旧長南宿の街道沿い。東京家政大学創立者の出身地・近代建築が現存 -長南⑸

引き続き長南町の街道沿いを歩く。東京家政大学を開いた渡辺辰五郎は、長南町で生まれ、現在は跡地が町指定史跡に。
歴史ある長南町では地域資源が豊かで、今後、新しい動きが楽しみである。
史跡「渡辺辰五郎出生地跡」
千葉県長生郡長南町町長南2574。前回の記事の「星野薬局」の向かいの場所で、東京家政大学を開いた渡辺辰五郎が生まれた。弘化元年(1844)のことである。

長南町指定史跡に指定されている。
説明書きによると、14歳で江戸に出て日本橋田所町の和裁仕立屋で仕立職として修業を積み、23歳の時に故郷へ戻り、渡辺家の再興をはかった。そして、明治7年には長南学校の裁縫教員、鶴舞学校を兼任。明治19年に現在の共立女子大学、明治29年に東京家政大学を開いたという。
「一代にして、現在の二つの名門大学を創設した、長南町の誇る偉大な教育者である。」
そして、数年前からはその跡地に記念館をつくる「(仮称)渡邉辰五郎記念館基本構想」という提案書が上がっている。周辺は、地域活性化として元小学校や郵便局を再生しているので、今後新たに注目されたら嬉しいな。

左に長南町商工会、右に長南タクシー、衣服や文具を扱う「ナベヤ」。2014年頃まで営業していた。

長南町の近代建築
かつて交通の要衝だった長南町には古き良き建物が今もいくつか残っている。ナベヤの斜め向かい、門扉がある立派な建物


そして、建物の横に細い脇道がある。

草木が生い茂っていたので全部進むことが出来なかったが、奥には煉瓦壁が一部残っていた。街道側は撤去されているが、奥はそのまま残っているようだ。

そして、その奥には山の上へと伸びる階段。全く整備されていないので進めなかった。



土台に屋号が描かれていた。山に丁?

文化財の星野薬局に次ぐ立派な邸宅だと感じる。

現在も千葉県各地を歩いているが、長南町だけでなく各地の街道を歩いて宿場町を訪ねたい。いつかの夢。

和泉屋本店・高森商店
並びには銅板が美しい「和泉屋本店」の建物。現在は閉業している様子。

また、こちらは新聞店の特徴ともいえる各新聞会社のホーロー看板付!菓子も扱っていたそうで、「吉野菓子新聞店」と書いてある。



もう少し進むと、右手には営業中の「鈴鹿ふとん店」。

鈴鹿ふとん店の古い街灯看板が新しい街灯についていた。昔は街道沿いに並ぶ街灯には同じようなレトロな看板が付いていたのだろうな~


所々空き地になっている所もあって寂しいが、この辺りは比較的古い建物が並んでいてかつての商店街の賑わいを感じる。
そして、さらに個人的に好きな雰囲気の建物が残っていた。グーグルマップではこの辺りで営業している店舗が載っていないので特に期待していなかったが、2店舗とも営業していて嬉しい!

右手は、高森金物店の店舗。2階の窓の障子が良い雰囲気をさらに加速させている。そして営業中。

2階に残る看板も、ガラス看板だった。今まで破損せずに残っていて感謝…

屋号はマルヤマだろうか。隣の高森商店も同じ屋号なので経営者が同じだろう。よろず屋といった雰囲気で営業していた。
この辺りはコンビニも無いので買い物も大変そうだ。向かいには銀行「ぼうしん」。
二人の画家 生誕の地
銀行の隣、街道に面して「南宋画家高森砕巌生誕の地」の碑が建っている。

高森砕巌(たかもりさいがん)は、明治~大正にかけて活躍した日本画家で、山水、花鳥を得意とした。
渡辺辰五郎然り、旧長南宿を生誕の地とする有名人が多くて驚き。
こちらも同じく街道沿いに建つ「画家今関啓司生誕の地」碑。

今関啓司は大正~昭和にかけて活躍した日本画家。

…非凡な才能をもつ画家として同時代画家中にあって異色の存在であった
素晴らしい才能を持っている方だったのですね。郷里にこんなにも名を響かせることが出来るって、少し憧れるなあ…

長南町の探索、次回で終盤…!
(訪問日:2021年12月)
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