築地場外市場の看板建築。築地は看板建築の宝庫!移転後の築地以上を訪れた -築地⑸
築地から豊洲へ。2018年に築地市場が豊洲へと移転され、築地場外市場は現在どうなっているのだろう。築地市場が移転してから初めて訪れた築地。
夕方に訪れたので速足になってしまったが、看板建築なども多く見れて満足!
築地場外市場
東京都中央区に位置する築地場外市場へ。
築地の商店街である。移転した後も、営業を継続している。海鮮物の小売店や飲食店が集まっている観光スポット。
夕方なので人通りは少ない。改めてじっくり探索してみる。
築地商事入り口のレトロな雰囲気が気になった。
住吉市場入り口。通路から奥に細い道が伸びている。暗かったのでこの日は営業してないみたい。
築地に訪れたら海鮮丼食べたくなるな~
場外市場から見えるのは高級料亭の「新喜楽」。芥川直木賞の選考会場としても有名。いつか行く機会があったりするのかなあ。
場外市場の店舗が閉店している。コロナとは関係ないようだが、閉店するお店もこれから多そうだ。
波除通り
左折して「波除通り」と呼ばれる通りへ。場外市場の東側にある波除稲荷神社の前の道。
夕方だからか、移転してからかわからないがとても静か。
築地センタービル。
歩道には屋根が続いていて、天気が悪くても関係なく楽しめる。食べ歩きとかしたいな。
反対側には築地にっぽん漁港市場。2014年に設置された、産直市場。移転後も多くのお店が営業しているらしい。
玉子焼きの文字が入っている。築地に訪れたのにお土産何も買わなかったな。
創業大正13年「大定(だいさだ)」。かなり老舗。調べたら有名な玉子焼の専門店らしい。
向かい側にも、古そうな建物と看板。パン屋もあるんだ。
屋根があって気づかなかったけど、お店の建物も外観が素敵。
コーヒー?喫茶店とかだったのかな?
夕方なのでほとんどお店が開いてなくてただ通り過ぎるだけ。
ここで左折するが、波除通りはつづく。
波除稲荷神社(なみよけいなりじんじゃ)
築地市場に隣接する「波除稲荷神社」。
江戸時代、築地の埋め立て工事の際に荒波で工事が難航。その最中に光りを放つ御神体が見つかり、現在地に社殿を建て祀ったそうだ。
その後、波が収まり、工事が順調に進んだことから「波除稲荷神社」として信仰を集めた。
築地市場
神社の隣には2018年で歴史を終えた「築地市場」の跡地が広がっている。
1935年から2018年まで、83年間使用されてきた。
豊洲市場が開場したのと同時に、築地市場の解体工事が開始された。そのため、現在は更地になっていて在りし日の面影はない。
過去の築地市場
私は高校生の時に築地市場を家族で訪れていた。現在と比べると活気がある様子。
あんまり記憶にないのだが、築地市場の方も見学していたみたい。
こんな感じだったのか~…在りし日の築地市場の貴重な写真。時代の移り変わりを記録に留めておきたい。
築地の看板建築
築地は看板建築の宝庫。私も見逃さないように歩いたが、日の入りとの闘いだった。
マルサン三軒家
まず見つけたのは築地6丁目-21-5。角に建つ銅板建築。「マルサン三軒家」だそうだ。
調べたら元々は洋品店、現在は鰹節を扱う食料品卸に。3階建ての銅板建築って珍しい。
カットハウス松原
その隣の「カットハウス松原」も洋風で素敵だな~
中央区のホームページに紹介されている。
区内でも珍しい、3階建てマンサード屋根の看板建築である。
マンサード屋根の特徴的な形態であり、築地六丁目のランドマークになっている。
内部はメゾネット形式の長屋となっており、珍しい。
ベルギー製の鏡など、歴史を感じさせる床屋の佇まいが残っている。
隣の看板建築と並んで群としてよく残り、歴史的な景観を形成している。
築地6丁目のランドマーク的存在。一見通り過ぎてしまいそうになったが、ここまで歴史的建物とは驚いた!
海老の大丸
外観はオレンジ色の様な板で覆われているが、ここも看板建築。3階建ての建物が多い気がする。
銅板建築の上を見ると、ひし形のデザインが施されていた。他ではあまり見かけないので撮影。
横から見たら、看板建築であることがよくわかる。
いろいろ看板建築
ひとつひとつ調べるのが大変なくらい、多くの名建築が並んでいる。
暗くなってきたが、まだまだ銅板建築。1階は見事に綺麗にリノベーションされている。
戸袋だけが銅板になっている建物も興味深い。ふむふむ。
角に構える秋元ビルも古そう。
せともの 一不二
この波除通りに面する看板建築はけっこう有名で、よく本などでも見かける。多くの人の心を掴む建物なのかもしれない。
『看板建築 昭和の商店と暮らし』に詳細が描かれている。
昭和6年(1931)竣工。3階建ての木造建築である。
窓のところには天使のようなレリーフが。手に鳥を乗せているようだ。半円のアーチが美しい。
角には人面のようなレリーフ。面白いデザインだな~
築地場外市場でよく見られる、共同店舗のつくり。店舗内部の通路に複数の店舗が営業をしている。
看板建築で参考にしている本
味高
築地の看板建築巡りで特に印象深かったのがこちら。
よく見ると角に悪魔?のようなレリーフがあるのだが、これは一体なんだろう?
