横芝駅から裏道へ。旧笹本医院・消えた豊川稲荷・旅館「堀川屋」 -横芝⑵

総武本線「横芝駅」から南側の古き良き商店街を探索し、今度は裏道へ。
現在は閉業しているが、戦前から営んでいたのであろう病院建築の名残を見かけました。
煉瓦蔵と「旧笹本医院」
千葉県山武郡横芝光町横芝。総武本線「横芝駅」南口から栗山川に向かって商店街を歩いた。


商店街は栗山川手前で終わっているように見えたので、引き返して裏道を歩いて駅方面へ戻ることにした。

橋を渡った場所は、光町。記事を書いていてストリートビューで街並みを確認すると、古い木造の商家や煉瓦蔵が残っており、今度は横芝方面を歩いてみようと思った。
宮川橋場は船運の集積地として栄えたそうだ。
裏道へ。

閑静な住宅街にある、笹本医院。2022年現在、閉業している。

病院の建物は新しい、が脇にある門柱が気になった。これは古いな…

陶器製のプレートには右読みで「笹本」とある。戦前から病院だったのだろうか。

病院の建物は改装し、門柱だけ残されていたのかもしれない。


門柱の先には広い広い、敷地が広がっていた。病院の中庭にしては広すぎるのでご自宅があったのだろうか。

奥に背の高いシュロの木が林立している。戦前の病院には必ずといって良いほどよく見かける。また、鉄棒のようなものも残っていた。

病院の向かいには石上商店。壁画が印象的だった。

思わぬ病院との出会いを楽しみ、駅方面へ戻るため裏道へ。


裏道にも商店街の街灯が建っている。

立派な蔵。商店街側からは見えなかった。

消えた豊川稲荷&第二十二番東町観音堂
裏道を歩いていると、豊川稲荷の鳥居が見えた。

2019年頃まで参道沿いに木々が並んでいたが伐採され、現在は広々とした雰囲気に。

境内の脇が原っぱになっているので家族連れがサッカーをしていた。

参道を通って社殿へ、と思ったら何もない。残っているのは土台のみ…

昭和28年に建てられた碑が土台脇に建っているが、こちらは「健全なる幼児の遊技場その他」に敷地を寄付した方への謝意が刻まれている。

豊川稲荷、一体何があったのだろうか。


豊川稲荷から西へ。県道78号線に出た。

交差点の角にある「第二十二番東町観音堂」。

第二十二番東町観音堂について検索しても情報が出てこない。入り口の門柱含めて昔の雰囲気のまま。

大きな供養塔は「普門品五萬巻供養塔」とある。調べると人名ではなく、法華経のうちの観世音菩薩普門品を一定回数読誦した記念に建てられた碑で各地にあるようだ。

駅前旅館「堀川屋」は解体…
横芝駅前に戻り、今度は大通り沿いの西側~踏切へ。こちらも商店街。
下の写真、空き地となっている場所に駅前旅館が存在した。2019年頃まで建っていたのでつい最近解体となった。

旅館堀川屋。電話0231と看板に描かれている。
2012年のストリートビューより
いや~宿泊してみたかった!


銀行の向かいの鰻料理店「宇治乃里」。

完全に見落としていたが、隣の「伊藤電気商会」の建物は、外壁が覆われる前は看板建築のようなレトロな雰囲気!
ストリートビューが不調で掲載できないのが残念だが、今も建物自体は残っている。

外観が以前より新しくなった秀丸食堂。


踏切へ近づくにつれて渋滞している。
踏切のギリギリまで建物が並ぶ。
特に右の伊藤家具が印象的だった。

次は、横芝の旧道沿いへ。今回のメインはこれから。
(訪問日:2022年1月)
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前回コメントを書かせてもらった者です。
とうとう実家の店を見つけました。
ありがとうございました。
大洋でんきさんはかの大橋巨泉さんの親戚で、戦中はここに疎開していました。
祖父の話によると憎たらしい悪ガキで大嫌い(笑)だったそうです。
笹本医院も普通に行っておりましたし、石上店は質屋さんで友人でした。
豊川稲荷は幼稚園で母校であり、夏休みの朝のラジオ体操もここでした。