「東金御殿」徳川家康ゆかりの地。表門跡~御殿山へ -東金⑶

今回は、「東金御殿」について!徳川家康が鷹狩の際の宿泊施設という名目でつくった御殿。その歴史と現在残る遺構を探して歩きました。
東金御殿とは
東金御殿の歴史について。八鶴湖畔の東金高校隣に説明看板が設置されている。

慶長18年(1613)に徳川家康が、鷹狩の際の宿泊施設という名目でつくった広大な御殿。現在跡地には東金高校が建っている。館山の里見氏から見て「鬼門」の方角にあたる場所につくり、圧力をかける狙いがあったとか…
敷地面積1万1700坪、建物面積6700坪、部屋数40という広さ。維持するのが大変だったようで、3代目将軍の家光の頃までに2回の大規模補修工事が行われたとか…

しかし、その後幕府の直轄領ではなくなったため、寛文11年(1671)に取り壊されているらしく、当時の面影を感じるものは残っていない。が、東金御殿取り壊しの際に、大網白里市の「正法寺」に一部が移築され本堂として用いられているらしい。屋根に「三つ葉葵」があるらしいので今度確認してみよう!
そして、東金御殿の造営に伴ってつくられたのが八鶴湖。元々この辺りは湿地帯で「谷池(やついけ)」と呼ばれていた場所に手を加え、庭の一部として「御殿池」と命名。
風光明媚な八鶴湖が庭の一部だなんて…東金御殿の広さを物語っている。
また、徳川家康の来訪のために突貫工事でつくられたのが、船橋~八街~東金を結ぶ「御成街道」。いつか完歩してみたいなと密かに思っている。
門がある邸宅
千葉県東金市東金1301。前回のつづきで、リカープラザカドヤがある東金のT字路からのスタート。昭和2年の鳥瞰図に「角屋酒店」が載っているので、リカープラザカドヤも老舗。
その向かいに、広大な更地があったがここにも最近まで古い商家建築があった。

その隣は奥に民家があるが手前の門が気になった。

しかもよく見ると電話番号33番のホーロー看板付き。
これは歴史がありそうと思い鳥瞰図で見ると、市的に「ゲタモ呉服」というお店がある辺りなので、手前にあった店舗は随分前に解体されたと思われる。
東金の街道沿いを歩いていると同様の古い建物が多く残っているので街歩きが楽しい…が恐ろしいほど時間が溶けます笑
御成橋
歩いていると火正神社へ向かう道の手前に「御成橋」と書かれた石碑があった。

側面には「大手下馬先門」とある。ストリートビューを見ていたら、2014年以降に設置された石碑のようだ。

現在は横にわずかに水路が残るのみだが、昭和2年の鳥瞰図には小川が流れ、橋が架かっている。
また、火正神社への道沿いに、左手に「古間味噌醤油醸造場」、右手に「小川味噌醸造店」があるのが興味深い。現在は無いが、醸造業も盛んだったのだろうか。
東金御殿表門跡
NTT東金の近く、現在空き地となっている場所にポツンと残る小さな石碑「東金御殿表門跡」。あまり目立たない場所にあるので気づきにくい…

そして石碑の側面に表門からの位置関係が書いてあるのだが、写真で撮ると見えづらい…
表門から入り、右手に長屋、番所、馬屋など…

とはいえ、奥は草木が生い茂っており現在は残っているのか不明。昔は裏手にあった東金御殿へ道が続いていたようだ。

表門入口からさらに街道を歩いて東金御殿跡を目指す。NTT東金の横にある建物は立派な塀があり気になった。

最近まで「釜めし屋東金店」が入店していたようだが現在は閉まっている。

昭和2年の鳥瞰図には「味噌醤油醸造場」とあるので、ここも醸造業を営んでいたのだろうか。
街道沿いには、「上宿」などの「宿」が付く地名がのこっており、東金城の城下町として発展した面影を現在も感じることができる。

現在は閉まっているがガラス戸が美しい。また、柱の所に「押し売りお断り」の看板が残っているが、東金でよく見かけるものの一つ。

なお、隣の石材店「小川屋本店」も鳥瞰図に載っている。東金は鳥瞰図の時からあまり変わらずに老舗が残っていて凄い…

ときがね幼稚園の看板を目印に左折。八鶴湖入り口へ進み、東金御殿跡へ。

御殿山入り口
八鶴湖畔、東金御殿跡の看板と東金城址の看板が設置されている。

本漸寺後方の台地上にあった、東西約700m、南北約500mの規模をもつ半独立丘陵の山城。東金市のホームページによると「※東金城址は現在、令和元年台風15号の影響により、史跡内の見学はできません。」と書いてあるので危険な状態なのかもしれない。

とりあえず行けるところまで行ってみる。本漸寺の道を進み、東金高校の横の山道を進む。

本当にこんなところにあるのだろうかと不安になりつつ進むと、石碑が見えてきたので間違いなさそう。
夏場は虫が多いのでこういう場所はなるべく冬に行きたい…母と蜂にビビりながら山道を進むと、御殿山の門柱が見えてきました。

門柱、だいぶ古そうだ…側面には「回顧探索の士に限り開門いたします」と書いてあるので、入らさせていただきます…現在は個人の所有地のようだ。
門を入って進むと山側に防空壕跡が見えてきた。

箒が置いてあり、現在も整備されていることが分かる。なかなか防空壕跡を間近で見る機会がないので貴重な機会だと思った。

穴の入り口は、大人一人が入れるほどの狭さで奥に空間が広がっているのだろう。確認できただけで数か所の防空壕跡を見つけた。

さらに進むと、少し開けた空間。ここは「碑の森」と呼ばれているようだ。

大小さまざまな石碑が保存されており、森の静けさを相まって心が浄化されるような場所だなと感じた。
今回は真夏だったのでこれ以上進まなかったが、奥には御殿山神社などがあるようなのでまた今度探索しようと思います。
(訪問日:2021年8月)
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