薬円台「田中豆腐店」明治創業の老舗の歴史から薬円台を知る -薬円台⑹
美味しい豆腐屋さん。皆さんは普段、どこで豆腐を買いますか?スーパー?安いところで買ったり、豆腐なんてどこでも一緒と思っていたら間違い!
薬円台にある「田中豆腐店」は、明治時代からつづく老舗店。しかも、地名のゆかりのお店でもある。
薬円台「田中豆腐店」へ
千葉県船橋市薬円台5丁目22-2。新京成「薬円台駅」から国道296号へ向かう。徒歩10分くらいだろうか。街道沿いに古い小さな店舗が見えてきた。
建物が古そうでテンションが上がる!昭和ガラスもとても綺麗に残っているな~
豆腐屋の暖簾。最近、豆腐屋も閉店しているお店があるので今の内に記録しておかなければと思っている。
店頭販売もしている!これは入ろう!日曜日が定休日のようだ。
関東豆腐連合組合というものがあるのか、右下に書いてあった。
屋根の側面に「桐山」の文字。あれ、田中なのに?と思う方は感が鋭い。後で謎を解明しよう。
田中豆腐店の美味しい豆腐
店内に入ると、小さなケースに豆腐が販売されている。
入り口に値段表があるが、絹豆腐1丁145円。他にも色々な種類が手作りされている。
おぼろ豆腐屋、ごま豆腐は普段あまり見かけないので気になる。
「おぼろ豆腐や醤油、ごま豆腐はワサビ醤油をかけると美味しいよ」と教えてくれた。
昔から変わらない製法でつくる豆腐。
地域に住む方からの評判はかなり高い。駅から離れているのに、なぜだろう?
その背景には、田中豆腐店と薬円台の歴史が繋がっていた。
田中豆腐店と薬円台の歴史
薬円台の歴史は江戸時代に遡る。
東京の小石川の薬草園が、江戸幕府の命を受けて薬円台の地につくられた。
その時に、幕府御医師浪の丹羽正伯と日本橋の薬種商の桐山太右衛門によって設立されたことから、「正伯新田(しょうはくしんでん)」などとも呼ばれる。
桐山家は田中家から養子を得たため、田中家も桐山の屋号を使用しているそうだ。
豆腐屋として始めたのは、明治時代。現在は、4代目の店主と兄弟で経営をしている。とても気さくな方で、薬円台の歴史を含めて色々なお話をしてくださった。
「機械は新しいものが開発されているが、昔からの製法に合わない。だから今の機械を大切にしている。」100年以上変わらない味がここにある。
「習志野原」と描かれた展示物は、明治天皇が演習に訪れた際に習志野原を命名したもの。
田中豆腐店も、以前は軍の施設や自衛隊に豆腐を納めていたようだ。
現在、田中豆腐店は数店舗に卸しているが、気になる方は店舗に足を運んで見てほしい。習志野駅前のスーパーでも販売している。
今回購入した豆腐。おまけで、おからや油揚げまで頂いてしまった。なんて優しいんだ。
ごま豆腐は、スイーツを食べているような感覚。普段、豆腐を意識して買ったことはないが、こういう老舗の豆腐はやっぱり違うんだな~
建物も、60年以上の歴史があるという。昭和から変わっていないようだ。
今回はさらっと書いたが、周辺の歴史も含めて取材したら面白そうだな。
有言実行して、地域新聞で記事を書きました。
【船橋市】「田中豆腐店」薬円台の地名と関係が深い老舗豆腐店の秘密に迫る
田中豆腐店の隣にも、古そうな茶色の外観の建物。商店だったのかな~
店主がかなり薬円台地域の昭和を覚えている様子だったので、また今度お話を伺いに行こう。
船橋市郷土資料館の写真に、桐山太右衛門の墓碑の写真があった。
昭和14年(1939)の騎兵学校の拡張により、現在の墓地へと移転したらしい。
後継者はおらず、「豆腐店をやめるときが来るかもしれない」と店主が話していたのが切なかった。
「豆腐屋はどんどん数が減っていくだけで増えることはない」「閉店するのは後継者不足だけでなく、豆腐屋に続けるだけの魅力がなくなってしまったのではないか」。地域新聞で深く取材をしてよかったと思った。多分、こんなにこのお店を深く知ろうとしているのは私だけだろう。
気になった方はぜひ足を運んでほしい。
(訪問日:2021年4月)
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先週末に買い物をした際に、2024年11月末を以って閉店することを知らされました。
内外間お世話になったお店がやめてしまうのでとても寂しいです。
お店の皆さん、長い間お疲れさまでした。