「和田浦駅」”クジラの街”として知られた和田町の商店街、歴史散歩
鯨で有名な、南房総市の和田町へ!内房線「和田浦駅」で初下車し、周辺の商店街を探索…なかなか趣深い建物が残っていました!
和田浦駅
千葉県南房総市和田町仁我浦、内房線「和田浦駅」へ。
駅の東側、シロナガスクジラ全身骨格が設置されているクジラ広場が見える。鯨資料館が併設されているが、まん延防止措置期間のため、閉館中…また今度行こう。
和田と言えば、鯨のイメージが強かったのでどこかで鯨に関するものを買いたいなと思っていたが、私が歩いた南側には売店などは無く諦めてしまったが、鯨資料館から少し北側に道の駅が存在するらしい。知らなかった~
大正11年(1922)開業、平成7年(1995)に駅舎が改築され、「捕鯨基地を有する町にあって、鯨をイメージしたふるさとの顔となる駅」として関東の駅百選に選定されているらしい。
房総は、開業当時の木造駅舎がそのまま残っている所も多いが、和田浦駅はスタイリッシュな駅舎で印象的だった。だが、駅を利用する人は少なく、私以外に観光客はいなかった。
和田町と捕鯨
駅舎内の待合室には、和田町と捕鯨に関する資料が展示されていた。
「子供の頃は、給食で鯨が出ていた、美味しかった」という話を親からよく聞くが、平成生まれの私にとって、鯨はほとんど馴染みが無い。この間、館山の幸田旅館で初めて鯨を頂いたが、その鯨が和田町で獲れたものだった。
和田町で捕鯨が始まったのは、江戸時代といわれており、”クジラの街”とも呼ばれている。
昭和中期には、鯨が多く流通したため、給食にも取り入れられたが、それをピークに衰退。現在、日本全国で捕鯨基地があるのは4か所で、北海道網走・宮城県鮎川・和歌山県太地、千葉県和田町!
和田町での捕鯨基地は、和田漁港に隣接しており、一般公開もされているらしい。
駅近くの道の駅「道の駅 和田浦WA・O!」では、鯨のお土産だけでなく、クジラの竜田揚げが入った「くじら給食」もあるらしく、今となっては貴重なクジラを頂ける魅力的なスポット!
全国で4ヶ所しかない、捕鯨基地が千葉県の和田町に…今まで知らなかったなあ。
また、近くには「花嫁街道」という山間集落の上三原部落と海辺の集落との交流の道がハイキングコースとして親しまれているという。
花嫁行列がこの道を通っていたため、花嫁街道と呼ばれている。「足にやさしいコース」とあるので、今度歩いてみたいな!
和田町観光マップ、私が歩いた海側よりも山側のほうがたくさん描かれているのでまた今度歩かなければと思う。
和田町商工会
とりあえず、和田浦駅で降りるのは初めてなので駅周辺を探索。駅の降り口は西側のみで、伊南房州通往還を南へ進む。
駅の西側には、四季の宿「じんざ」の看板が見える。
駅前は商店街は無く、営業している商店も無いので、国道まで出る必要がある。
2014年のストリートビューを見ていると、鮮魚店や石井書店、鈴木靴店などが見えるので、商店街が存在したのかもしれない。隣は岩船商店。
軒下には、今となっては貴重なガラス看板!「カバン皮革一式」などの文字が見える。
また、「和田町商工会員」が貼ってあった。
旅館土林・国道沿いの街並み
踏切を渡って国道128号へ。踏切の東側にあるのは、旅館「士林」。
3階建てのビジネスホテルの建物だが、2014年時点で貸家の看板が出ており、廃業したのは随分と前だろうか。
昭和49年発行『郷土資料事典』には、和田浦の旅館として2軒載っている。
都亭 12(室数) 50(収容)
水福屋旅館 7(室数) 30(収容)
この士林は、その後に開業したのかな?現在、上の2軒も見当たらないので廃業してしまったのかもしれない。
「精美堂」は閉店しているが、錆びた明るい家族計画の自動販売機に時代を感じる。
線路沿いの「マミヤ薬店」は、向かいの店舗で現在営業中。
右手に見える「安房屋」は店名からして歴史がありそうだが、奥には蔵も少し見えた。
千葉銀行和田支店前には、和田町道路元標も残っていた。
この辺りが和田町の中心地だったのかな?昔はきっと商店街が広がっていたのだろうと思う。
そして、銀行から少し南へ行ったところで気になる建物を発見。
これは元旅館では?!朱色の手摺、存在感のある二階建ての建造物に目を奪われた。
現在は入り口周りに植木鉢が多く置かれており営業していないことは一目瞭然…
先ほど載せた旅館の一つだったのかな?割烹旅館のような雰囲気だが、果たして?
石造りの蔵
電器店、金物屋さん、商店、シャッターは閉まってしまっているが、2014年頃はまだ営業しているお店も存在した。
また、並びには2014年には映っていた「長どん商店」は解体されていた。
さらに歩くと、寝具・インテリアなどを扱う呉服「かわなストア」の隣に蔵を併設している民家があり気になった。
現在は倉庫として使われているようだ。
蔵の横の細い道を奥へ進むと、奥が石造りになっていて興味深い!
奥に出入口や鉄格子の小窓も。漁港に近いので海産物などを入れる倉庫として使われていたのかな?重厚な石造りの蔵が見れて嬉しかった。
そして、国道沿いの角には洋品の「かわなストア」。ここから右手にも、国道ではないが商店らしき建物がいくつか残っている。
”東京歯科醫學士”の表札が残る建物も。門柱も素晴らしい。歴史を感じる病院が裏道に残っていた。
捕鯨基地として知られる、和田漁港。
和田漁港は、大正9年以来、繰り返し修築工事が行われ、沿岸・沖合漁業の水産水揚港として発展、昭和27年には第二種漁港に指定されている。
本当は、漁港からさらに西の街道沿いも歩きたかったが、電車の本数が少ないのでこの辺りで引き返すことに。
熊野神社
最後に、国道沿いの高台の上にある、熊野神社へ少し立ち寄ってみた。
鳥居と海。振り返ると絶景が広がっていた。
熊野神社は、和田町内だけで5社、安房郡だけで41社存在する。熊野神社が多い理由は、紀州と房州は昔から漁業者を中心に紀州からの移住者が多かったため、密接な関係にあったと言われている。確か、千葉県の銚子も紀州から移住した人々で街づくりが行われたと聞いたな…
境内には無数の銀杏…銀杏特有の匂いも漂ってくる。
明治時代に造られた記念碑。戦捷(せんしょう)、つまり戦いに勝ったことを記念するものだが、時代的に日露戦争のことを指していると思われる。
今まで教科書でしか触れたことが無かった日露戦争を身近に感じる瞬間である。
駅へ戻る途中、猫が散歩をしていてほっこり。和田町で、今度はクジラ料理を食べるぞ!
(訪問日:2021年9月)
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