八千代市の「関東大震災朝鮮人犠牲者慰霊の碑」。高津観音にて

八千代市の「関東大震災朝鮮人犠牲者慰霊の碑」。高津観音にて

八千代に、関東大震災朝鮮人犠牲者慰霊の碑があるのをご存知でしょうか?

教科書でも習う、朝鮮人虐殺の歴史は決して遠い歴史ではなく、千葉県でも各地で記録が残っている。そして、今回訪れた八千代市高津でも…

風化させてはいけない、大事な歴史を多くの方に知って頂きたいです。

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高津観音・「不許葷酒入山門」

千葉県八千代市高津1347。高津比咩神社の東側にある高津観音に立ち寄った。

高津観音参道

参道右手にある碑は「不許葷酒入山門」とある。葷、初めて見た漢字だったが皆さんは読めるだろうか…

調べると、葷(クン)=くさい、なまぐささ。臭いの強い野菜や辛い野菜の総称とのこと。

「葷酒(くんしゅ)山門に入るを許さず」となると、ニラやニンニクなどの臭い野菜やお酒をもって山門に入ることは許さないという意味と考えられる。

この碑は、高津観音特有のものではなく、よく禅宗の寺の門前に立つ結戒の一つらしい。

高津観音山門

臭気の強い野菜は他人を苦しめるとともに自分の修行を妨げ、酒は心を乱すので、これを口にしたものは清浄な寺内にはいることを許さないという。

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関東大震災慰霊の鐘「普化鐘楼」

高津観音から坂を登った墓地の中に、鮮やかな鐘撞堂がある。これが「普化鐘楼」という、関東大震災慰霊の鐘だ。

「普化鐘楼」

大正時代末期、関東大震災直後の混乱の中、「朝鮮人が略奪や放火をした」などの流言が広まり、罪もない6千数名もの人々が虐殺された。

この残虐な歴史は教科書にも載っており、周知の事実だと思う。が、この場所に訪れるまで自分と関係のない遠い歴史だと思っていた。

朝鮮風の鮮やかなデザイン

高津では、近くの習志野にあった軍隊の命令によって朝鮮人を6名虐殺している。彼らは、震災後に軍の施設に収容されていたが、周辺の村に下げ渡して手を下させている。

震災後、40年ほど経ってから古老2人によって犠牲者が眠る地に塔婆を建てるようになり、習志野市や八千代市の中学校教員や中学校の「郷土史研究会」というクラブの学生らとともに、聞き取り調査をはじめた。1978年に「千葉県における関東大震災と朝鮮人犠牲者追悼・調査実行委員会」が結成。

その成果をまとめたものが1983年に『いわれなく殺された人びと』として刊行されているので詳しい実情が知りたい方はぜひ読んでほしい。

 

現在も、毎年高津山観音寺では慰霊祭が開催されている。韓国風の鐘撞堂は、1983年に韓国で募金を募り韓国風で製作し、韓国から日本に運ばれてきたものである。

慰霊の鐘

慰霊の碑の下には、証言によって掘り出された虐殺された人々の骨が眠っているそうだ。

鐘撞堂内には説明看板も設置されている。

普化鐘楼 建立文

〈普化鐘楼 建立文〉
一九二三年九月の関東大震災の際に無残に死んでいった韓国人の魂を慰めるために、ここ高津観音寺の境内に普化鐘楼を建て、この慰霊の鐘を奉献した。韓国十三の市・道の土を集め、韓国の瓦と木材、そして韓国式丹青で真心を込めて建てたこの鐘楼は玄界灘を越えて今この場所に立っている。あのむごたらしく暗い歴史は、あの日の悲鳴と共に埋められてしまい、魂はそのままにされてきた。しかし、ここ観音寺のニ代に亘る住職が慰霊の塔婆を立て、また多くの市民グループが自国の恥部を掘り起こす作業をすることにより、失われた歴史は再び明らかにされたのだ。いわゆる「朝鮮人襲撃」の噂の虚構性も、記録するのをはばかられる狂気の真相も、半世紀が過ぎて再び世の中に姿を現した。
しかし、現代の韓国人はその暗い歴史を憎みはしても、今日の日本や日本人を咎めたくはない。むしろ歴史を正視し、その歴史の前に謙虚な日本の友人にありがたいとさえ思う。
独立四十周年、韓日国交正常化二十周年である今年、この小さな鐘を捧げながら私たち現代の韓国人は感慨無量である。この習志野の野原の静かなこだまが総ての韓国人と日本人の胸に刻まれ、お互いに熱く手を取り合う震源になることを願いたい。この鐘の音を共に聴きながら 六十三年前の悲しい歴史を共に想い、その多くの犠牲者の痛みをも共に分かち合い、今日の韓日の相互理解と相互尊重を共に誓おう。
一九八五年九月一日
関東大震災 韓国人犠牲者
慰霊の鐘 建立委員会

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千葉県各地で起きた虐殺事件

八千代市だけでなく、船橋市、市川市、我孫子、野田市など千葉県各地で同様の事件が発生した歴史がある。

船橋市の馬込霊園内には、関東大震災犠牲同胞慰霊碑が建立され、毎年追悼式が行われている。船橋市では53人の朝鮮人が殺害され、元々は火葬場があった船橋市本町に碑が建っていたそうだ。

鐘撞堂から見た眺め

また、2022年9月8日の朝日新聞にも関連する記事が載っていた。

「福田村事件」から99年 人権侵害・差別「問題は解決していない」
千葉県野田市、香川県から来た薬売りの行商らが地元の自警団によって虐殺された福田村事件。

朝日新聞より

この事件について、映画監督の森達也さんが劇映画の制作を進めており、震災から100年となる来年の公開をめざしているとのこと。観たい。

また、千葉市の旧検見川町でも秋田、三重、沖縄の各県民の3人が自警団によって虐殺される事件があったという。被害に遭っていたのは朝鮮人だけではない…

朝日新聞より

今まで生きてきて全然知らなかった。風化させてはならない差別の歴史。

千葉県内の歴史を調べる中で、明るい歴史だけではなくこうした暗い過去も記録に残していきたい。

 

(訪問日:2021年12月)

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