東金の歴史散歩Ⅱ.東金町道路元標(五十瀬神社)・上行寺 -東金⒇
東金の歴史散歩。
前回の続きで、今度は裏道の道路元標や社寺、史跡を巡りますよ~
東金市立東金幼稚園
千葉県東金市東金1122−1。JR東金駅から近く、県道119号から山側へ一本裏道を入る。
東金市民の多くの方がお世話になったという「東金市立東金幼稚園」が正面に見える。
いかにも歴史がある佇まい。石段と門柱は戦前から存在するものだと思われる。東金市立東金幼稚園のホームページによると、開設は昭和12年(1937)!
園内には国旗掲揚台も。今は使われていないようだが、新旧の歴史を感じる一枚。
そのまま裏道を北へ進んでみる。閑静な住宅街だが、背の高い生垣が並ぶ情緒ある街並み。
東金町道路元標(五十瀬神社)
しばらく歩くと、五十瀬神社に。鳥居の傍には小さな鐘撞が設置されており何だか懐かしい雰囲気。
今回の目的と言っても過言ではない?東金町道路元標が鳥居脇に設置されている。
様々な道路元標を見ているけれど、手描き感が伝わるバランスが整っていない字体にほっこり。
そういえば、鳥居は逆向き?通常だった裏面にある建造年などが表通りに見える。なんでだろう。
昭和51年に設置された「新宿囃子」の説明看板。市指定文化財でもある。
隔年の陰暦6月(現7月)に行われる、日吉神社の例祭のとき、新宿区氏子の下座の人々により神輿渡御の露払いとして、山車の上で、浴衣姿で演奏される囃子である。
楽器は横笛・篠笛・三味線・締太鼓・小鼓・大鼓・大太鼓・鉦で編成し、東金ばやし(通りばやし・四丁目・ばかばやし)を基調とし、ほかに中山・おそめ・かめのこ・越後獅子・金比羅船々などが演奏されてきた。
近世以降、東金市街地にはいる当区では、江戸末期より明治初期にかけて江戸長唄が盛んになり、この影響をうけて東金ばやしは長唄風に編曲された。
なお、山車は安政3年(1856)江戸人形町の若松屋金左衛門の作で、他の8区のものが長方形であるのに対し、唯一の船形で先端にげき首をつけた秀作である。
「新宿お囃子保存会」が所有。コロナも落ち着いてきてお祭り行事が徐々に再開になるだろうか。
五十瀬(いそせ)神社。背後にある崖を利用してつくった神社のため、社は崖の上に建つ。
「奉納 御成婚記念 修養会」。石段脇に設置されていたご成婚記念碑。
もう一つ御成婚記念碑、こちらは説明文が刻まれている。
維持明治三十二年五月十日 東宮殿下婚礼の大典を挙行…
途中文字が読みづらい部分があるので割愛するが、記念樹を植えた云々と書かれているような気がする。東宮殿下は後の大正天皇になる方で、全国に同じような事例がある。
拝殿の裏手に、長い長い石段。さらに崖の上に本殿が建っているよう。これは知らなかったらそのまま降りてしまいそうだった。
石段を登った先にある本殿。
崖に穴が多数空いている。かつての防空壕の名残だろうか?それにしても高い位置にも穴があるのが気になる。
本殿から見下ろす東金の町。眺望も素晴らしい。東金で育った方にとっては当たり前の景色かもしれないが、映画に出てきそうな雰囲気のある神社だった。
吉井老湖(吉井宗元)碑・上行寺
再び裏道へ戻り、さらに北へ。何気ないアパートの出入口に石の門柱が残っているが、昔はどんな邸宅が存在したのかなと想像してしまう。
上行寺の坂の下に設置されている「吉井老湖(吉井宗元)碑」。
吉井宗元(そうげん)と調べると、塾主・儒者・医師と郷土の偉人として知られていることが分かる。本職は医師。幕末から明治にかけて現在の東金市田間に在住したようだ。「東金市史 総集編五(目録)」に詳しい人物紹介があるので気になる方は覗いてみてください。
出身は、武射郡椎崎村(山武町椎崎)で地代官を勤める名門。
明治に入ってから、醸造業を始めたようで当時の東金の産業を知る上でも面白い。
ところで、その明治二年五月に、宗元は醤油の醸造業をはじめている。唐突で意外な感じがする。どうしてこんなことをはじめたのか。由来、東金では酒や醤油の製造業者が産を成している例が多い。宗元には野心家的なところがあったから、はじめたのかもれれない。彼は醸造に必要な糀(こうじ)は妻の実家たる服部家から取り寄せるようにした。(服部家でも醤油業をはじめていたのかも知れない。)翌三年には醤油蔵も造っている。「我ガ家ノ歴史」には、「事業大イニ進ム」とあるから、仕事は順調にいったもののようである。
記念碑の隣にある上行寺へ。碑がある裏道は古くからの道だそう。
長い階段を登った高台に位置する法華宗 高福山上行寺。
毎月第一日曜日に「東金骨董市」が開催されており、Twitterでも骨董市やお寺の歴史について発信されているのが面白い。→高福山高坊院上行寺/東金骨董祭
東金市 法華宗 高福山上行寺の公式アカウントです。日蓮大聖人の御直弟子 日弁聖人により鎌倉時代に開山。 大檀那は東金久我台城主北條久時公、嫡子 第16代執権 北條守時公(最後の執権)です。九十九里平野が見渡せる高台のお寺です。当山の歴史を中心にご紹介します。毎月第一日曜日開催の『東金骨董祭』の情報を発信致します。
赤い屋根が印象的な建造物「庫裡客殿」が目の前に。こちらは、明治35年に建てられ築120年経つそう。
これも近代建築リスト入りだな~訪れるまで知らなかった!
なお、白い塗装は昭和期にアクリル塗装されたもので執筆中の現在(2023年2月頃)木材部分から塗装を剥離させ、明治の建築当時の姿に戻している作業が行われている。
高台から東金の街並みを見下ろせる。目の前は墓地と元醸造関係の蔵?
さらに上の高台へと上る道があり、別の御堂がある。
先ほどの明治時代の庫裡客殿は、次の百年に残すために全体的に改修工事が行われているそう。楽しみ。
広い駐車場では毎月骨董市が開催中。掘り出し物が見つかるかも?
江戸時代に現在地に移転。山門は江戸時代に建立されたままで、旧本堂は大正期に再建されたそうだ。
東金の歴史深さを知りつつ、歴史散歩は続く。
(訪問日:2023年3月)
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