浦部仁王尊観音寺|印西市浦部にある浦部仁王尊の「乳なし仁王尊」 ー印西市浦部⑴
印西市にある「浦部仁王尊観音寺」へ。
手賀沼湖畔の高台に創建された歴史ある寺ですが、「乳なし仁王尊」と呼ばれており、興味深い話が残っています。
浦部仁王尊観音寺(印西市浦部)
千葉県印西市浦部1978「浦部仁王尊観音寺」。
前回の平塚分校から、下手賀沼の南にある街道を走っていると「厄除け 浦部仁王尊観音寺」の看板が立っており、その案内通りに南へ行くと住宅街の中に浦部仁王尊観音寺がある。
門前は特に売店などのお店はなく、住宅街。他の方も空いているスペースに駐車していた。
観音寺は、「印旛郡誌」では慶安元年(1648)の創建とされている。
山門の右手に池、参道沿いには墓地が広がり、階段を登った台地の上に観音堂、右手奥に本堂がある。
池は弁財天。中央まで橋が架かっており、渡ることができる。
正月の行事以外は消されていた行事案内。
参道、左右に広がる墓地。私の経験値も多いわけではないが、今までこういう参道は経験したことがないな…
観音堂からの眺め。観光地化されておらず、建物も境内の地面も昔の装いを保ったまま。この空気感が残っているのが良い…印西市侮れない。
浦部の乳なし仁王尊
そして!!
私は帰宅後にあることに気づくのです。
仁王尊の山門、なぜ立派な乳が掲げられているのだろう?と撮影しながら思っていた私。
木製のものと色がついた小さいものの三つ。そういう信仰かと思っていたが、ここは「浦部の乳なし仁王尊」と呼ばれ、山門内の仁王像は乳首が無い。
そして、この像は運慶作といわれており、
妻を乳がんで亡くした運慶が、妻への思いを込めて乳首のない仁王像を作ったと伝わっているそう。乳に関する願いが成就するとか。
失敗したのが、運慶作の仁王像、写真に収めてないこと…これはまた再訪案件ですな。
その後は、東側の印西市永治地域へ。
途中竹藪の山道を超えたりしてたどり着くまでが少し冷や冷やしましたが…
無事に道路元標のある旧印西市立永治小学校へ。
次回に続きます。
(訪問日:2022年12月)
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2019年に浦部仁王尊観音寺を訪問した時は、仁王門の左側前方のお墓の前に男根岩が転がってたのですが、今はどうなってしまったのでしょうか?
不細工な中型マグロ程度の大きさで、参拝客にはこれが男根岩とは思えないでしょうね。
ここに置いてあるのは恐らく仁王門に掲げた乳房の彫刻と同時に見える位置として、ここに置いたのかも知れません。
もう少し置き方とか工夫が欲しいと思いましたよ。