再建された「利根運河大師堂」・ムルデルの碑・ビリケンさん -運河⑶

今回は「利根運河大師堂」と利根運河に関する碑を辿る利根運河の歴史編続きです。
そして流山にもビリケンさんが?!利根運河のビリケンにも注目。
利根運河大師堂 再建!
千葉県流山市西深井979‐1。前回からの続きで東武アーバンパークライン「運河駅」西側の利根運河沿いを歩いている。運河南側の料亭「新川」から、今回は運河北側へ。

利根運河の歴史を伝える窪田酒造は次回紹介するとして、今回はその西側にある利根運河大師堂。

「利根運河大師堂入口」の看板が出ているので階段で堤防から下へ降りる。


流山市観光協会によるサイトに説明があり。大正2年に建立、その後水害によって堤防上から立ち退きましたが、当時に近い形で復元されたとのこと。
流山街道から利根運河沿いの北側の道を江戸川の方に1キロあまり行くと右手に「利根運河大師」と書かれた入り口があります。 大正2年に流域の住民が個々に弘法大師像を安置した札所を建て、運河橋の際に大師堂を建立し、新四国八十八ヶ所運河霊場を創建しました。 多くの巡礼が訪れる名所となりましたが、昭和16年の大水害により堤防上にあった礼所は立ち退くことになり、昭和61年に、柏、野田、流山の有志により創建当初に近い形で復元されました。平成8年、洪水によって市野谷の円東寺に移されていた大師像を大師堂を建立して20体の石像を祀りました。(流山市観光協会サイトより)

明治23年に完成した利根運河。それから20年後、利根運河株式会社によって利根運河大師堂が建立されますます利根運河が観光地として整備されていたことが窺える。

台座を見ると大正二年建立が分かる。また、「東葛飾郡布佐」と同じ利根川沿いの水運で栄えた地域名も窺える。

また、平成8年に利根運河大師堂が再建された記念碑も設置されている。

当時は、運河橋の際に教会堂を建立して新四国八十八カ所運河霊場を創建、多くの巡礼が訪れる名所となったが、昭和16年の大水害によって堤防が決壊、堤防の拡幅、かさ上げのため大改修工事が行われ、札所は立ち退き、散り散りになり、一時、歴史から姿を消したという。
その後、昭和61年に柏・野田・流山の三市の有志により行方不明になっていた札所の探索をはじめ、市野谷の円東寺に移されていた17体の大師像を再び利根運河へ。素晴らしい…
そして運河大師八十八カ所案内図の看板も設置されている。本来はカラーイラストで分かりやすい周辺マップだが風化によって現物は見えづらくなっているので、ネットでご覧ください。→http://www.minami-nagareyama.org/gallery/nagareyama100/images/toneunga-daishi05L.jpg

このマップを片手に巡ってみるのも楽しそう。まだ知らない史跡が沢山あるな~
利根運河が繁栄していた頃のお店は退去させられているため今は面影は無い。各地に散っていた大師堂が長年の月日を経て当初の形に復元されること、そして令和の現在も変わらずに大事されていること、今見ている景色が当たり前ではないことを痛感した。

引き続き利根運河沿いを西から東へ散策。


2013年のストリートビューを見ていたら、新川家の向かい辺りに「リバーサイドホテル」という昭和感溢れるホテルが映っていた!
2021年頃まで存在し現在は解体、住宅街に。「マイナスイオン軟水風呂」も気になるがホテルの看板が 渋いわ~

また、少し歩くと「利根運河交流館」という公共施設があり利根運河の歴史を学ぶことができる。後で知ったがここで自転車を借りることも可能なので、利根運河沿いをサイクリングするのも良いかも。

ムルデルの碑&利根運河株式会社の史跡
そして運河水辺公園内に、利根運河に関する碑が残っている。

明治41年建立の碑。題字は山縣有朋。
昔は江戸川付近にあったものを1985年に移転させたそう。

利根運河の歴史については前回の記事でまとめたが、繁栄していた頃の写真、柏市のホームページでも紹介されていた。→https://www.city.kashiwa.lg.jp/bunka/about_kashiwa/culture/rekishi/rekishihakken/dai12kai.html
東京方面からも花見客がきていたという「運河の桜」。さぞ素晴らしかったんだろうな~

また、利根運河を設計、工事を監督したムルデル顕彰碑が建てられている。昭和60年(1985)有志によって建てられたもの。


そしてこちらは「利根運河株式会社手水石」。想像していたよりも大きい!


利根運河株式会社から生前の多大なる功績をたたえて、明治36年に今村清之助の墓所へ寄進された手水石とのこと。
利根運河株式会社は、民間の出資金をもって明治20年に設立、利根運河の管理や運営を行い、高瀬舟や通運丸による通船事業を昭和16年まで継続した株式会社。実業家の今村清之助は経営陣の一人として苦しい財政状況を支えました。

平成27年(2015)、利根運河通水125周年を記念の年、ご遺族から寄贈を受け、谷中の墓所から運河水辺公園に設置し今に至るそう。オランダ大使館からお客様をお招きして、手水石の除幕式などの式典も行われたらしい。
利根運河が民間事業として経営されていたことを後世に伝える遺品として重要との判断だったようで、私のように利根運河の歴史を現地で感じたい方にとっては貴重な遺物を拝見できることは嬉しいはず。


流山の利根運河ビリケンさん
最後に水辺公園の東側、橋の近くにある「利根運河ビリケンさん」。
ビリケンって、え、大阪の通天閣で見たことがあるけど千葉県にもいたの…?!と驚きを隠せなかった。

流山市観光協会ホームページにその歴史と現在についてまとめられている。まさかの冒頭、大正時代の「新四国八十八ヶ所霊場」の開設とともに建立された日本最古のビリケンさん。歴史深いものだったとは…
石造り・銀色・金色のビリケンさん
1908年にアメリカの女性芸術家フローレンス・プレッツが、夢の中で見た神秘的な人物の姿をモデルにして製作されたと言われる(諸説有)「ビリケン」は、「幸福の神」として世界中に広まりました。
日本には1909年頃に伝わり、縁起物として流行し各地で招福の利益に加え、病気平癒、学業向上等のご利益で信仰を集めました。
利根運河のビリケンさんは、大正2年(1913年)に利根運河の水運と治水に尽くし、観光と美化発展に力を注いでいた利根運河株式会社の支配人であった森田繁男氏により、「新四国八十八ヶ所霊場」の開設とともに建立され、以降、地元の人たちに親しまれてきました。
その後、100年以上、風雨に曝され老朽化が心配されたことから、平成30年3月観光協会によりビリケンさんの祠が建立されました。(流山市観光協会サイトより)
しかも平成30年の除幕式店には大阪通天閣のビリケンさんもお祝いに駆けつけたそう。

現在、日本最古の大正期のビリケンさんは2018年に倒され破損、修復後は事件や老朽化から守るために流山市立博物館で展示されているそう。後日、見に行ってきたが小さいながらも存在感のあるビリケンさんで何だか不思議なパワーを貰ったような気がした。利根運河、なかなか面白い歴史が沢山あった。
(訪問日:2022年6月)
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