総武本線「横芝駅」。千葉県最古の木造駅舎と商店街「横芝町商工会」 -横芝⑴
山武郡横芝光町へ!青春18切符で総武本線沿いを探索することに。
まずは横芝光町の歴史探索へ。今回は駅周辺の商店街を辿ります。
総武本線「横芝駅」と横芝光町の歴史
千葉県山武郡横芝光町横芝。総武本線「横芝駅」へ。
と、その前に総武本線に乗っていて気付いたレンガを少し。どこの駅か分かりますか?
八街駅のホーム下に隠れている煉瓦でした!これは以前八街に訪れた時は気づかなかったですね…
そして本題の総武本線・横芝駅。なんと、千葉県最古の駅舎だそうです!
明治30年(1897)に建てられたという。今年で125周年を祝って駅前に昔の写真の垂れ幕が展示されているとのこと。
平成の大合併によって、 匝瑳郡光町と山武郡横芝町が合併し、現在の横芝光町に。今回歩く横芝地区からは、多くの学者や文人を輩出しているという。(『角川日本地名大辞典 12千葉県』より)
日本で初めて実測による日本地図を完成させた伊能忠敬も横芝の出身!駅からは離れているが、北西の陸側にある旧大總村には「伊能忠敬成長の処碑」も建っている。今度見に行こう。
また、駅舎は改装工事中だったが、国鉄時代の電照式の駅名標が残っていた。2022年秋現在、撤去されてしまったらしいが…
開業時の木造駅舎が百年以上も変わらずに残っている、そして今も地元の方々によって大事にされていることが素晴らしいと思った。
平成10年に屋根の葺き替えや壁面の塗装が行われているが、昔の姿とほとんど変わらず。
「ちばとぴ!タウン」に2022年3月に行われた展示の紹介がある。昔の写真も載っているので見比べてみてほしい。
変化したのは駅前。昔は駅舎すぐそばにバスや車が並んでいて、正面左右に門柱が建っている。左が「屋形海水浴場」、右が「木戸海水浴場」。
駅前からバスや乗合自動車に乗って海水浴場に向かっていたのかな。
現在のように南口駅前が整備されたのは平成22年(2010)頃だという。
近くに古い横芝光町商工案内図が残っていた。嬉しい!
看板は上が南口。今回まずはじめに歩く駅周辺と、右下の北側の旧道沿いにお店が多数並んでいたことが分かる。これを参考に歩こう。
横芝駅前、再開発後の現在
横芝駅南口、駅周辺の商店街を歩こう。駅前ロータリーのそばには開発から取り残されたかのような一軒があった。
手荷物自転車預り所の看板。今は閉まっているようだ。
現在はロータリーから駅前の交差点に至るまで広々とした大通りが広がっており、駅前にはお店が無い。あまりにも空が広くて不自然だなあと歩いていて思っていた。
ストリートビューで2012年の風景を見てみる。すると駅前ロータリーが現在ある場所にも民家や横芝タクシー、中華料理店など軒を連ねていたことが分かった。
おそらく駅舎とともに戦前から街を見てきた古い商店たち。
そして、駅前の交差点も昔は無く、道を拡張するために正面にあった「こめや菓子舗」や食堂が一掃されたようだ。
上のストリートビューに映る角の蔵を併設している店舗が特に古そうだが、どのような商売をされていたのか気になる。元酒屋だろうか。今はストリートビューで知ることが出来るのみ。
横芝駅周辺の商店街
駅から東西に伸びる県道108号線。まずは東側へ。
駅前だけでなく県道沿いも解体され更地になっている建物が多いこと。
街灯には「横芝町商工会」とある。商店街だ。
10年で街は変化する。
2012年のストリートビュー
そして車が渋滞…商店街を歩いている人はほとんどいない。現代だなあ。
時計店の隣の小さな店舗が気になる。その隣は天正堂印輔。
丸越楽器には三味線稽古場の看板が。それぞれの個性的な看板が並んでいた在りし日は賑やかな街並みだったのだろうなあと思った。
靴店の隣の眼鏡屋の文字が遠くからでも見える力強い看板!
眼鏡屋のマルマン。現在も営業中。この感じ、昭和のままだ~!
向かいの銚子信用金庫の隣は、衣料品店のサンリバー小川屋 横芝店。
サンリバー小川屋は本部が横芝光町の店舗で、昭和27年に創立した老舗とのこと。成東、東金、八日市場に支店がある。
カラオケ店は居ぬき物件だろうか。アルペン物件?
