椿森コムナの奥で見かけた、謎の旅館。かつての旅館跡地?椿森競馬場?
ツリーハウスとカラフルな傘が印象的な「椿森コムナ」という小さな森のカフェがある。
しかし、インスタ映えしそうな賑やかな雰囲気の椿森コムナの先には古めかしい旅館を発見。昔の地図と重ねてみると、いくつのも旅館が存在したことがわかった。
近くには陸軍の遺構もあるため、関係があるかもしれない。
千葉公園の前の森
陸軍の遺構を探して千葉公園を彷徨い、千葉駅へと戻る途中。千葉都市モノレール2号線の下を歩いていた。
すると千葉公園の向かい側に見える大きな木が茂る森のような場所が目についた。特に立ち寄る予定も無かったのだが、看板が出ていたので駆け寄った。
「椿森コムナ」というツリーハウスのある森カフェだそうで、JR千葉駅からも徒歩9分。子供だけでなく、大人もワクワクするようなツリーハウスカフェはインスタグラムでも写真映えしそうだ。
「拓殖開発」がプロデュースをしており、建築の残材や既存樹木を活かし制作されているらしい。
椿森コムナまでは階段が伸びている。早速登っていこう。
椿森コムナ
営業時間:7時~21時
定休日:不定休
料金:入場料無料
椿森コムナ
まず目に入ってくるのはカラフルな傘。日本の傘メーカーのトップブランドの株式会社ワールドパーティーとのコラボで、季節ごとに様々な傘が展示されるらしい。
コラボ企画が始まったのが2020年9月ということで、ちょうど訪れた時は「万華鏡」のテーマでオーロラの傘が輝いていた。
この日は曇りだったが、晴れている日だともっと良い写真が撮れるはず。キッチンカー、ツリーハウス、グランピングを自然の中で満喫できる素敵な空間。
家族連れの方が多く、ツリーハウスがとても楽しそうだった。
しかし、これだけ大きな木と空間が残っていることに疑問を感じた。以前、この場所には何があったのだろう…調べてみたら椿森コムナがオープンしたのは5年ほど前。
おしゃれなドリンクも楽しめる。家族連れが多い印象を受けた。
椿森コムナの周りは住宅街だが、古い建物も残っている。
もしかしたら…と思い、探索してみることにした。
旅館らしき建物
椿森コムナを利用する人は、通常は先ほどの階段から出入りすると思うのだが、反対側の閑静な住宅街へ進む。
すると見えたのが木造2階建ての古い建物。
蔦に覆われてしまい、全体が良く見えないが一般の民家にしては大きなつくりで、周囲の建物とは違う雰囲気が漂う。柵も竹製で、格式のありそうな場所だ。
2階の上には何やら白い四角い板のようなものが見えたが、看板などの跡だろうか?
建物の入り口はこんな感じである。
入り口も外からの視線を受け付けないように覆われているが、壁や床に残る石畳みの雰囲気が老舗旅館のような佇まい。右にある木製の窓のような両開きの空間は何だろう?
そしてよく見ると、「千葉市観光協会員」という緑色のプレートが掛かっているではないか!やっぱり旅館だったのだ…
旧字体の観の文字。旧字体から新字体に変わったのは昭和24年(1945年)だからかなり古い旅館だとわかった。
旅館の周辺
旅館の裏側に回ってみる。現在も車が駐車してあるので、住んでいる方がいるのだと思う。
裏手にあるポストが茅葺屋根の古民家のようなデザインになっていた。
裏手にあるベランダ。冬になったら建物の全体が見えやすくなるかな…
建物の隣にある平屋のような建物も気になった。
屋根の奥に入り口があり、かなり古そうな建物だ。
旅館の真相は?
旅館の真相について気になったので過去の住宅地図と重ねて調べてみた。推測だが今回見つけた旅館は「燕楽旅館」であるとわかった。順番に地図を追ってみよう。
昭和31年
昭和31年(1956年)の住宅地図を見ると、
左の千葉公園から線路を挟んだ向かい側に「公園ホテル」「美松旅館」「燕楽」「松月旅館」といった旅館がある。
公園ホテルというのは千葉公園の近くだからだろうか。とても気になるが、情報が無い…
昭和35年
昭和35年(1960)年の住宅地図は千葉公園側と切れているが、「旅館美松」「旅館燕楽」の姿を確認できる。燕楽旅館は2つ敷地がある。現在とは少し違う位置になっているが…
千葉銀行の寮も近くにあったみたいだ。松月旅館は「松月荘」とアパートになっている。
北側にも「旅館千鶴」という旅館がある。
昭和42年
昭和42年(1967年)の住宅地図。
「旅館美松」「ホテル桃仙」「旅館燕楽」が現在と変わらない地図で載っている。そうなると、椿森コムナがあるのはホテル桃仙の跡地かな。
昭和61年
昭和61年(1986年)の住宅地図。「ホテル桃山」だけが残っている。桃仙から桃山に変わったみたい。それ以外は「(有)美松」や燕楽旅館は個人宅になっているようだ。
やはり、椿森コムナの広大な土地にはホテル桃山があったのだ。どんなホテルだったのだろう。
そして先ほどの旅館は昭和61年以前に旅館業をやめたことがわかった。いつから営業していたのか気になる。
旅館が密集している椿森の辺り。千葉公園の観光客が宿泊していたのかな。高い丘の様な立地。別荘地みたいな感覚なのだろうか。まだまだ情報が見つかっていないことが多い。
追記:椿森コムナの隣に残る古い建物を改めて撮影
坂に伸びる階段。今は使われていないようだが、千葉公園を見渡せる。旅館美松の跡地だろうか?
