「住吉神社」佃小橋から見える高層ビル群。下町風情を感じる佃島の静かな街並みを散歩 -月島⑵
月島駅から、佃大通りを歩いて佃島まで来た。この記事では佃小橋から住吉神社、周辺を探索。想像以上に下町で面白い場所だった。
佃小橋
月島駅から続く佃大通りを抜けると赤い橋が見えてくる。佃小橋だ。東京都中央区佃1丁目。
映画に出てきそうな風景だなと思ったら、この辺りは『3月のライオン』という漫画でも舞台になったそうだ。
佃小橋は昭和59年に完成した橋。
なんと、佃小橋の下、佃支川の川底に、江戸時代に徳川幕府から建立を許された住吉神社の例大祭で用いる大幟の柱が保存のために埋設されているとのこと。
目の前に高層ビルが建っているとは思えないくらい、静かで落ち着いたのどかな風景に落ち着く。
佃小橋と、大川端リバーシティ21の高層マンション群の組み合わせが佃を象徴する風景として有名みたい。東京は都市化が進んでいるけど、下町情緒が残る街が残っているのが佃。
銭湯「日の出湯」
佃小橋のすぐそばにあるのは銭湯「日の出湯」。
ビル銭湯で、大きな煙突に「日の出湯 大栄マンション」と書いてあるのが目印。
創業は昭和20年代後半らしい。定休日は第二・四木曜日。
昔は漁師の方も多く利用していたのかな。銭湯が残る街は良いですよね~
銭湯の近くには井戸も。佃周辺ではいくつか見つけた。2004年の写真がこちらに載っている。
私が見つけた以上に、多くの井戸が昔は残っていたという。井戸の街・佃。水を大切にする佃の文化に触れた。
住吉神社
佃に鎮座する「住吉神社」。「海上安全・渡航安全の守護神」として信仰を集める歴史ある神社である。
住吉と聞いて気づいた方もいるかもしれないが、住吉神社は大阪にある住吉神社との関わりが深い。
徳川家康が天正年間(1573~1592)に上洛し、当時摂津の佃村にあった住吉神社に参詣した際、周辺の漁民が渡し船を出して家康一行を運び、白魚などを献上。それ以降関わりが深くなった。
天正18年(1590)には大阪から江戸に漁民らが移り、幕府から江戸鉄砲州向かいの四方の干潟を下賜され、永住することになた。そしてこの場所を故郷にちなみ「佃」と命名。
今の佃と住吉神社の歴史は江戸時代に遡り、とても興味深い。
煉瓦造りの「旧神輿庫」
そして、住吉神社の社殿の奥にある「旧神輿庫」は必見。
明治43年(1910)に建てられた煉瓦造りの倉庫。
現在も倉庫として使われている。川と煉瓦の組み合わせ、タイムスリップしたみたいな風景だな~
煉瓦の積み方は色々な種類があるが、これはイギリス積み。
東日本大震災で破損したが、修復・補強されて今に至るそうだ。堂々たる煉瓦建築に惚れる。
住吉神社の境内
今回はすべて紹介しないが、住吉神社の境内には貴重な文化財が多く残っている。海運業の方々に信仰されていることがわかるプレート。
明治2年に建てられた水盤舎。佃島周辺を描いた欄間の浮き彫が豪華。
鳥居の中心にある扁額は、明治15年(1882)に陶器問屋から奉納された珍しいもの。確かに陶器製は見たことが無い…
住吉神社からさらに奥にも赤い鳥居が見える。赤い鳥居は墨田川に面して建っていて、昔は船から参拝に訪れる方も多かったのかなと想像する。
赤い鳥居へと向かう途中、住宅街にも井戸を発見。街中に溶け込む井戸を見つけるのが楽しい。
石川島灯台
鳥居から橋を渡って佃公園に。佃公園のランドマークである「石川島灯台」の復元。
幕末の墨田川を灯していた灯台を現代風に復元したもので、1階がお手洗いになっている。
石川島は、民間で日本初の洋式造船所がつくられた場所として有名。「石川島播磨重工業(IHI)」は明治9年にこの場所で操業を開始。今回は時間が無かったので佃公園はここまで。
青空と隅田川。とても気持ちがいい~
佃の木造建築
隅田川に面した木造建築。
住宅を囲むように煉瓦塀が残っている。
和洋折衷住宅ともいわれているので、かなり裕福な方も多かったのかもしれない。
煉瓦塀は表が綺麗だが、奥は昔からの様子。
佃の現在の風景。とても静か。
佃といえば「佃煮」!安政6年創業の「つくだに丸久」。通信販売も行っているので遠方の方もぜひ!
佃島渡船場跡
佃島渡船場跡の石碑。正保2年(1645)に隊技師の船松町との間に通った佃の渡し。昭和39年の佃大橋の完成によって300年の歴史に幕を閉じた。
昭和39年の佃大橋の完成によって300年の歴史に幕を閉じた。
現在は名残は無く、看板のみが残る。
その隣には「佃まちかど展示館」。佃の歴史がわかる写真が展示されている。
戦前に生まれた佃育ちのおじいちゃんが、佃のことなどを色々教えてくれた。昔は渡し船をよく使って花街で遊んだり、賑わっていたという。戦災も免れ、古い建築がそのまま残る東京でも珍しい街。佃で育ったおじいさんは江戸っ子全開の喋りでとても面白い方だった。
佃煮「天安」
佃煮の有名店「天安(てんやす)」。このお店も通信販売を行っているみたい。
元祖佃煮と看板に書いてある。お土産に購入してみてはいかがでしょうか?
メイン通り
佃まちかど展示館から佃小橋へ伸びる一直線の通り。道幅が広いが、以前は道路の半分ほどまで建物が並んでいたという。
トタンで覆われているが建物はとても古そう。
佃屋酒店は昔ながらの酒屋。
小さい店舗だが、充実した商品を扱っているとのこと。
佃の名物・住吉神社の例大祭は、先ほど伺った高齢のおじいさんも現役で参加しているという大きなお祭り。一度見てみたいな~
佃天台地蔵尊
佃小橋を渡って、月島の方面へ。その途中に「佃天台地蔵尊」という場所を発見。
住宅街の一角、狭い建物と建物の間にあるので注意。
一人が通れるほどの狭い通り。
それにしても、なぜこのような場所にひっそりと佇んでいるのか。地蔵堂と、大きな銀杏の木がそびえ立つ。
周辺の人々によって大事にされている佃天台地蔵尊は、手入れが行き届いている。
外観を見るとわかるが、建物以上の高さがある大木。アニメのワンシーンのような不思議なスポットだった。
またまた住宅街に井戸!
月島駅近く
月島駅近くまでやってきた。佃仲通りだ。焼き鳥「幸待」の建物が素晴らしい。元々は畳屋だったとのこと。納得。
隣の美容室もレトロだな~と思っていたら、
SINCE1930とある。創業1930年というと昭和5年。かなり歴史のあるお店だ。
路地裏には佃2丁目の住所が刻まれているホーロー看板が残っていた。
「和兆」というお店は今もあるのだろうか…
佃から月島駅まで歩いてきた。次回からはやっと月島の紹介へ!
(訪問日:2020年10月)
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