調べたら、イルカの顔らしい。イルカってこんな顔だったの?
江戸屋海産
こちらも看板建築っぽいけど、青い屋根が覆いかぶさっていてよくわからない。
江戸屋海産は、巨大なキリンが看板となっている。面白いな~
1つ1つ記録できないくらい、看板建築が点在している。銅板建築も綺麗に残っているな~
円正寺の看板建築
一際大きい看板建築が角にあり、興味深いと感じた。奥には寺の屋根が見える。
正面は円正寺というお寺。
元々築地は58か所も寺があったそうだが、関東大震災後、金銭的に苦しくなったったため、寺の敷地内に貸店舗がつくられたという。これはその名残。
円正寺は震災前に存在した築地本願寺の子寺の中で現存する唯一の戦前建築。
築地市場の門前町だったことを今に伝えている。
夜へと向かう築地場外市場
角に建つ洋風なつくりの建物は、看板建築なのか?窓が細長いタイプでおしゃれだなと思ったのだが、詳細がわからず。
夜になってきた。ただただ、仕事を終えて静まり返っている路地を眺めているだけでも好き。
上をふと見上げると、カニがマグロを食していた!びっくり。なぜインパクトのあるものが多いのだろう。
ビルの奥に続く通路に、ラーメンのレトロな看板が見えて萌えた。今も営業しているのかな?
東印度咖喱商会。名前からして気になって仕方がないお店。
東印度咖喱商会へとつづく階段には、カレーが色々描かれていた。美味しそう。
店名が書かれている看板が結構好き。ビルの奥に「加藤市場」が広がっているのかな。
シャッターが閉まっている。以前築地が現役の頃は、人が多くてこんなにお店が奥にもあるなんて気づかなかった。
改めて誰もいないときに見ると、素敵な建築がたくさんあったんだなあ。
また!キリンがいた。
『八画文化会館 vol.4 』にて、築地のキリンについて記載があった。
かつて伊豆に存在した「野生の王国」。そこでははく製動物や骨董品が展示され、珍スポマニアの聖地のような場所だったようだ。1980年にオープン。しかし、2005年に突如閉店。
経営していたのが江戸屋海産だったということもあり、築地の江戸屋海産の店舗にキリンが蘇ったのだろうか?と噂されている。
築地はほとんどのお店が、営業時間外なのか静まり返っていた。しかし、このお店だけは明るい。
すしざんまい。
築地の看板建築めぐり、まだまだ見落としている建築、情報もたくさんあると思うのでこれからも追記していきたいと思います~!
(訪問日:2020年10月)
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はじめまして!
宮下潤也氏のtwitterで貴ブログについて知りました。
濃い内容の記事を日々アップしていらっしゃるパワフルさが素晴らしいですね。
みずみずしい感性と若々しい吸収力でどんどん成長なさることでしょう。
築地周辺は私も好きなスポットです。
何度歩いても何かしら発見がありますし、なにより町の世界観が好きです。
これからの記事も楽しみにしております。
はじめまして!コメントありがとうございます!!
築地周辺、何度歩いても良いですよね~嬉しいです。
私の記事では、色々な場所を紹介しているので良かったらコメントもお待ちしております✨
場内で働いていた友人も今や豊洲に。彼とは最後の波除神社の祭礼の神輿の日にもたまさか鳥居の前で会い、あれは懐古とも哀惜とも不思議な感情が去来したものです。ここ、場内は嘗て幕府の老中も務めた松平定信の浴恩園という名庭園があった場所。その後勝海舟率いる海軍伝習所を経て震災で日本橋から越してきた市場が入った。この松平定信の名園はオリパラのあとに発掘調査されるとか。昔日の庭園を偲び小さな祠の横に銅板のプレートで当時の様子が描かれていたのですがそれもあとからできた公衆トイレの建物がすれすれまで迫っていて気付く人もないままでした。その庭園もさることながら銅板の扱いもなんとも胸に迫る切なさがありました。こんな切なさこそは失われゆく江戸を偲んだ永井荷風あたりも痛切に感じた感情なのでしょう。そしておそらくはこの神社も豊洲へ移転されたのでしょうがさて、銅板プレートの行方や如何に。
最後のというのは不適切でしたね。
場内市場があった最後の年の祭礼と訂正させてください。