八千代市島田~吉橋探索。消えた大杉大明神の初ばやしと牛舎

八千代市島田~吉橋探索。消えた大杉大明神の初ばやしと牛舎

八千代市内の寺社仏閣&史跡巡り。前回の続きで八千代市島田~吉橋を巡り、廃墟となった神社や牛舎が印象的な回でした。

島田大宮神社(八千代市島田)

千葉県八千代市島田1140。前回は、二宮金次郎像を目的に八千代市立睦小学校を訪問した。そのまま、北側をぐるっと探索。大きな長屋門に風情感じる。

長屋門

現在はの地名は島田台だが、かつては島田。角川書店『日本地名大辞典』によると、鎌倉期から嶋田村として地名が存在するようだ。江戸期から明治22年には島田村。また、享保10年将軍徳川吉宗による小金牧での鹿狩に際して、12人の勢子人足を差し出している。

島田が立地する台地が開かれたことから、現在の島田台に。神社は大宮神社。

島田大宮神社

民家と民家の間の道の奥にあるのが大宮神社。参道の階段を登っていると、気配を感じたのかすかさず隣の家の犬が吠え始めて焦った。

ちょっと急な階段

高台の上にある神社。公民館?と思ってしまったがこちらは拝殿のよう。

拝殿

隣には、平成20年に拝殿が新築されたという記念碑。だからこの姿なのですね~

拝殿新築記念碑

拝殿の裏には本殿。こちらは昔の姿でほっとした。

本殿
小さな狛犬

昭和59年の大宮神社改築記念碑。その理由は、昭和58年7月27日午後4時半頃、雷雨、降電を伴う暴風の為、境内の御神木の倒伏に依り全壊したので、改築を竣工したとのこと。

大宮神社改築記念碑

なかなかな災難… 事細かに事情や氏子一同で協議と記載されている辺り、信仰が強いことが窺える。

現在の本殿

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消えた大杉大明神(吉橋)

千葉県八千代市吉橋2466。次は、少し西へ移動して八千代市吉橋へ。途中、県道沿いで八千代市立睦中学校を見かけた。昭和22年創立。

八千代市立睦中学校
正門

睦橋を渡って、目的の場所へ。グーグルマップで偶然見つけた神社なのだが、その姿が衝撃的で気になっていたのだった。

八千代市吉橋

旧勢至堂の寺台公会堂近く。

公会堂近くの石碑

車がすれ違えないほど細い道を進むと見えてきたのが、大杉大明神。

大杉大明神

木製の柱が建っているが、こちらが大杉大明神の鳥居。Googleマップのストリートビューを見ると、2014年以降、この姿に。鳥居の傍には石灯籠も無残な形で倒壊している。

現在の姿

参道も分からないほど雑然としており農作物の姿も見えるので下手に歩けない…

2011年のストリートビューを見ると鳥居の姿と参道に沿って高い樹々が存在したことが分かる。

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初ばやしから大杉神社を探す

茨城県阿波大杉神社の分社とされる大杉神社だそうだが、八千代市吉橋の大杉大明神について、ネットで検索してもあまり情報が無い。

が、2010年に執筆されたBeachで坪井さんによる投稿が気になった。坪井さんプロフィールについては「坪井近隣の郷土史を坪井地区自治連合会の回覧板コラムで紹介しています。多くの方に出会いお聞きした聞き書き集です。」とのこと。

船橋市坪井の初ばやしという行事から、大杉信仰まで興味深い話が記載されているので一部引用します。

坪井には、初ばやしという正月行事がある。正月に子供みこしが家々を回り、厄除けを祈願する。ご神体は今は二宮神社であるが、本来は霞ケ浦の大杉神社であり、以前は、子供神輿が「あんば大杉大明神 悪魔払ってよーいやさ」と唱え、家々にお札を配った。
屋敷裏に大杉神社を祭る家があり、今でもこの神社前で必ず神輿をもむ。この神輿のもみ方は、地面すれすれまで下げてもむ。「地ずり」という銚子など沿岸の地区で行われるもみ方に似ている。吉橋の大杉さまは肩より上でもむが、地区の境で神輿を隣に引渡すときは、腰より下でもむ。集めた悪魔を振り落とすかのように。
八千代の郷土資料館に尋ねた。「吉橋の大杉さまは、毎年竹で作った神輿を奉納していたが、神社を覗くと、ここ数年、新しい神輿が奉納されていない。中止されたようだ。」

2010年時点で、数年前から吉橋の大杉様は神輿の奉納が中止されている様子。

初ばやしは、船橋では坪井、金掘、楠ケ山、大穴、ハ木ケ谷で行われ、八千代では吉橋などで大杉さまと呼ばれて、同様の祭が行われていた。これらの地区は、中世に、吉橋城を中心として高城氏が坪井城などの城郭を支配した地区とほぼ一致している。

