「八街銀映」閉館してから40年廃墟の昭和の映画館の建物が美しい… -八街⑻
八街には昭和の映画館の建物が今もなお残されている。
その名は「八街銀映」。閑静な住宅街の中にある建物は圧巻だった。初めて昭和の映画館を生で見ることができて感無量。
八街の昭和の映画館を探して
千葉県八街市八街。八街の映画館跡地について記載している人は多いのだけれど、詳しく住所を載せている人がいないのは、配慮してだと思う。
一方で、映画館跡地を探すのに苦労した。探索の前日、夜遅くまでストリートビューで探しながらやっと見つけたのだった。もし建物が取り壊されて無くなってしまったときのために、ここでは一番下の地図に記録しておこうと思う。
だが、冷やかしで訪れるなど近隣の迷惑になる行為は避けてください。この建物を残すためにも。
「八街銀映」の歴史
昔、八街には映画館が3か所もあった。「消えた映画館の記憶」さんに詳しく載っている。
開館年が昭和25年(1950)。閉館年が1980年~85年とある。「八街銀映」と「八街第二銀映」が隣同士で並んでいたそうだ。
『佐倉・四街道・八街の100年』には「八街銀映」は火事で焼失したと書いてあるが、現存している建物は第一。
さらに3区に、「中央劇場」があった「まちBBS」に書いてある。正しいかわからないが、サイゼリヤの斜め前、国道409号を挟んだ場所、「丸山自動車」のところが映画館の跡地を利用しているという話もある。
建物の横を覗くとまだ映画館の名残が見えるらしいが…?
この話についてはまた調べたい。
昭和50年~57年までは、「日活映画上映専門館」、ロマンポルノ、夏は子供向けに「東映まんがまつり」などが上映されていたらしい。
八街銀映の現在
昭和の映画館を実際に見るのは初めてだったので、大興奮!
入り口は閉鎖されているが青いタイルが美しすぎる…
ポスターとかが貼られていたのかな。
入り口の横にある小さな窓は券売所?
入り口は固く閉じられている。40年近く放置されているのかな…
建物の上部には赤いタイルの装飾も。今もなおタイルが綺麗に残っているのが素晴らしい。
映画館の隣には民家の建物があるが、所有者のものだろうか?繋がっているようにも見える。
映画館はとても大きいので、広角レンズでの撮影がぴったり。
正面から。2階にも窓がある。青いタイルの壁がキラキラと輝いていた。夢のような時間だった。
銀栄アーケード
映画館の向かい側にある平屋の建物は、「銀栄アーケード」と呼ばれる商店街だったそうだ。
映画館と同時期に賑わっただろうと思われるが、詳細はわからない。
千葉県内に唯一残る昭和の映画館の建物では?と思うくらいに、全国的にも廃墟のまま放置されているのは珍しい。
隣は広い駐車場。
当時のことを知っている人に届くと嬉しいな。
映画館の裏側は…
八街銀映の裏側。かなり悲惨だった。
正面は綺麗だったが、裏はギリギリの状態。これはもしかしたら取り壊されるのも近いかもしれないな~
周りは普通の住宅街なので台風とかで飛んだら危険だ。
また、隣には古い建物があったが、映画館と同時期くらいだろう。
飲食店とかがあったのでは?今は倉庫になっている。
貴重な映画館の建物。
これからどうなるんだろう。建物内はそのまま残されているのだろうか。一度見てみたいな…
(訪問日:2021年2月)
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八街の映画館、銀映さん懐かしいです。昭和40年、小学校4年生まで八街にいました。当時はガメラなど怪獣映画を見に行きました。正面入り口右側のタイル壁に、映画のプレス写真の入ったガラスショーケースがありました。前のお店はあまり記憶していませんが、レコード店がなかったなかなぁ?横の広い駐車場も記憶がないので何かお店があったのでは?
八街には今はもうないようですが、すずこうのピーナッツの工場がありました。どうなったんでしょう?あのすずこうさんは、、、。
山岸さん、コメントありがとうございます!ガラスのショーケースがあったのですね。なんと、隣にも建物が…当時の写真などがあまり無いので情報助かります。
コメント失敗してしまいました
銀行駐車場のフェンスは無くて通り抜け出来ました
右にプールがあって習字を習っていました
銀映の隣は千葉薬か何かになった時がありました
火事の時は夜だったのでパジャマでバケツリレー
消火に協力しました
アーケード出口に小さなおでん屋さんがあり
買い喰いしてました
アーケードのトイレは上にタンクがあり
鎖を引くと水が流れる水洗トイレでした
当時は珍しかった
アーケードは映画館の廃止とともに全て終了したわけではなく、一部店舗は映画館廃止後も継続して営業していました。
少なくとも廃止後も5-10年は営業していましたよ。
残っていた店舗はタバコ屋とか八街で唯一の宝くじ売り場でした。
銀英の左隣りは「千葉薬品」という名前のスーパーが営業してました。
昭和40年代中ば〜後半の開店だったと思います。
それ以前は何があったか知りませんが、映画館だった可能性はあるかもしれません。
スーパーは大変繁盛していましたが、わずか数年後に火災で全焼してしまいます。
出火原因は当時不明だといわれてましたが、火災が起こったのは閉店数時間後くらい
スプレー缶が時々爆発して何キロも離れた場所からも赤い空が見えたそうです。
右隣りは、八街を開発した有力者の事業所だったような記憶があります。
映画館経営にも関係していたかもしれません。
この火災の前から、向かいの謎の商店街は通行可能ではあったもののもぬけの殻状態でした。
僕らの頃は仲間内ではトンネルと呼んでましたが、トイレなんかホラー映画級の怖さがありました。
県道側にショボいゲームコーナとその向かい管理もしてたよくわからないお店
幸町商店街側に向かって右にカメラ屋でその外側の隣には夏はかき氷でそれ以外の季節はおでんと焼き鳥のお店(当時の小学生の買い食いスポット)、そして左側にレコード店がありここだけは昭和50年代も営業してました。
レコード店がCDとの入れ替わりの頃に閉店し、そして完全に閉鎖されたと思います。
全盛期は昭和30年代くらいだったのかなぁ…
あぱさん、コメントありがとうございます!八街唯一とは…!その後も営業されていたのですね。
詳しい情報ありがとうございます!スーパー確かに存在したのですね。ホラー級の商店街、トイレがどんな物だったのか凄く気になりますね笑