訪問時はシャッターが閉まっていたが、岩澤文具店。たばこ、書籍も扱っているようだ。
側面に文字があるが錆びていて読みづらい。元眼鏡屋らしいが。
向かいには藤城時計店。宝石店の系列店だろうか。
旧薬局店のシャッターにヘルスツリーというイラストが描かれていた。
大阪寿司ってなんだろう?
シューズプラザシバタ、営業中。
やま平、とだけある。先ほどの陶器店の系列店?
そして最後に凄いのが残っていた。花月堂本店!
3店舗分ほどの広い店舗。甘味太郎?とおもちゃを販売していたようだが、2012年の時点で閉まっている。
お菓子とおもちゃ、子供向けのお店だったのだろう。
県道沿いを栗山川手前まで歩いたが、比較的営業している個人商店が多くて驚いた。かつての全盛期には劣るかもしれないが、チェーン店や大型店が無かった。
(訪問日:2022年1月)
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良い駅舎ですね。
駅名標、リニューアル?後に再設置されるのでしょうか?国鉄タイプの駅名標なんて、ホントに見ることなくなりましたからね…。
駅前のタクシー会社もローカル駅前のお約束でしたが、ご存知の通りタクシーも廃業多数で、私もこういった景色、見付ければある間に記録に留めています。
この商店街に1980年まで住んでいた者です。
最後の最後でとりあげてもらえませんでしたがこの商店街の栗山川の手前の店が実家で今でも営業しております。
少し前の「おもちゃ、甘味太郎」は友人の家です。
初めてトランプを買いましたし、同じ店主が甘太郎とかき氷、ところてんも注文すればすぐに作ってくれました。店内に3つほどテーブルがあってそこでも食べられました。
かき氷はとろけるような繊細な氷で最初は一杯50円でしたが数年で値上がりし突然150円になって驚いた記憶があります。
文具の岩澤は文具全般を販売しておりずいぶんお世話になったものでした。
横芝は夏祭りも盛況で最後は栗山川に入って終わりです。
お神輿を担ぐときの祭囃子は日本一のサウンドだと自負しており、この祭囃子無くしてどうやってお神輿担ぎで盛り上がれるのかわかりません。
余談ですがこの横芝のお神輿の祭囃子の起源はかなり古く、もしかしたら日本最古の祭囃子ではと見ています。
昔は駅から栗山川までの中間に映画館もありました。
私の祖父母はこの横芝商工会主催で日本中を観光し、70年代には香港まで足を延ばしておりました。
70年代のこの商店街は人で溢れており店という店の前には自転車がたくさん駐輪されていました。
東京は人が増え続けているので今でも発展し続けていますが、こういう田舎や地方は70年代が頂点だったように見えます。
人が80年からどんどん流出してしまったからですよね。
日本の発展も70年代まで、だったようにも感じます。
街中に子供が溢れ、楽しい時代でした。
この商店街によく利用していた理容店があり一人娘の同級生の家だったのですがなんせ一人娘だったので結婚で他家に嫁げば実家の店は閉店するしかありません。
継ぐ子供がいない、少子化ですね。
日本も一国として継ぐ子供たちを増やさなければと思いました。
長文失礼いたしました。
映画館は横芝銀映でしたね。82年頃に見覚えがあります。
東金サンピアの方にもコメントさせていただきましたが、こちらも懐かしくなりまして。
先にコメントされている方がいらっしゃいますが、お花屋さんの方でしょうか。
何れにせよ横中の先輩ですね。花月堂は私もしょっちゅう行ってました。甘味太郎と書いてありますが、今川焼きのことです。
私は商店街ではありませんが、こめやや小川屋、海宝商会等々が同級生です。
笹本医院も風邪をひけば行っていました。
お祭りになれば神輿に水を掛けまくり、自分たちもびっしょりになってました。
駅前からこめやまでは両側に屋台がびっしり並んでました。
40年以上も前のことなのに、何故か記憶が鮮明に戻ってきます。古き良き少年時代の思い出です。
以上、とりとめもなく長々と失礼しました。
toririnoさん、続けてありがとうございます!
地元の方からのコメント大変嬉しく拝見させていただきました。
水かけのお祭りも行ってみたいですね。
また思い出したこと等ありましたら気軽にコメントください♪