津田沼に残る昭和3年の「御大典記念記念碑」。京成津田沼駅から沿線を訪ねて

津田沼に残る昭和3年の「御大典記念記念碑」。京成津田沼駅から沿線を訪ねて

習志野市、京成津田沼駅周辺の歴史散歩へ!

以前から度々訪れているが、今回は地元の方でもあまり知らないようなディープな歴史に注目します!

京成津田沼駅近くに残る歴史遺産

千葉県習志野市津田沼3丁目6−38。京成津田沼駅で降りて、踏切のすぐ北側、セブンイレブンのある脇の道に記念碑が建っている。

京成津田沼駅 踏切脇

「御大典記念道」。この碑自体は、昭和4年(1929年)に設置されたもの。

御大典記念道

踏切のすぐそばで人通りも交通量も多い道なので、気になっている方も多いのでは?でも「御大典記念」という言葉が聞き覚えないかもしれません。

「御大典」というのは、昭和3年(1928)11月10日、京都御所で行われた昭和天皇の即位式。その即位式を記念して作った道が、この線路沿いの道ということになる。

昭和4年2月

実はこの「御大典記念」でつくれたものは、千葉県内各地に残っており度々見かける。いつか、県内に残る御大典記念建造物をまとめてみるのも面白そうだ。

側面には、説明文が記載されているが所々読みづらいので後程紹介する看板とともに詳しい歴史は記載する。

側面

御大典記念道を後ほど辿ってみる。

その前に近くで気になったものを。同じ通りのセブンイレブン横の電柱裏に木の電柱跡。

木製の電柱だわ

そして古いプレートが生き延びていた。「小仲台二丁目 国鉄稲毛駅東口 川村ビル」。

小仲台二丁目

何の広告か不明だが、これは昭和遺産だわ…

そして北側の植草米店。今は工事が完了し、瓦葺となっている。

植草米店

昭和初期の松井天山の鳥瞰図を見ると、植草米店の隣に「桃太郎撞球場」が描かれているのが気になる。ビリヤードがあるくらい洒落た場所だったんですかね~

撞球場は何処に
屋号入りの手水鉢
昭和の吸い殻入れ

植草米店にもいつかお話を伺ってみたい。

植草米店
Advertisement

御大典記念道 記念碑を探して

千葉県習志野市谷津1丁目1。先ほどの踏切脇の道を西へ、線路沿いを進むと「まろにえ通り」の高架下に辿り着く。

まろにえ通り高架下

高架下の影に隠れながら、もう一つの御大典記念道碑が建っている。こちらの存在を知っている方は少ないのでは?人通りも少ない住宅街。

御大典記念道碑

碑の隣に説明看板が設置されている。恐らく先ほどの側面の説明と類似。

説明看板

1978年発行『わたしたちの郷土習志野 資料解説』に解説あり。

10御大典記念道
昭和
津田沼三ー六

昭和三年十一月一〇日、今上天皇は京都御所において即位式の大礼を挙行し、その地位を内外に宣言した。これを記念して、京成津田沼駅踏切際から京成軌道に沿って谷津に向う道路を造成した。
この碑は京成津田沼駅踏切際にあり、道の勾配と諸工事のため下位の文字は埋まっているので全文の解読は不可能になっているが、工事費四六八二円の半ばを町が負担し残金は地元有志の寄附金によって約二カ月で竣工している。
この道路の造成によって、それまでの久々田・谷津町間の交通が便利になった。

当時の金額で4628円で現在の線路沿いの道が完成したそうだ。

昭和初期の物価について、「レファレンス事例詳細」にて昭和2年の10円を平成24年の価値に換算すると6136円とある。これらを参考にざっと計算して、283万円!

そして記念碑の方はというと、こちらは劣化が激しくて文字が読みづらい。

踏切脇の碑とは材質が違うのか風化が酷い。習志野市に残る御大典記念道、昭和初期の歴史を知る上で貴重な遺産なのでこれからも大切にしてほしい。

 

 

(訪問日:2022年2月)

error: このコンテンツのコピーは禁止されています。