八千代緑が丘と坪井の境に残る石碑。開発が進む中で保存された道標

船橋市坪井と八千代市緑が丘の境に保存されている石碑。
新興住宅街として開発されている八千代緑が丘駅近くに史跡が保存されていることに感動しました。
坪井と八千代緑が丘の開発
千葉県八千代市緑が丘西1丁目。私のブログの趣旨としては新興住宅街である東葉高速鉄道「八千代緑が丘駅」は関係ない…?いや、新しい街にも必ず何かしらの歴史があるはず。
今回訪れたのは、八千代緑が丘駅から西へ徒歩10分ほどの船橋市坪井との境。平成8(1996)年、東葉高速鉄道が西船橋駅~東葉勝田台駅間に開通。平成16年に坪井地区土地区画整理事業の一部が完成し、まちびらきが行われた。
現在は開発が進んでいるが、以前の坪井や八千代緑が丘をご存知の方にとっては豹変に驚くのではないでしょうか。地元の方によると昔は、山が広がっていて遊んでいると骨を見かけたり、開発中は山を切り崩して崖の状態になっているところを遭遇したことがあるとか…
新しい道がここ10年でも出来ているのでストリートビューを見ると全然景色が違う。

今回の目的地は、ヤオコー八千代緑が丘店の向かい道の角にある石碑群。

この周りも新しく道路が新設され、区画整理が行われた。2015年のストリートビューでは
坪井の石造物
開発によって撤去される石造物もある中で、変わらずに保存されている姿に感動を受けた。以前のストリートビューでは背後に大きな木が存在したが、さすがにそれは伐採されてしまったようだ。

説明看板も変わらずに設置されている。フリガナ付きで優しい看板だな~

庚申塔と道標。庚申塔は道標を兼ねており、正面に「むかうへゆけはさくらミち」、右に「このほう行ハ小かね町」、左に「このほうへ行ハふなはし」と刻まれている。




台座には「坪井村」とある。

道標は、正面に「右 御滝山道」、右に「左 大和田道」、左に「船橋道」と刻まれている。
御滝山というのは、船橋市金杉六丁目にある御滝山金蔵寺へ至る道のことを示しているそう。現代の計算で、徒歩1時間20分ほど!


道標は明治18年製。昔の旅人にとっては大事な分岐点だったであろう場所。

坪井地区には、下図の他の場所にも道標があるらしいが、一つは船橋市郷土資料館に保存。
開発から免れて?現存しているのは何だか嬉しい。移築も良いが、同じ場所にあるからこそ分かることや価値もあるなと思った。
(訪問日:2022年3月)
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