横芝光町の旧道沿い「金刀比羅神社」。門前には老舗呉服店や鉄砲漬けの「押尾漬物店」 -横芝⑹

総武本線「横芝駅」から北側の旧横芝町の中心街を歩いている。かつて宿場として交通の要衝でもあった横芝町の旧道沿いには現在も老舗が残っている。
金刀比羅神社周辺も見逃せない。
横芝上町三差路 街並み
千葉県山武郡横芝光町横芝657。上町三差路からのスタート。

三差路周辺は歩道の幅が広い。古い建物を取り壊し、整備されている印象を受けた。

三差路の北に伸びる県道79号を少し歩いてみる。

木造平屋建ての旧商店らしき建物の窓には、東京生命の特約店のシールが残っていた。

そして、斜め向かいには古本・趣味の店「優書房」。今は閉店しているようだ。こういう小さな個人経営の古本屋さん、最近少ない…入りたかった。

商店街の街灯が建っている。この辺りも商店街の一部だったのだろうか。


県道を北へ辿っていくと、旧大総村で伊能忠敬が青年期を過した地域に着く。「伊能忠敬成長の処碑」があるらしいので、今度確かめに行こう。

上町三差路に戻り、旧道を西へ。金刀比羅神社へと向かう。かつて、50年ほど前は金刀比羅神社へ向かい人々で道路が埋まり、商店街も賑わっていたそうだ。


こちらは、京呉服「鈴木屋」。江戸時代から続いていそうな老舗呉服店。

現在は歩いている人も、交通量も少ない。一本南側の新道が出来、商業圏も移動したことが身をもって実感する。

なだらかなカーブを過ぎ、しばらくは空き地や建て替えられた新しい建物が続く。
神社周辺の老舗呉服店、土産物店
そろそろ駅へ引き返したほうが良いのかも、と思っていたら金刀比羅神社が左手に見えてきた。

オレンジ色と緑のレトロな街灯も!これはこの先もまだ期待できそう!と思い、母は神社を、私は先の街並みを分かれて探索することにした。

鳥居の向かいには渋い中華料理店「すしや」。寿司屋ではなく、中華…

ランチ時は常連さんで満席になることもあるらしい。電車の時間が間に合わず断念…

少し急ぎ足になりつつ、遠くからもよく目立つ左手の建物が気になって一目散に駆け寄った。
金刀比羅神社からすぐ西側にある木造二階建てにうっとり。文化財に登録されてもおかしくないほど立派!そして綺麗に保存されている。

着物と帯を扱っている「こさく呉服店」。

看板は綺麗だが、検索しても情報が全然ない…ホームページも見当たらないので閉業してしまったのだろうか。
軒下には電話番号のホーロー看板。電話27番だったことが分かる。

商工会の看板を見て気づいたが、呉服店があるのは横芝町ではなく松尾町。

さらに軒下には、木製の店名看板も。風化して文字が薄くなっているのがなんとも悲しい。

店舗脇の門が開いている。さらに右側には駐車場もある。いつか店内を見学してみたい…

呉服店で本当は引き返すつもりだったが、さらに奥にもお店があるようだったので走って向かった。

すると、なんとびっくり!昔ながらの鉄砲漬けのお店が営業していたのだ。店舗と併設している工場?倉庫のような建物が残っている。

店名は「押尾漬物店」。脇には「ふる里の味 てっぽう漬」の看板が。金刀比羅神社からも近いので、お参り帰りに立ち寄る方も多かったのだろう。

神社の門前として古くから栄え、最後に残る一軒だったのかもしれない。漬物店の周りには同様の元売店のような平屋の建物が残っていた。
そしてもう少し西へ。元旅館のような佇まいの民家。玄関が表だけでなく、脇にもある。

そして斜め向かいには家具店。店名が「アメリカヤ」というのが面白い!


金刀比羅神社周辺の旧道の街並みを詳しく記録している人は少ないのではないだろうか。こんなにも素敵な建物が残っているのに…この場で残しておこう。
金刀比羅神社(松尾町)
山武誌松尾町、旧道沿いにある金刀比羅神社へ。

玉垣には、横綱小綿八十吉の名前が。調べると、初代・小綿八十吉(こにそやそきち)は慶応2年(1866)、現在の山武郡横芝光町で生まれている。

料理屋「岩城屋」を営む家に生まれたそうだ。(その料理屋も気になるが)地元の神社に寄進をした彼は巡業先の博多で47歳の若さで亡くなっている。


金刀比羅神社の歴史については、「まるごとeちば」のページ詳しい。
金刀比羅神社は、創立年代は不詳で八田字の東雲にあります。祭神は、大那持命・大日靈貴命を祀っています。延元2年(1337年)10月に讃岐国に鎮座する金刀比羅大神を奉勧・遷所したものと伝えられています。後奈良天皇の弘治3年(1557年)に千葉氏族の坂田城主井田友胤が信仰して、その霊験により戦功があったため崇敬者増し、寛文年間(1660年代)に八田村200余戸の住民が相談のうえ本殿を再建しました。


金物石油を扱う村田屋本店が昭和49年に創業50周年を祝って奉納した品。

調べると、村田屋本店は上町三差路の近くで現在も営業していた。

皇紀2600年記念で建てられた鳥居。神武天皇即位から2600年を祝った行事で、昭和15年(1940)建造と分かる。
芝山鉄道延伸連絡協議会の看板
金刀比羅神社を後にし、国道126号へ出た。やはりこちらは道幅が広くて交通量も多い。先ほどまで歩いていたかつての国道と比べてしまう。

そして、芝山鉄道延伸連絡協議会の看板。芝山~横芝~松尾~蓮沼。夢の路。

芝山鉄道延伸連絡協議会、調べると「芝山町のホームページ」にも記載があった。
芝山鉄道延伸連絡協議会(芝山町・横芝光町・山武市で構成)では、芝山千代田から蓮沼海岸間の鉄道延伸の早期実現を目指しております。
鉄道延伸までの間、その暫定措置として地域住民の交通利便向上を目的に「成田国際空港」と「横芝屋形海岸」を結ぶ空港シャトルバスを運行しています。
早期実現……
そしてもう一つ看板が。
白砂青松ー海浜都市ーへのロマンを運ぶ
芝山鉄道の延伸を実現させましょう
県内はJR久留里線も赤字で話題になっているけど、延伸が実現する未来は訪れるのでしょうか…
(訪問日:2022年1月)
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