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海の神様を祭る初ばやしの行事は、これらの漁師の長が持ってきた庶民信仰か。今は坪井でしか行われない行事になった。

記事の最後に、平成3年(1991)の八千代市教育委員会による吉橋の大杉さまの映像が掲載されていた。いずれこのページ自体が無くなってしまう可能性も高そうなので普段はしないけれど今回は写真を引用させていただきます。https://www.beach.jp/circleboard/ac92454/topic/1100092657120

平成3年吉橋の大杉さま くぐっているのが竹と杉でできた神輿

また、ここから出てきたキーワードで検索していると「伝承の祭り」というこれまた古そうなページが出てきた。

1月に開催される吉橋地区の大杉様について写真付きで紹介されている。こちらも同じく資料として残すために写真も引用させていただきます。http://park17.wakwak.com/~aoki2/maturi/densyou.htm

「祭り」は子供たちの成長願う地域社会の重要な行事でもありました。この吉橋地区の「大杉様」も「悪病除け」の祭りですが、子供たちの役割も重要な祭りで杉の葉で作成した神輿をかつぎムラの1件いっけんを回り、悪病除けを祈願する祭りの様です。本来1月27日に行われていたが、子供たちが参加し易い1月第4日曜日に行われているそうです。

大杉様の様子
(七歳までは神の子より)
大杉様の神輿(杉で作成) (七歳までは神の子より)
吉橋の大杉神社鳥居 (平成14年8月25日撮影)
吉橋の大杉神社 (平成14年8月25日撮影)

平成14年(2003)は鳥居も健在だったことが分かる。

また、2020年に訪問しているブログを見かけた。「今更ながらの・・・人在日本身不由己」さんの「地域歴史散歩 吉橋地区 ⑧ 高本の弁天宮から古峯神社へ」より。

平成14年当時は未だ、上の写真のように通りに面した素木の鳥居をくぐり参道を左に曲がると本殿が見えたそうだ。
18年の歳月ですっかり荒れ果ててしまい氏子たちも四散してしまったのかもしれない。
雑木林と藪に囲まれた静かな社で、本殿左には安永4(1775年)未2月吉日と入った稲荷大明神の祠が鎮座していたとある。

参道の姿は見えないが、奥の方に隠れている本殿を探してみた。

参道跡

全貌が確認できないが小さな社が残っていた。

こちらは屋根の形から別の祠?とご指摘ありがとうございます!

藪の中に
近づけない

地域のお祭りがコロナ禍で伝承されにくく…というニュースも度々聞くが、ここの話は少子高齢化が原因なのか自然災害か、10年以上前に途絶えていたことからも文化を継承する事の難しさを目の当たりにした。

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消えた牛舎と八千代市の酪農

おまけで、大杉大明神の隣には廃牛舎がある。

廃牛舎

千葉県の南房総が日本酪農発祥の地として知られているが、八千代市も酪農が盛んで2020年現在、「千葉北部酪農農業協同組合」に加盟している酪農が23戸。

八千代市の酪農の歴史については、「高橋会計事務所」のサイト「八千代市の歴史&見所」にまとめられている。

八千代市も主要な生乳生産地です。
人口19万人を超え、都市化が進む八千代市ですが、22軒の酪農家が1,110頭の牛を飼育しています。

八千代の酪農は、昭和初期に乳業会社系列の牧場が東京から移転してきたことから始まります。
理由は”比較的広大な土地を確保できる事
出荷するための交通の便がいい事”
などから八千代市が選ばれたようです。そのため、多くの牧場は成田街道沿いや八千代台、吉橋、高本地区にありました。

昭和初期にはじまった八千代市の酪農。確かに以前は成田街道沿いでは酪農の匂いがしたし、八千代市内を探索していると今でも牛舎をよく見かける。

昭和37年には200軒近い牧場がありましたが、
その後、
?牧場周辺の急激な都市化
?後継者の不足
?生乳価格
の低迷などの理由により徐々に減少しています。
しかし、新たな場所に移転し、さまざまな工夫をしながら経営を続けている牧場もあります。
(広報やちよ1.1より)

最盛期の200軒から現在の20軒ほどに。

ここ、吉橋の廃牛舎も時代の変化とともに淘汰されたのだろうか。

塀が一部残っていた。神社の隣で放牧していた様子が想像できる。

塀が残っている

通り道に面した牛舎。普段は自由に見学することもなかなか無いので貴重な機会でもあった。

そういえば、先ほどの大杉様の映像で映っていた社?建物は見かけなかったが、解体されたのだろうか。牛舎の裏に赤い鳥居を見かけたが、そこが跡地とか?

赤い鳥居が空き地に?

消えた神社。建物だけでなく文化も消えてしまう。
こんなに長く書く予定ではなかったが、しっかり記録に残さねばと思い長文になってしまった。

 

 

 

(訪問日:2022年3月)

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