松戸「二十世紀ケ丘商店街」~北総線「矢切駅」周辺の商店街 -矢切⑴

松戸「二十世紀ケ丘商店街」~北総線「矢切駅」周辺の商店街 -矢切⑴

松戸で気になる商店街がある。「二十世紀が丘商店街」だ。地名の由来も気になるので一度歩いてみようと思った。その後は、北総線「矢切駅」付近に広がる商店街へ。

松戸「二十世紀ケ丘商店街」

千葉県松戸市二十世紀が丘萩町235−1。北総線「北国分駅」と「矢切駅」の北側に並行している通り沿い。

「二十世紀が丘商店街」の歓迎の柱が建っていた。

ようこそ~

よく見たら、柱の上には梨のモニュメントも。二十世紀梨、聞いた事がある…

松戸市のホームページには「松戸が二十世紀梨発祥の地です」と紹介されている。

二十世紀梨は、明治21(1888)年に大橋村(現在の二十世紀が丘梨元町)で、当時13歳の松戸覚之助少年によって発見されました。この梨は二十世紀を代表する品種になってほしいという期待を込めて、明治37(1904)年に「二十世紀梨」と命名されました。

現在では鳥取県が全国一の生産量を誇り、二十世紀梨誕生の地である二十世紀公園(二十世紀が丘梨元町24)には記念碑や、鳥取県から贈られた感謝の碑が立っています。

柱には地名の由来が詳しく記載されていた。

二十世紀が丘の由来

昭和55年(1980)に松戸市の区画整理事業により、この一帯約60haを二十世紀梨発祥の地から二十世紀が丘と命名したそうだ。7つの町(梨元町・丸山町・萩町・柿の木町・美野里町・戸山町・中松町)で構成されている。

二十世紀梨の名称が明治37年に誕生したとは知らなかった。鳥取県の特産として現在は有名だが、松戸が発祥の地だということを誇りに思うエピソードだった。

交通量が多い通り

三矢小台の交差点。以前、2015年頃は「三矢小台中央商店会」の街灯が建っていたが…

現在

左手には和菓子屋「大門岡埜 三矢小台店」が営業していた。本店は市川真間にある。

大門岡埜 三矢小台店

古い看板を見ると、今は無い個人商店がたくさん。時計店、文具店、鮮魚店など…

古い商工案内看板
暗渠?

上矢切の交差点を左折し、矢切駅方面へ。

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矢切駅北「下矢切商和会」

東京外環自動車道を超えて、松戸市中矢切へ。
今回は、北総線「矢切駅」の北側をメインに探索し、江戸川沿いの柳原水閘(文化財)を見学して、矢切駅南側へ。矢切駅周辺を1周するコース。

松戸市中矢切 県道1号

松戸矢切郵便局の横道を進むと商店街らしい雰囲気が。既に閉まっているが元理容室のようだ。

郵便局の横道へ

街灯「下矢切商和会」が建っている。

下矢切商和会

先ほどの県道1号沿いのお店と、住宅街の中に点在するお店が総じて商店街が構成されているのだろう。

こちらはひっそり

マンションの1階にも店舗。さらに右折して南側の通りへ進むと、先ほどとは違う街灯が建っていた。

南側の通りに
西 医院

「お買物は地元 下矢切商和会」お買物は…

お買物は地元 下矢切商和会

現在の様子。初見だが、右手には新しい住宅が並び、商店街が消えているのではないかと感じた。

新しい民家が並ぶ

2009年のストリートビュー

左手にはタバコ屋、右手には神戸食品に桜井精肉店…

元タバコ屋さん

最近まで元精肉店の建物も残っていたが、新しい民家が建設中だった。

精肉店は民家に

再び県道1号へ。左角にあった薬局は駐車場に。

県道1号へ

現在は無いが、皆川医院の旧病棟、木造建築で表が看板建築だった?2014年頃まで残っていた。

丁字路の正面にあったのは米久精肉店、並びには鮮魚店や洋品店、青果店など。一通りこの周辺で買い物が出来る商店街だったことがわかる。

2009年のストリートビュー

更地、取り壊しが進む

八百金商店はシャッター半分で営業していた。

売場面積が縮小

下矢切の交差点西側には喫茶店も。

交差点から西へ

喫茶店「泉」。生姜焼きが美味しいらしい。レトロな看板が印象的だった。

矢切の商店街は思ったよりも衰退している様子。

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明治の見世蔵「蔵のギャラリー結花」

また、今回は立ち寄れなかったが、住宅街にある「蔵のギャラリー結花」は現在休業中なので、また再開したら伺いたい。

結花は、埼玉県所沢市にあった築約130年程の明治時代の見世蔵を移築したものです。
永年を経過した木の空間は、漂う空気も違っているかのよう。
大人だけでなく、子供たちにも是非味わってほしいものです。

さらに詳しく「結花がここにある理由」でまとめられている。

かつての銀座通りにあった「灰屋薬局」の明治8年築の見世蔵。再開発により取り壊しとなっていたが、日本の伝統建築を研究・保存・継承運動をしている建築構造家の増田一眞氏によって松戸市へ移築されたという。凄い…

所沢市元町の通りに面した蔵は、全部で40棟ほどありましたが、移築されたのは結花を含めてたったの6棟です。多くの人々の「取り壊し反対運動」の甲斐もなく、通りの蔵は取り壊され、現在は高層マンションの通りになっています。風が穏やかな日でも、この通りには常に“ビル風”が吹いています。
所沢市元町の住民の方々の多くが、町並みを失って初めて存在の大きさに気付かされたと言います。

2019年9月には「ふるカフェ系 ハルさんの休日」でも紹介されたそう!→Facebookより

ますます気になる。再開されることを望みたい。

 

(訪問日:2022年2月)

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