そして周辺は壁に囲われていて別荘地のような雰囲気。
石畳の階段も…情報が全然ない旅館の跡地。誰か知っている方はいらっしゃるのだろうか。
山から下る階段
椿森は高台であり、下る階段が続いている。周辺にあった旅館、アパートに転業したと思われる松月荘は更地になっていた。
階段はコンクリートで埋まっているが、古そうな石の階段の跡も眠っている。
インスタ映えする椿森コムナの歴史を追ってみたら、昭和の旅館に出会った。至る所に面白い歴史は残っている。私たちが気づいていないだけ…
追記:椿森競馬場
『昭和「娯楽の殿堂」の時代』(三浦展著)を読んでいたら、千葉市椿森の地に「椿森競馬場」という競馬場がかつて存在したことを知った。
千葉県では、明治40年(1907)に松戸に総武競馬会が組織され、松戸競馬場で競馬を行っていた(詳しくは後述)。また、千葉県畜産組合連合会では、大正末期から千葉市内の椿森で競馬を行ってきたが、昭和二年(1927)に東葛飾郡柏町に移転、近代式競馬場が建設された。
椿森競馬場が存在したのは、昭和元年(1926)~昭和2年(1927)の2年間。わずか2年間の出来事だったため、地図や写真があまり残っていないのだろうか。その後手狭になったため、柏に移転した。
「昔の競馬場」をまとめている方の記事によれば、千葉市中央区椿森1~6丁目、弁天3、4丁目の辺り?と推測されている。
「椿森競馬場:日本(廃止になった競馬場)」によると、「競馬場の南側には、鉄道第一聯隊が、東側にはその演習用作業場があった。」とある。
演習用作業場って、千葉公園に残るトンネル工事の演習用アーチの場所?となると、競馬場は千葉公園のあたり?記事に書いてある方角を考えてみたが、場所はよくわからなかった。
100年ほど前の話だし、ここに競馬場があったということを知っている人は少ないだろう。旅館の話も含めて、椿森という場所に惹かれるものがある。
(訪問日:2020年9月)
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コムナの辺りは昔料亭もあったような気がします。
子供の頃、下の道路に夜黒塗りの車がよく停まっていた記憶があります。
大した情報ではないですが、ご参考になれば。
この辺りの情報がほとんど無いので私にとっては有難い情報です!ありがとうございます!
黒塗りの車…ますます気になりますね
千葉公園の整備に関係していたものです。千葉公園ほぼ全域が鉄道連隊の演習場だったはずです。トンネルのあったところの谷を挟んで西側に橋台の遺構もありますよね。あとうろ覚えですが、千葉公園体育館は陸軍の気球格納庫の部材を再利用して建てたとか。あとかつて千葉公園に東側に単線の線路があり轟町にあるレールセンターまで線路がつながっていました。今はモノレールの橋脚が建っているあたりです。
関係されていたのですか!千葉公園体育館については知らなかったです。今度行ってみます!
たしか千葉日報の元記者が「千葉開発夜話」だったかという本を書いてて、昔の友納県知事がそこの料亭を盛んに使っていた当時の様子を証言しているのを読んだことがあります。
千葉公園絡みでもう一つ、敷地の端っこに(ムスカリの花壇の近くの小さな社の並び)コンクリート製の古いレトロ電柱があったのですが使われていなくて、撤去しようかとの話しも出たのですが、役所の担当者と話して、これはこれで今時珍しいのでとっておこうと、そのまま残して置くことにしました。(平成の1桁頃)先ほどストリートビューで見たらもうなくなってました。その後再整備も特にしていないので劣化が進んで危険と言うことで撤去されたのかもしれません。
実はレトロ電柱ちょっと前まで製造できました。(受注生産に対応していた)電柱メーカーのヨシモトポールという会社がありまして、以前はカタログにも載ってました。Webサイトを確認して見ましたが、跡形もありません。元々コンクリポールのメーカでしたが数年前にコンクリ製品の製造をやめてしまったので、もう作ってない(製造設備は残していない)と思いますが。たぶん門司港駅周辺当たりのレトロ電柱はヨシモトポール製ではないかなと思います。
情報ありがとうございます!読んでみます!
今は見ることが出来ないの残念ですね。しかも少し前まで製造できていたのですか…古いけれど意外と身近なものだったのですね。