JR津田沼駅南口の社宅の記録。国鉄「共済谷津町七丁目アパート」
津田沼駅南側にあるJR津田沼二丁目アパート。ぜひこの建物を取材して欲しいと以前ご要望をいただいたので、桜が舞う季節に記録に行ってきました。
JR津田沼駅南口の社宅
千葉県習志野市津田沼2丁目14。JR津田沼駅南口から京成側に線路沿いを歩いていく。千葉工業大学津田沼キャンパスが駅のすぐ傍にあり、今回の目的地はキャンパスの東側に隣接している一角。
キャンパスと目的地である敷地の境。
この建物の名は「共済谷津町七丁目アパート」。昭和49年竣工だ。
鉄筋コンクリート造地上4階建の集合住宅。
日本国有鉄道!
共済谷津町七丁目アパートでネット検索をしても情報はほぼない。
同じようにJRの社宅は沿線に多数存在していたが、最近は再開発やリノベーションで綺麗に生まれ変わっているという。谷津町七丁目アパートとは反対の西側の沿線、現アールリエット津田沼は元々は同じく旧国鉄社宅だったが、2015年にリノベーションで生まれ変わった。→旧国鉄津田沼社宅の再生
このプロジェクトは、郊外に大量供給された大企業の社宅の再生である。JR津田沼駅にほど近いこの建物は、37年前に建設された旧国鉄社宅である。3LDKのファミリータイプの標準設計により建設された社宅は、この津田沼社宅以外にもJR沿線に大量に建設され、郊外の一風景を成してきた。しかし現代では社宅の需要がなくなり、空き家が目立ち始めていた。更新期に差しかかった社宅は、一時代の社宅としての役割を終え、新しい機能へと転換する最中にある。
旧国鉄社宅 谷津町七丁目アパートの現在
今回訪問した谷津町七丁目アパートもいつまでこの姿を保っているか分からないので記録しておこう。
中央に公園がある。むつみ児童遊園。右側のビルは千葉工業大学の建物。
(訪問日:2022年3月)
-
前の記事
小岩「珈琲木の実」昭和30年創業、昭和レトロな喫茶店。ノスタルジックな店内が落ち着く 2023.08.19
-
次の記事
八千代「さわ田茶屋」戦後初代首相・東久邇宮邸を移築。昭和初期の邸宅で美味しい蕎麦を頂けます! 2023.08.21
取材ありがとうございます。
およそ20年前ほどまでこの社宅に住んでいた者です。
懐かしながら記事を読ませていただきました。
写真と内容を読んでいて、誤解を含む内容があるように感じましたので、いくつか補足をさせていただければと思います。
まず、この社宅の名称は一般的に「JR津田沼アパート」になるかと思います。
確かに、建物横にあるプレートには「共済谷津町7丁目アパート」というプレートがあるのですが、この社宅の入口の坂のあたりに社宅の案内図があり、そこには「JR津田沼アパート案内図」と書かれた地図が掲示されています。これはかなり昔から掲示されており、少なくとも昭和60年代からは、周辺地域の人間には「津田沼の社宅」で通っています。当時住んでいたほとんどの者にとっても、「谷津町7丁目アパート」という認識は無いのではないでしょうか。
(なぜ「共済谷津町7丁目アパート」となっているのか不明です。子どもの頃これを見て、なぜ谷津町となっているのか疑問でした。1980年ではすでに番地は「津田沼2丁目」であり、1980以前のどこかで地番の変更があったのかもしれません。少なくとも1980年台から現在まで、谷津といったら今のモリシア(かつてのダイエー)よりも西側というイメージです。)
また、写真の何枚かが、JR津田沼の社宅とは違う写真が混じっています。
「桜が咲いていた」の1枚目、「公園」の3枚目は、JRの社宅では無く、他の社宅です。
なお、JRの社宅は1号棟〜7号棟まであり、ここ数年で7号棟の敷地は封鎖されてしまったようです。
7号棟奥には公園が2つあったのですが、今はどうなっているのか・・・。
ちなみに、JR津田沼駅の南口から出て、西側にあるJRの社宅は「津田沼」とは違う名称の社宅だったような気がします。今でこそ駅の南西部にマンション群が建ち、「津田沼」の名称の付いた建物が多いですが、あそこらへん一帯はかつての谷津で、かつJRの社宅に近い保線地域の一部は津田沼が帰属する習志野市ではなく、船橋市になります。もしかしたら、船橋か、それに近い名称の社宅名だったかもしれません。