銚子・旧赤線”田中町”を歩く。現在も残る色町の面影 -銚子⒀

銚子の赤線地帯として知られる場所。いつか訪れてみたいと思っていた田中町はの現在は、本で見る風景とは違っていたけれど、現在の記録を残しておこうと思います。
銚子の赤線・田中町について
千葉県銚子市田中町。「田中町に四十二軒、百七十四名。荒っぽい特飲」として紹介しているのは、『全国女性街ガイド』。
以前、紹介した銚子の西側、川岸で繁栄した「松岸遊廓」は公的に認められている遊郭。一方、今回の田中町は、公的に認められていない私娼街だったが、戦後は赤線となり、特殊飲食店=特飲街として知られるようになったという。
田中町の歴史を語る上で欠かせないのが、田中町の西側にある飯沼観音。飯沼観音の門前町として栄えた銚子の街。その裏手に色街が自然発生的にできたのは納得する。
赤線廃止後も、歓楽街として田中町の歴史は受け継がれ、現在は外国人女性が働くお店が多いという…
いつもお世話になっている「知の冒険」さんが詳しい記事を書いているので気になる方はぜひ!
現在の田中町
前回紹介した、飯沼観音。その裏にある坂を下り、静かな通りへ。
現在は営業しているお店は少ないが、田中町へと向かう通りも参道のように賑やかだったのではと想像する。

次第に、華やかな看板が見えてきた。平日の昼間なので全体的に静かである。

表通りだけでなく、裏道にも看板が。迷路みたい。


お店は入れ替わりが激しいみたいで、10年前とは店名が変わっている。一番奥は化粧品店だったようだ。
食事処「みやうち」の裏通りへ。2軒目は更地に。

田中町いがいの人はごみを捨てないで…

賑わっていた遺構も時代とともに土に還っていく…

青い青春の看板は光っていない、休業中の貼り紙。

その向かい側には、個性的なピノキオの看板があったのだが、更地になっていた。2020年頃まであったのに~

その奥には理容室、倉庫らしき建物。

銚子は本当にコンクリート製ゴミ箱が良く残っている…

スナック&喫茶、ピット・イン。

裏路地を抜けて、表通りへ。県道244号は車通りも多く、個人商店が並ぶ。

特に歴史を感じたのは「津ノ国屋商店」。昔ながらの商店も現役。


少し歩けば表通りの商店街。裏の赤線で働く女性たちを支えてきたのかもしれない。

旧赤線の飲み屋街
先ほどの裏通りへ戻る。交差点の角、写真の右側にはかつてカフェ・ドバールという大きな建物があったが、現在はグループホームに。2012年頃取り壊されたようだ。

交差点の北側、さらに進むと東銀座商店街へ続く道。

朽ちかけているアパート。

よく見ると、1階の奥に屋根があり、昔は飲み屋が連なっていたのではと思う。

2012年には居酒屋「あい」の看板があったが取り外され、入口も封鎖されている。

先ほどの交差点を東に。迷路のような飲み屋街の裏路地を彷徨う。

丁字路や袋小路、カギの手になっているところもあって、いかにも旧赤線らしい町並みが続くが、見たところ、往時の建物は一軒も残っていないようだった。
2002年に発行された『赤線跡を歩く』で既に当時の遺構は残っていない。だが、建物は無くなっても道はそう簡単に変えられるものではない。
現在も入り組んだ道は残っている。

銚子は第二次世界大戦の際の空襲で街の大半が焼け野原になったため、あまり古い建物は残っていない。だが、田中町は被害を受けていないという話もあるらしく、もしかしたら戦火から免れているのかもしれない。

そして角を曲がれば、鮮やかな看板が並ぶ飲み屋街。

看板だけでなく壁の色も個性的。昔の赤線地帯を彷彿させるような華やかさを感じた。

建物と建物の奥にもお店が…


コンクリート製ゴミ箱も現存。外観は新しく見えるが、建物は昔から変わっていないのだろう。

路地を抜けると、手前は駐車場。奥に見えるアパートも売却されている。
2012年頃は手前にも飲み屋街があり華やかなネオン看板も建っていた。
ただ、現在は廃墟感をあまり感じない。営業中のお店が多く、看板も新しいものが多かった。

お茶漬け、おにぎり、餃子の看板。

その向かい側には古そうな木造2階建。蔦に覆われているが、どんなお店だったのだろう。

入り口も隠れていて全く分からない。

県道に出る。この辺りは表通りも飲み屋街の雰囲気。

県道側から見た飲み屋街。時折、お店の中からは聞きなれない外国語が聞こえてくる。
異国情緒溢れる風景が広がっている。
田中町の赤線はどのような建物が多かったのだろう。カフェー建築とかあったのかな?
現在は青色やピンク色、派手な外観に染まった建物が並んでいる。
2012年、向かい側には商店もあったようだが、更地に。
今の記録をしっかりと残しておかなければ…
旅館?気になる建物
そのカラフルな建物の並びに、まるで映画館?旅館?と思ってしまうような重厚な建物。


よく見ると、ただならぬ雰囲気。

看板建築のような表のファザードにはネオンの装飾や看板がついていたのでは…?

入り口横の窓が塞がれているのも気になる。お店の看板がついていたのかな?
そして調べてもこの建物について触れている人を発見できず。気にならないのだろうか?それとも触れてはいけない建物?
ちらっと見える建物内。玄関のところに松の盆栽、奥に長い廊下、部屋が並んでいる様子から元旅館では?と想像する。

ただ、窓も少なく、閉塞感があるような。連れ込み旅館とかだったのかな。現在も住んでいる方がいるようなので深い詮索はしない。

昭和の住宅地図を見たが、表記は無し。普通にアパートとして使われていたのかな。
今回探索したのは、旧赤線のすべてではなかった。後で知ったが、銀座商店街の北側の通りも範囲らしい。
その場所はまた今度…
(訪問日:2021年6月)
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