小湊鐵道 馬立駅|駅前の商店街と先進的な農園「神舞園」の歴史
小湊鐵道沿線の旅。まず下車したのは「馬立駅」。国登録有形文化財に登録されている木造駅舎と周辺に残る街並みを探索しました。
小湊鐵道「馬立駅」国登録有形文化財の駅舎
JR内房線五井駅で、小湊鐵道に乗り換え。この日は、サンキューちばフリーパス2022を使用し、JRも小湊鐵道もフリー切符で楽々下車な旅。養老渓谷で一泊の予定です。
千葉県市原市馬立。小湊鐵道「馬立駅」にてまず下車。風情がありますね~
大正14年(1925)開業の馬立駅。無人駅で静かな駅舎内。
開業時のままの木造駅舎は、国登録有形文化財に登録されている。たまにドラマなどのロケ地で使用されているのを見かけます。
天井、出札口・荷物扱口の造作など、内部も開業当時の姿を良く残しています。
旧神舞園の地が京急カントリーゴルフ場に
明治22年まで旧馬立村。
馬立(うまたて)、地名の由来が気になって頭から離れない。
以下、小湊鐵道ホームページより引用。
馬立という名の由来は、鎌倉時代の頃、この附近で馬のセリが行われたという説と、馬の集結場の説があった為といわれています。
また、「角川日本地名大辞典」によると、現在の「市原京急カントリークラブ」について記述有。
明治19年農学士小花春吉と婦人石子が当村に移住、40人を動員して浅間山台の荒地約40町歩を開拓し、穀物・野菜・茶の販売や乳牛100余頭の飼育など農園経営を行った。この農園は神舞園と呼ばれ、女丈夫石子の名とともに近隣に聞こえた。
昭和54年旧神舞園の地が京急カントリーゴルフ場となる。
神舞園→市原京急カントリークラブ
神舞園についてネットで調べても情報は出てこないが近隣に聞こえたとのことで、国立国会図書館デジタルアーカイブ等で調べると明治期の「農学会会報 (31(附録))」等名前が載っている。
中でも、『市原市史下巻』が詳しい。
40町歩のうち、10町歩は農地と乳牛の酪農地を、他には植林を行った。夫婦で住む小屋を建て旧来の農村とは違う新しい村を夢見たが、夫が東京にて官途につくようになり、別居して農場をまもった夫人の石子一人で造り上げた農園といっても過言ではなかったそう。
野菜を中心とした農作物は牛久の位置に野菜を輸送。
市原市の文明開化を身をもって実行した女性が同じ女性として素敵だなと思ったので記録。
なかなかゴルフ場に行く機会は無いが神舞園跡地見てみたいな。
馬立駅周辺の商店街の町並み
馬立駅周辺も少し探索。
駅の左側にあるタクシー会社「馬立タクシー」。昭和34年創業だとか。
昭和30年代の面影が残るレトロなタクシー営業所の建物。
駅周辺は閑静な住宅街、郵便局や病院や学校が近くにあります。
県道143号を左折。若干商店街らしき街並みが残っています。
「安藤呉服洋品店馬立支店」渋くてたまらない外観です。
本店はどこにあったのだろう。安藤要商店、だとしたら牛久が本店?
…!記事を書くにあたって2023年のストリートビューを見たら更地になっていた。残念。
向かいには、「Ando 馬立店」。現在はこちらで営業しているみたい。
かつては隣に喫茶店「すーらん」(解体済)。
旧商店の建物を横目に北へ進むと、戸田小学校の裏門へ。
その先にも旧商店や旧電気店、旧自転車店など小さな店舗跡が残っていた。
引きかして駅前通りへ。駅近くにある永野歯科医院は、同地で明治時代の『千葉県博覧図』にも載っている歴史ある医院。
市原市立戸田小学校の正門。
戸田小学校は、明治6年(1873)に馬立小学校として開校したのがはじまりで、その後合併、移転、改称を重ねて現在の戸田小学校に。2025年には市原市立寺谷小学校を統合(予定)だそう。
そして、「戸田体操」なる独自の体操が有名らしく、80年の歴史が今に伝わっている。
昭和初期に不況や関東大震災により疲弊した戸田村再生のため、当時の伊藤貞蔵村長をはじめ地域住民が「豊かな情操の育成は心身が健康な人づくり」とはじめたのが体育を基礎とした学校づくり。昭和3年頃より体操練習会が始まり、体育公開研究会は昭和5年の第1回から、欧米の手法を取り入れた体操が敵視された戦時中も含め、毎年開かれてきた。
想像以上に濃くなった馬立駅周辺の歴史。市原市はまだまだ知らない魅力がたくさんあって歩き尽きないな~
次は上総牛久駅、養老渓谷駅へと向かいます。
(訪問日:2022年11月)
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