”銚子百選”外川の街並みと商店街。「外川千軒大繁盛」として栄えた -銚子28

銚子電鉄の終着点、外川駅。碁盤目のような坂道が海に向かって無数に伸びている。
江戸時代に開かれた古き漁村は、変化が激しい現代においてもなお変わらずに私たちを迎える。
外川町の美しい街並み
千葉県銚子市外川町。銚子電鉄の終点「外川(とかわ)駅」で下車。銚子電鉄は休日ともなると大勢の人で賑わうが、外川駅のレトロな駅舎を撮影後はUターンして銚子駅へと戻る人が多かった。

駅だけでなく、外川町自体が文化財のような美しい街並みなのに、この良さが伝わっていないのが勿体ないとさえ思う。
実は私は高校生の時に合宿で外川町の民宿で一泊したことがある。
ご飯も美味しくて人情がある民宿。外川町にはいくつもの民宿があるのでたまにはゆっくりと1日過ごしてみてはいかがだろうか。

外川の町名の由来は、川にさしかかる所という意味。(角川書店『日本地名大辞典』)
江戸時代の万治元年、紀州から来た崎山治郎右衛門によって区画整理され、碁盤の目状の町となり、「外川千軒大繁盛」と称されるほど漁港として栄えていた。
現在はコンクリートとなっている道も、かつては石畳だったそうだ。

碁盤の目状の道、それぞれに名称がついているので気にしながら歩いてみると楽しい。
今回は、”銚子百選”にも選ばれている撮影スポットを。

本浦通りが撮影スポットとして知られている。この道を下った先に外川の本浦の港がある。外川町のメインストリートともいえるかもしれない。確かに映画のワンシーンのような美しい景観だ。

現在は営業していないようだが、元商店。2015年頃までは店頭に自動販売機や米、たばこ、郵便切手等の看板が出ていた。

元商店の裏には蔵も。自然災害の影響なのか瓦が落ちてしまっている…


こちらは、民家と民家の間に煉瓦製の壁が残っていた。

一部分だけだが、貴重な歴史の証人。歩道がちょうど高くなっていて上から壁を眺めることができる。

壁を上から見る機会ってほとんどないので面白い。
榊豆腐店、商店街?
本浦通りの北側、東西に伸びる道沿いにはいくつか個人商店があり、ここが商店街の雰囲気を感じる。左は電気店、右は鮮魚、青果、惣菜と何でも揃う茂八商店。

新鮮なお魚やお惣菜を買って、宿で一杯するのも良さそう。
隣にあるのは、豆腐店の榊原豆腐店。

明治42年創業の老舗!豆乳を原材料にした、豆乳プリン、豆乳ジェラートを販売していて美味しそうだったが、並んでいたので断念。

そして、フが10個。皆さんもうお分かりですよね?

フ×10で豆腐。
このセンスが面白くて、テレビ番組の珍百景でも取り上げられていた気がする。関東最東端の豆腐屋でもある。散歩のおやつにぴったり!
その先にある金兵衛食堂でこの日はランチを頂いた。そのレポートは次の記事にて。
並びには、川崎屋鮮魚店。

地域のスーパーマーケット的な八百金ストアー。

その奥には和菓子店の長嶋菓子店があったが現在は閉店している。
そして外川駅の東側の県道244号へ。10年前は左手に精肉店や薬局があり、この通りも商店街だったと思う。

こちらはお米屋さん。

さらに進んだ交差点の角には、酒屋と思われる木内商店。現在は閉店している。

そういえば、外川町にはコンクリート製のごみ箱が多数残っていた。いくつ残っていたか数えられないほど沢山あって、撤去されたはずなのに現在も使われていることになんだか嬉しくなった。

レトロな銚子電鉄
外川町のことをもっと知りたい場合は、駅近くにミニ郷土資料館がある。今度お話を伺いたい。

大正時代から変わらない外川駅。

駅構内では、名物のまずい棒も販売。岩下の新生姜味、気になる~

帰りに乗った銚子電鉄は、レトロなデザインが施されていた。

昔の広告や古写真の展示も。
大正14年には、開通記念で乗車賃が半額に。
ボンタンアメのホーロー看板!初めて見た。ボンタンアメ、好きだったな。


明治ミルクキャラメルや、女性用の薬のチラシなども。

江戸時代末期に伝わった感染症対策は、現在にも通じるものがあると書いてある。
銚子電鉄内だけでも十分楽しめる観光地ではあるが、外川駅で降りて歩いてみてほしい。
初めて訪れた母も、再び歩きたいと思ったそうだ。
日々の喧騒から離れて、のんびりと。
(訪問日:2021年11月)
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