上野公園脇の謎の近代建築。とうかいの裏に隠れた「菓子舗空也」

上野公園の西側、コーヒー&レストラン「とうかい」の上に顔のような洋風な建造物が見える。左には「蓬莱閣」、右には「ホテル観月荘」。
意外と気づいていない人も多いかもしれない。調べてもほとんど情報が無いが、歴史の中に埋もれた近代建築ではなかろうか…
上野公園脇の謎の近代建築
東京都台東区上野2丁目14−29。京成上野駅から池之端口を出ると、正面にレストラン&コーヒー「とうかい」の店舗が見える。なかなかレトロな喫茶店で入りたいなと思うが、それ以上に気になる建物が上に見えたのだった。

まるでこちらに笑いかけているかのような…目が合ってしまったようだ。今までこの道は何度も通ったことがあるが、上を見上げることが少ないので気づかなかった。
そして一度気づいてしまうと、なかなか頭から離れない。

しかし、その建物には近づけない。とうかいの上に建っているのか、それとも隣接しているのか。両隣、裏にもビルがあって入り口が見当たらない。一体なんなんだ、この建物。

調べても全然情報が無かったが、「ぼくの近代建築コレクション」に同じ建物について触れていた。2010年の写真が載っているが、今よりも外観が白い。しかも窓が水色?になっていて、多少変化が見られる。

昭和3年築の「菓子舗空也」?
そしてこの建物に関する情報が『帝都復興せり!』(松葉一清、平凡社、1988年)に載っているとのこと。早速確認してみる。
菓子舗空也 昭和3年 志村太七 台東区上野2-14 和風の反り屋根と奇妙な壁面仕上げが興味深い
昭和10年(1935)発刊の『建築の東京』が原典だが、昔のモノクロ写真も掲載されている。4階建てで、右手には洋風なバルコニーのような手摺が見え、建物が隣接してもう一つ存在した様子。
昭和10年以降に改装され、現在の形になったことが推測できる。その頃は現在の「とうかい」がある手前の部分には料亭のような看板も見える。

4階建ての建物の4階部分だけが見えているのが現状。しかし、右手のビルとの間をじっくりと見ていると、瓦屋根が少し見えた。これは先ほどの写真にあった隣接している建物なのでは??

「空也の最中」、皆さんはご存知でしょうか?現在は銀座に店舗があり、有名な和菓子店。
ホームページによると、上野池之端で創業していることが分かる。
明治17年、上野池の端に創業、戦災で焼失後昭和24年に銀座並木通りに移りはや半世紀、銀座の“空也もなか”として…
昔の町名だと、寛永寺の門前にあったため「元黒門町三十番地」と呼ぶそうだ。先ほどの『東京老舗の履歴書』にはその空也の歴史が綴られている。
そして、空也が池之端で創業した際の建物が、今回扱っている4階建ての建物ではないかと考えられるのである。

そして、『東京老舗の履歴書』(樋口修吉、中公文庫、2001年刊)にも関する情報が。
関東大震災後、焼け跡にバラックを建て商いをしていたそうだが、先代が他界し家督を継いだ彦一郎が、現在残る建物を建造したのではと思われる。
~数寄屋大工の木村清兵衛に依頼して木造二階建ての店舗をつくり、さらに不忍池に面した店の裏手には、当時として珍しい瓦屋根のある鉄筋コンクリート造でありながら洋館風の母屋を建てた。
この記述から、空也の店舗は反対側の不忍池側に面して存在し、今回の建物は母屋だったことが分かった。その一部が現在も残っているとは!
その後、店舗は空襲で焼失し、母屋だけが黒焦げになって残ったという。母屋は売却されたそうなので、現在は空也とは関係が無いのだろうか。

昭和3年築の空也の母屋。人知れずひっそりと現在も不忍池傍に佇む。
本当は東京でもたくさん記事に書きたいところがあるのだけれど、千葉県の記事が追い付いていないのでまた別の機会に。
(訪問日:2021年10月)
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こんばんは。
なかなか面白い顔?の建築ですね。
上野、私も2000年前後に趣味活動で歩き回っていましたが、結構昔の建物残っていました。
まだデジカメ導入前だったこともあり、乗物写真メインゆえにフィルム残枚数の兼ね合いから建物にはあまりカメラ向けられませんでした。プチ後悔しています…。明里さんはデジカメをフルに活かして沢山記録を残して下さいね❗️
2000年前後だったら当たり前のように古い建物がまだ残っていますよね…