等は営業しておらず静か。
2012年のストリートビューでは「相川酒店」の古い看板と店舗が残っていたが今は更地に。
そして国道410号へ。国道は交通量が多い上に歩道が狭いので注意。店舗や住宅が並ぶ。
とりあえず国道を西へ。公会堂、って響きがまた良いですね。
上宿、その名称からピンと来るように、この国道は久留里街道として古くからの道で、街道沿いの上宿・中下はその時代の名残だろう。
横田神社/小坪館跡
公会堂近くの脇道から南へ、最後に神社に寄って横田駅へ戻ることにした。
そして冒頭で登場した「小坪館跡」の説明看板。
横田神社に設置されている看板で、小坪館が築かれた横田郷の中心がこの辺りだったことを示す。その館の中心地、中川小学校東南に横田神社が位置している。その周りには土塁や堀の痕跡も残っているとか。
小坪、Googleマップにもすぐそばの小櫃川の「小坪橋」に名が残っているよう!
旧村社の横田神社。背の高い樹々に囲まれた境内。
境内で特に気になったのが参道左手に存在するこちらの建造物。
日露戦役凱旋記念…?亀の上に剱?が刺さった記念碑だ。
裏を見ると、明治29年(1896)とある。日露戦争に出征し無事に凱旋を果たした方々の名が側面に刻まれている。
現在は静かな横田駅、そして横田神社へ。かつての中世の城跡や日露戦争の史跡まで、幅広く歴史を感じることが出来た。
(訪問日:2022年8月)
-
前の記事
【2024年】年始のご挨拶。あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。 2024.01.01
-
次の記事
下郡郵便局旧局舎(君津市山本)|国登録有形文化財の旧郵便局を訪ね久留里線途中下車 2024.01.03
日露戦役凱旋記念碑は亀趺(きふ)ですよ。余り見ない漢字なので、「ふ」などは面倒ですね、入力が。
私も一度横田神社で拝見してますが、その時は正式な名称など調べなかったので詳しい事は分かりませんでしたが、これを機に調べたら、中国の後漢時代に造りだし、その後朝鮮などでも流行り、日本で造り出したのは江戸時代だそうで、大名などが亀の上に墓石など乗せたそうです。
千葉県では余り流行らなかったのか、数件しか見たことが無いですね。
どちらかと言ったら神社よりも寺向きな石碑ですよ。
日本では亀は長生きの象徴なので、これに墓石を乗せるのはミスマッチと思ったのか、余り流行らなかったそうです。