「京成八幡商美会」”荷風の散歩道”永井荷風ゆかりの街

京成八幡駅。前回紹介した南口や本八幡駅周辺は再開発で綺麗な街並みが増えているが、京成八幡駅北口にはまだ古くからの商店街や建物が残っており、歴史を感じることができる商店街でした。
京成八幡駅北口へ
千葉県市川市八幡3丁目。京成本線「京成八幡駅」北口へ。駅の開業は大正4年(1915)なのでかなり古い。

駅周辺の菅野や八幡の地域は、江戸時代から豪商や富豪の別荘地として栄えた高級住宅街。小説家の永井荷風も晩年、駅の近くに住んでいたと言われる。
前回紹介したように、南口は再開発で高層ビルが建っているが、北口は昭和の雰囲気が現存。

だが、シャッターが閉まっている建物が多いのでもしかしたら北口の風景も長くはないかもしれない。

手前は居酒屋「竹千代」、奥がスナック「美奈」。

2階へと通じる階段。「三味線稽古場」と看板が出ている。
中華料理屋さん、電気屋さん、クリーニング店…駅を降りたら生活に必要な商店街が形成されているのだ。

ちなみに、北口にある日本料理店「大黒家」は永井荷風の行きつけだったという。
日本最高の日記文学と称される「断腸亭日乗」にも度々「大黒家」の記載があり、亡くなられた前日にも大黒家の「カツ丼」を召し上がっていたとか。
営業している当時の様子→「永井荷風が食べたカツ丼はノスタルジー」
2017年6月をもって閉店。現在は市進教育グループが運営する「大人の学び舎」として建物が利用されている。
ホームページに由来が書いてあるが、市進学院は1965年に市川で生まれたそうで、同じ市川で歴史を重ねてきた大黒家の1階に学びの場をオープンしたという。
歴史ある日本料理店の建物を大人向けの講座で利用するのはとても興味深いと感じた。
京成八幡商美会
踏切から北へ伸びる商店街が「京成八幡商美会」。

2009年、踏切近くの古い商店。現在は駐車場に。
「荷風の散歩道」と名付けられた飾りの旗が街灯に。京成八幡駅から葛飾八幡宮、白旗天神社らが永井荷風が散歩したという道。
昭和32年(1957)に市川市八幡町、駅のすぐ北側に家を建て、晩年を過ごしたという永井荷風。商店街には今もその歴史が残っている。

2009年と比べると、お店の数も減り、改装した建物も多い。
うなぎの「三由」は昔から変わらず。隣は元豆腐店。

「三谷牛肉店」。外観は新しいが古そうなお店だ。

その向かい側には和菓子屋「かつしか堂」というお店があったようだが、現在は面影が無い。
また、永井荷風の終焉地の地は八幡3丁目25-8とあるが、当時のまま建物が残っているのかはわからない。現在は個人宅となっているので詳しいことは不明。

自動販売機たばこ。レトロな看板だけ残っている。

こちらは文房具店「平和堂」。向かい側にある市川市立八幡小学校は明治6年(1873)開校と知って驚いた。

学校の入り口正面にあるのは、元商店だと思う。昔は賑わったのかな。

八幡商美会。素敵な名前だな~

交差点で京成八幡商美会はおわり。平日の午後、学生や近所の方の人通りが多くて割と賑やかな道だと感じた。

永井荷風が暮らした街。
そういえば、駅前にある古本屋に立ち寄ってみると、永井荷風に関連した書籍が多かったな~
(訪問日:2021年5月)
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写真の学校の前にある「元商店」は文房具店でした。確か、年配の女性がいらしたのを覚えています。文房具店のかたわら、三味線とか教えていたと思います。
いまは整骨院になってますが、小学校の並びには、昔ながらの履物店、中華料理店(ディスプレイの重ねたシュウマイがおいしそうだった)がありました。
年をかけて、少しずつお店が入れ替わっているのですね。
なるほど…!三味線ですか。想像するだけで素敵です…