外房線「長者町駅」 海水浴・ハイキング、夏の避暑地としての歴史ある街 -長者町⑴
長者町駅へ到着。駅前通りから、県道152号沿いにかけて商店街が広がっていました。さらに、昭和30年代の観光パンフレットを入手。60年近く前の情報とともに記録に残しておきたいなと思います。
外房線「長者町駅」
千葉県いすみ市岬町長者、外房線「長者町駅」へ到着~
明治32年開業の、長者町(ちょうじゃまち)駅。開業当時から変わらない木造駅舎、そして青いホーロー看板の駅名が良い…
大通りから離れているので閑静な駅前。昔は駅前にお店が2軒ほどあったようだが、現在は営業していない。
元々は、夷隅郡長者町の駅。長者町と聞くと、「億万長者」でもいるのかな?と何だかワクワクしてしまう…
角川書店『角川日本地名大辞典』によると、長者の由来は次のとおり。
地名の由来は、祝言によるとする説(南総珍)、領主の江戸屋敷が下谷長者町にあったことによるとする説(長者町誌)がある。
明確な由来は無いようだが、億万長者とは関係無さそう(笑)
長者町は、房総東往還の宿場町として栄えたそうで、現在残る商店街はその名残かな。明治36年に南側の三門駅が開業してからは、三門駅周辺は明治末~大正期に別荘街として発展。夷隅川河口の海水浴などが賑わったという。
駅前通りに向かう手前に、アーチの名残のようなものが…どんな文字が掲げられていたのだろう?
駅前通りの「源氏支店」が有名
長者町駅前通り、県道230号を歩く。
下の写真右は元クリーニング店。現在は営業しているお店がほとんどない。
”東京館”東京からの観光客に向けての店名だろうか、気になる。
隣にあるのが、大衆食堂「源氏支店」。
実はこのお店、大原駅前にあった「源氏食堂」の支店なのです!「孤独のグルメ」にも紹介されており、人気店でしたが、2021年2月頃に閉店。
そのため、こちらの支店はファンにとって一度は足を運びたいお店なのではないでしょうか。
青い傘のような街灯。商店街名は書いていない。
県道230号から、房総東往還の県道152号へ。角の石野薬局は営業中。
長者町の商店街を歩く
かつて宿場町として栄えた街道沿いの商店街。まずは北側を探索します。
岬郵便局の向かいにある邸宅が気になる…
手前は郵便局の駐車場。建物がフェンスで囲まれているので現在は空き家?もしかしたら、昔は郵便局に関する建物だったのかなと推測。もしくは旅館とか?
すぐ近くにはアーチ。ここにも文字が無く、商店街名が分からない。
アーチの隣には、和菓子屋「高梨製菓」。廃業したシューズショップいしい、元飲食店らしき建物、営業中の茶葉販売店「椎名園」など。
そして気になる建物。こちらは元病院のようです。
丁字路の角にある建物、よく見たら…
外国人の人形…?あまりにもリアルだったので驚いた。
向かいにあるのは、池田菓子舗。営業中だったので、次回の記事にて詳しく紹介します!!おススメのお店。
丁字路の正面にあるのが、天神社。宿場町として繁栄した頃、多くの人々が立ち寄ったことでしょう。
昭和30年代パンフレットより
昭和30年代に千葉県長者町観光協会から発行された「房総十二勝 長者町海岸」のパンフレットを入手。
海水浴・魚釣り・舟遊び・ハイキングに適していると紹介されている。
夏の避暑地としてだけでなく、
「特に、漁港ではないため町民は純朴で、小、中学校生徒方の団体の御来遊には絶好の土地」と紹介されていることからも、臨海学校などで遠方から訪れる人も多かったのかもしれない。
ざっと数えるだけでも70以上のお店がパンフレットに掲載されている。
旅館は3軒
(川魚料理小松旅館・根本屋旅館・大津屋旅館)
現在は営業していないが、どのあたりに存在したのだろうか。
他にも娯楽施設が多数存在していた。
(すずらん遊技場・手塚パチンコ・パチンコ小金屋・パチンコ行川遊技場・パチンコ椎名)
パチンコ店が4軒も…!今はそのような娯楽施設の面影は全くなくひっそりとしている。
街道沿いの商店街(南側)
今度は、街道沿いを南へ。駅前通りの角にある大きな建物は井沢屋洋品店。
屋根だけ見える建物も存在感がある…!
交通量は多いが、歩いている人はあまりいない。
スーパー源氏本店、隣の長者ブックも閉店している。寂しい。
更にしばらく歩くとアーチ。こちらは先ほどと形が違う。
左手には伊勢屋菓子店。和菓子の老舗とあるので気になったが、営業しているのか分からなかったため入らず。
宿場町として栄えていたであろう面影は残っているが、閉業しているお店がほとんどであった。
2つの記念碑
とある邸宅の隅に、石碑が建っていた。宇佐美灊水(うさみしんすい)生誕地とのこと。
宇佐美灊水は、江戸時代中期の儒学者で、荻生徂徠の晩年の弟子として知られているようだ。生誕の地の場所には今も立派な邸宅が建っている。
さらに進むと、ゴミステーションとなっている場所に、煉瓦造りの何かが…!壁にしては低いので、井戸かな?
その敷地には洋風な邸宅…元病院のようにも思える。
隣も手前に壁があるが、元商家だと思われる建物。
そして、街道沿いの空き地に建っている石碑。宮本百合子さんの歌碑のようだ。
こちらは数年前に出来た新しいもの。
プロレタリア作家・宮本百合子さんの歌碑が二つ。
過労のため体調を壊した際、1945年5月、長者町の夷隅川河口付近の貸別荘にて静養した歴史があるらしい。
「うららかな春は きびしい冬のあとに来る 可愛い蕗のとうは 霜の下で用意された」
そして、中央には千葉県旭市出身の飯島喜美の碑も。
今回歩いたのは、いすみ市立長者小学校まで。門柱も歴史を感じる佇まい。
そして、並びにあった建物が渋くて好き…
綿と文字が見えるので、元寝具店?今は閉業している。
駅へ戻る途中に撮影した、ガラス戸に映る「写真」の文字。
昭和30年代から60年以上経った令和の現在、営業している店は数えるほどに…時代の変化は残酷なものだなと感じた。
(訪問日:2021年9月)
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長者商店街の所々にあるアーチは、天神社の秋の例大祭で横断幕やら提灯やら飾るためにつかわれています。たとえば斎藤書店の写真の一つ前の写真のアーチは、天神社の紋が入っていますので、これは完全にお祭り用として設置されたものだと思います。
旅人が江戸を出発し、夕暮れになるころにちょうどこの長者町に到着していたので旅館や商店ができ、宿場町として発展したらしいです。明治頃一度「あさひまち」(漢字不明)になったけど、既に旭町(現旭市)があったので長者町に戻ったとか。
地元、長者町の記事を書いてくださってとてもうれしいです。
コメントありがとうございます!なるほど、お祭り用のアーチなのですね。勘違いしていたので助かりました!江戸からの旅人がここで休憩されていたのですね。面影を感じました。