近代建築「旧東金高等女学校西洋作法室」八鶴湖畔の洋風建築 -東金⑸

千葉県立東金高等学校に残る近代建築へ。「旧東金高等女学校西洋作法室」の淡いピンク色の外観が目印です!
千葉県立東金高等学校へ
千葉県東金市東金1410。「千葉県立東金高等学校」は八鶴湖の南西に位置する高校である。
元々は「東金高等学校」として、千葉県高等女学校に次いで、千葉県で二つ目に設立された県立高等女学校とのこと。明治41年(1908)創業、100年以上の歴史がある学校だ。
学校がある場所は、徳川家康が鷹狩の際に宿泊した東金御殿の跡地で、自然豊かな場所にある。昭和23年(1948)に学制改革によって、「県立東金高等学校」として開校、昭和58年に共学化している。タレントの小倉優子さんの出身校なんですね~知らなかった!
こちらが、現在の正門。レンガ造りの正門が美しい。門柱の上部がペン先の様なデザインになっているのは学校らしい造り。

その隣にあるのが、旧東金高等女学校の西洋作法室。現在は「千葉県立東金高等学校記念館」として使われている。

旧東金高等女学校の西洋作法室
明治45年(1912)に建てられた、木造平屋建、下板見張りの西洋作法室。設計者は後藤政治。

ピンク色の外壁にハーフティンバー風な外観、クローバー?お花のような欄間のデザインも素敵!当時、この建物を見て学校への入学を決めた私みたいな人もいるのでは?と思ってしまう。
千葉県立東金高等学校記念館として、見学ができるそうで千葉県立東金高等学校のホームページに日誌が綴られている。コロナ禍でどうか分からないが、今度見学に行ってみたいな。

明治期当初の建造物は、この作法室と茶室、正門のみ。だが、作法室の建物は平成11年に改修されているという。

「八鶴湖浄化プロジェクト」の記事「東金歴史かくれんぼ② 「明治の洋風建築―東金高校の記念館」」に興味深い内容が書かれている。
明治期は、女子校だったので教科の中に家事・裁縫・修身などがあり作法を習うこともあった。茶室横の和室では、和の礼儀作法、洋館である記念館(旧作法室)では、洋の作法を教えていたそうだ。その後、戦中は軍の隊長室、戦後は校長室となり現在は、「記念館」として保存されている。
和と洋の作法を習うための建物だったのですね…女性としての生き方が今とは全然違っていた時代だなと感じます。

また、戦中は軍の隊長室…とのことで学校のうらやまには旧日本軍が造ったコンクリートの小型防衛陣地などが残っており、軍隊との関係性も見えてきて面白い。空襲で狙われたりはしなかったのかな…?

作法室の隣にあるのが茶室。柵の外から眺めていたが、手前にある三角の建造物は何だろう?

また改めて機会があったら見学したいな。
※今日から遠出するため、1週間ほど1日1記事の更新となります。ご了承ください。
(訪問日:2021年8月)
-
前の記事
明治創立東金教会の「教会坂」、レトロな病院建築 -東金⑷ 2022.03.14
-
次の記事
東金の近代建築「石井センイ(旧東金郵便局)」他多数 -東金⑹ 2022.03.16
東金高校出身者です。
校舎を見学される際は、以下に注目すると『古の名門女学校』の面影が見えてきます。
①少々低い扉の天井
戦後は名目上共学でしたが、1983年まで男子生徒はゼロでした。
そのため1971年竣工の現校舎は扉の天井が低く、頭をぶつける男子生徒が多かったです。
また生徒用男子トイレは女子用を改装して設置したため、不自然な広さとなっています。
②女子の夏制服
女学校時代から同じデザインのため、女子生徒には「古臭くダサい」と大変不評でした。
実際何度か変更が検討されましたが、その度に女学校・実質女子校時代の卒業生から
猛反発にあって撤回されています。ただ御ブログの趣旨には合致する渋いデザインだと思います。
余談ですが、ここから東金高校日吉台グラウンドに向かう途中にある
山王坂は、御成街道の面影を残す数少ない場所のひとつです。
午後になるとグラウンドに向かう生徒の大名行列が見れます。見学のついでに是非。
https://goo.gl/maps/uYWYHfLDF5eDcbnaA
マイハイさん、コメントありがとうございます!見学する際に注目します!!