旧長南宿の街並み。三途橋・姨神社~仲宿。寂びた神社や近代建築 -長南⑶

旧長南宿の街並み。三途橋・姨神社~仲宿。寂びた神社や近代建築 -長南⑶

長生郡長南町、いよいよ宿場だった長南町の中心街を探索します。今回は、長福寿寺から南へ、仲宿の辺りまで。近代建築と呼べる歴史ある建物がかつての賑わいを残しています。

長福寿寺・三途橋・姨神社

千葉県長生郡長南町長南969。前回の続きで、長福寿寺周辺からスタート。

長福寿寺

長南町のホームページによると、古くから名が知られた名刹で、最近は願いが叶うお寺として信仰を集めているという。金色のゾウが門前に立っている。

「三途河頭極楽東門蓮華薹上阿彌陀坊太平埜山本実成院長福寿寺」という日本一長い勅号を持つ長福寿寺は、古くから関東における学問所として、また、江戸時代には房総三国の末寺308ヶ寺の大本山として知られた名刹です。

現在は研修道場としても開放され、各種講演会が開催されています。また、幸せを呼ぶ「吉ゾウくんの寺」として、「紅花の寺」としても大変有名です。

寺の前の三途川に架かる三途橋。

正直、こちらの三途の川の方が気になって仕方がない…あの世へ行くときに見るものだと思っていたが、現実世界に存在するとは訪れるまで知らなかった。

三途橋

調べると、現世とあの世を隔てる分け目にあるとされる三途の川の伝説に由来した三途川は、全国各地に存在する。

前回の記事で取り上げた「姨神社」は、三途川で衣服をはぎ取る老婆の鬼を祀ったものなのだろう。江戸時代末期に民衆信仰の対象になったらしい。グーグルマップには「姨神社」の存在が表示されていないが、関連性を記録することが出来て良かった。

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県道147号沿い、長南町の建物

そして橋を渡らず、県道を南へ進む。

街灯

カーブを曲がるちょうど角の民家が、撮影を忘れてしまったが元旅館のような趣のある雰囲気だった。元々宿場町なので旅館の面影があってもおかしはないはず。

レトロな建物
いわせ

ヤマザキパンの看板がある、酒屋兼商店の「いわせ」。

現在も営業している?

既に廃業しているが、かつての長南宿の面影を残す建物が残っていて嬉しい。

街道沿いに
レンガの破片が落ちていた

こちらも歴史ある建物!

戸袋の銅板が美しい

扉は、手動…モンテヤマザキとして営業していたことがわかる。

モンテヤマザキだった

ゆたかタクシーが入る建物、横から見ると蔵造りの建物?前面に看板建築のように壁があるので気づきにくかった。

タクシー会社の建物
窓が小さい

左手に小湊バス「長南三又」。

長南三又

静かな通りに、長南町の街灯が並ぶ。

比較的新しい街灯

民家の間の側溝を覗くと、煉瓦が少し見えた。しかしどこで見かけたのか覚えてないな…

煉瓦が一部

バス停の近くにある建物は、元病院らしい造りだった。隣は駐車場ほどの広さのスペースも。

元病院?

向かいに、西歯科医院があるのでその旧店舗かと思ったが、小児科・内科の斉藤医院の街灯が建っていたので、こちらは斉藤医院だったのだろう。

斉藤医院
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名も無き神社・鹿島神社

そして、先ほどの街灯が建つ脇に細い道が山の方に伸びていた。グーグルマップには道の存在すらない。

小路が続いていた

その先、山の上に階段が続いているのが見えたので恐る恐る進むことにした。

道の脇には井戸の跡。

井戸
苔むした道

さらに進むと、廃屋と階段の上の社が見えてきた。おお、予想外…

小路の先に

完全に朽ちている家屋。勉強机が無残な姿に…

朽ちている家屋

廃屋は道の両側に残っていたが人の気配はない。

 

周囲は竹林で囲まれており、家屋からも竹林が伸びている。人がつくったものは、いずれ自然に還るのだな…

階段の上から眺めた

階段の上には、小さな社が建っていた。思っていたよりも荒れていないので、地元の方々が手入れをしているのかな。

丘の上の神社

Googleマップに載っていないので、名称が分からないと思っていたが、「地域資源分布図」に「鹿島神社」とある。良かった~

神社のある高台から街道を見通すことができる。昔の旅人たちも立ち寄ったのだろうか。

高台の上から
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旧長南町・仲宿の街並み

街道の探索へ再び戻る。小路の向かいにあるのは、旧小松屋呉服店。

小松屋呉服店

呉服店…既に閉まってから時間が経っている様子。

閉店している

その隣は元茅葺屋根?と思わせる分厚い屋根。

元茅葺屋根?
福?

元商家と思われる古い建物。手前の空き地にも2014年頃は同じような建物が並んでいた。

空き地に

残る一軒

大きな蔵が奥にある邸宅は、元米屋か何か商売をされていたのだろうか。ちなみに、この奥を進むと旧長南小学校。

大きな蔵

廃校後は、「長南集学校」として「楽しむ」「働く」「相談する」「遊ぶ」「学ぶ」など様々な視点から活用して頂けるIT交流施設として再スタートしているそうだ。事前に知っていれば立ち寄れたのに…!素敵な地域活性化が進んでいる。

小学校分岐前の古民家

長南小学校入り口の丁字路、正面に建つ古民家は文具店や駄菓子屋として子供たちが集っていたのかなと想像する。

見事な梁
柱に残る部品

街道沿いにある道脇歯科医院。道の脇、そのままの病院名。

道脇歯科医院

写真に写っていないが、病院入口の石畳と2本の門柱が古いので歴史ある病院かも。

病院入口

病院の建物自体も比較的古いのではと思ったが、どうなのだろう。現代風にしていて良く分からないが。

その奥には山へと続く細い階段を井戸が存在した。先ほどの神社へと続いている階段なのかな。

階段、井戸
吉野新聞店の看板
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星野薬局と森家

道脇歯科医院の隣にあるのは、国登録有形文化財の「星野薬局」。次回詳しく紹介する。

星野薬局

薬局の斜め向かいは、瓦屋根が葺き替えられていた。2014年のストリートビューでは金物店?として営業していた。

シンプルな佇まいに

探索の時は気づかなかったが、記事を書く際に山本鉱太郎著の『房総の街道繫盛記』を読んでいて気になった情報がある。

長南町は狭いながらなかなか興味ある街で、カヤぶき屋根の森家の奥庭をのぞくと赤レンガの煙突があって、もと醸造屋であることを物語っている。その左隣もカヤぶきの茶舗で、その斜め前には黒塗り土蔵造りの星野薬局がある。

星野薬局の斜め向かいに、茅葺屋根の元醸造屋の森家があったとのこと。

現在の街並み

星野薬局の向かいは現在駐車場で、2014年のストリートビューを見ても絶賛取り壊しの画像が映っていた。森家の姿、そして赤レンガの煙突は姿を消してしまった。

何も残っていない、と思いきや石畳が一部残っていた。

石畳だけが残る

長南町の探索はまだまだ続く。

末広すし 看板

 

(訪問日:2021年12月)

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