「血流地蔵道」道路元標を辿って。吉橋八幡神社・商店街・睦村道路元標
この日は、八千代市の歴史探索に出かけようと思い、気になる名称の道標「血流地蔵道」からはじまり、北へ進むと、由緒ある神社や睦村の道路元標に辿り着いたのでした。
八千代市「血流地蔵道」道標から辿って
千葉県八千代市大和田新田。国道296号沿いの新木戸交差点の角に、「血流地蔵道」道標という少し物騒なものがある。
八千代市歴史散歩コースEコース⑤に該当する。Eコースの説明はHPから以下の通り。
本コースは、八千代市の南西部にあって、江戸時代の馬牧「下野牧」との境である「新木戸」から大和田宿までの間の、成田街道沿いに開かれた大和田新田を巡るエリアです。
詳しい説明看板も設置されていて嬉しい。
看板によると、この道標は貞福寺の本尊とされた「血流地蔵」を案内する道標とのこと。江戸深川の人達によって、享和3年(1803)に建てられた。
血流れ地蔵は、吉橋城落城伝説にちなむものだという。
道標は見ての通り中央で分断されているが、以前は下半分が地中に埋まっていた。
平成12年度に八千代市郷土歴史研究会の人々によって、江戸時代の貞福寺参詣の貴重な資料として注目され、掘り起こし、復元設置された。
地元の郷土歴史研究会によって蘇った道標。素晴らしい活動ですね!
また、この日は撮影していないが、道路向かいには立派な「成田山」道標も。そちらは近年、歩道側に倒れ掛かっているので心配だ…(2022年11月現在、撤去されてしまいました)
国道296号から分岐して木下街道を北へ4キロメートルほど進んだ吉橋に貞福寺があるとのことなので、目指してみよう。
途中の板塀がある立派な邸宅が昔の面影を唯一残していると思った。
その先には、イオンモール八千代緑が丘店。この辺りはイオンモールへと向かう車で混雑している。
東葉高速鉄道を超えた北側には、メガセンタートライアル八千代店。
ボウリングやカラオケなどで遊べるキャッツアイ八千代店も併設。
ここから先は工場が多い。道沿いにはラーメン屋「チャルメラ八千代2号店」お食事処「うさぎや」というお店があった。
吉橋八幡神社
木下街道を北へ。
木下街道沿いにある「吉橋八幡神社」は街道のカーブ沿いにあるので、旅人の目印になったことだろう。私も立ち寄る。
個人的に気になったのが、社殿の裏手にある本殿。
フェンスで囲われている。あまりにも立派な彫り物で見惚れてしまった。私は神社に詳しくないので、彫刻については「神社に隠れていたモノ」というブログの方が詳しくまとめていて勉強になる。
先ほどのブログによると、背面の彫刻は「強弓を引く源為朝」とのこと。
神社の西側、ふと見たら「高橋洋品店」というお店が。裏の主屋も素敵だ…
洋品店には、「八千代スタンプ加盟店」の看板も。商店街の加盟店だったのだろうか?周辺では見かけなかったので、今は解散しているのだろう。
もしご存知の方がいたら教えてください!
さらに街道を北へ、右手に稲荷神社があった。以前は大木が道路側まで根を張っていたが、撤去されて整備されたようだ。
近くには元茶屋のような佇まいの木造平屋建て。軒下に長椅子があり、旅人が休憩している様子が目に浮かぶ。
こちらは二階建ての元商店らしき建物。二階の手摺も素敵。元旅館といってもおかしくはないほど魅力的な建物だな。
貞福寺・尾崎館跡
木下街道から貞福寺へは長閑な風景が広がっている。
江戸時代に「血流地蔵道」として江戸からも信仰を集めた貞福寺では、貞福寺近くに旅館や茶屋が存在していたとしてもおかしくはないかもしれない。もしかしたら先ほどの二軒は…?
撮影しなかったが、並びには酒や食料品・雑貨を扱う小川屋商店もあった。参道の面影だったのかな。
真言宗豊山派寺院の貞福寺は、文化4年(1807)に吉橋大師八十八所霊場を開創。私が訪れたときは、地域の方々が集まって談笑していて穏やかな時間が流れていた。
その後は東側の「尾崎館跡」という吉橋城の付属施設?を探したがよく分からなかった。でも、良い景色が見えたので良かった。
この辺りは牛舎が多いので、牧場ならではの自然の匂いがする。
住宅街の分岐の角にある碑は、左手にある堀込薬師堂 吉橋大師 第八十八番を案内する道標のようだ。
側面に、指差ししているイラストが描かれていた。
反対側には、きくは?(読めない)みちと道案内も。文政7年(1824年)建造。
墓地の敷地内にある堀込薬師堂。
墓地の中央に建つ御堂は比較的新しいので後年建替えられたものだろう。
睦村道路元標
引き続き、木下街道に戻って北上。途中に馬頭観世音と道標があった。
八千代市立睦中学校の近くの分岐。道路ギリギリだが、保存されている様子。
「左 ふなばし」道標としての役割も果たしている。
右は読みづらい~
日蓮宗 長唱寺沿いに並ぶ石碑群は圧巻。車で通ることはあっても、じっくり見る機会はなかなか無さそうなほど交通量が多い。
暗くなってきてギリギリ、睦村道路元標に到着。
電柱の前に建っているが存在感は薄い。
道路元標は、大正期に各市町村に1個設置された道路の起点、終点を示すものである。各地に残っているので地道に記録していきたい。
(訪問日:2021年12月)
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