利根運河繁栄の歴史。運河駅から老舗料亭「新川家」文化財に -運河⑴

利根運河繁栄の歴史。運河駅から老舗料亭「新川家」文化財に -運河⑴

今回は利根運河の歴史について。東武アーバンパークライン「運河駅」で下車し、周辺の利根運河沿いを歩き、料亭「新川屋」や「窪田醸造所」など利根運河繁栄の面影を辿る旅です。

「運河駅」東武アーバンパークライン 周辺

千葉県流山市東深井。東武アーバンパークライン「運河駅」にて下車。運河駅の歴史としては、千葉県営鉄道野田線として明治44年(1911)に開業。駅名は近くを流れる「利根運河」から由来しており、今回のテーマでもある。

2013年に新駅舎に。

運河駅西口

東京理科大学野田キャンパスの最寄り駅でもあり学生が多く、駅周辺には学生向けと思われる家系ラーメンも。前にこの店舗で食べたことあるな~

東口の家系

今気づいたけど家系店舗の右側に餃子定食ラーメンの新華楼?こちらの店舗の方が今は気になる年頃…

調べてたら今も営業しているっぽいが小さい町中華が生き残っていること自体が嬉しいし、昔は平和台に店舗があり、84歳と49歳の親子で営業しているらしい。素晴らしいわ…

野田キャンパス

そういえば、近くには宗教施設内にドムドムハンバーガーの店舗もある。最近話題になっているようで前よりも記事数も増えているな~

ドムドムハンバーガー野田運河プラザ館店。宗教施設内のフードコートにて -千葉のドムドム

今回は運河駅西口から利根運河沿いを目指す。日光東往還でもある流山街道の大通りは交通量が多い。

流山街道沿い
旧川口屋

元商店のような川口屋の隣にあるのは、利根運河大師第八十二番札所。

利根運河大師第八十二番札所
鬱蒼と茂る店舗跡

鬱蒼と茂る店舗跡の隣に、お洒落なお店があるのを記事を書きながら気づいた!

ハム・ソーセージ職人の店Umami」ドイツハムソーセージの専門店?2021年3月にオープンしていたらしい。保存料・着食料不使用の職人手作りドイツソーセージとビール、美味しそう…

運河を渡る橋
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利根運河の歴史 蒸気船の時代

話は本題の利根運河の歴史について。ここから先は利根運河沿いを歩きながら面影を探しに行きます。以前より歩いてみたかった利根運河沿い!念願叶い今日は母と探索です。

利根運河沿い

利根運河の歴史について、NPO法人コミュネット流山によるサイト「About Toneunga」が分かりやすくまとまっている。

利根運河とは
利根運河は、利根川と江戸川を結ぶ全長8.5㎞の運河です。

明治半ばから昭和初期まで、関東の物流を支える重要な役割を担っていました。内陸部に作られた運河は珍しく、自然の地形を生かして作られた建設当時の姿を今に伝えています。

明治19年(1886)にオランダ人技師・ムルデルにより利根川と江戸川を結ぶ運河が設計。明治20年に設立された「利根運河株式会社」による民間事業による運河建設が始まった。のべ220人が工事に従事し、完成は明治23年とのこと。

その史跡は反対岸にあるので次の記事にて。

利根運河

最盛期には年間約4万隻の船が通り、通運丸や銚子丸といった蒸気船が航行。

利根運河を利用することで、銚子、野田、流山では醸造業が一層発展し、運河沿いには多くの商店や船宿などが立ち並び賑わいました。運河に沿って約6千本の桜の木が植えられ、果樹園や利根運河大師巡りなど観光名所としても知られるようになりました。

運河沿いの桜並木は現在も少し残っているが明治期の水運の名残だったとは。そして利根運河大師巡りは冒頭、駅前に残っていたものがその一つ。流山街道から江戸川口までの運河沿いには店が並んで賑わっていたという。今では静かな利根運河だが、100年前は観光名所として知られていたことが感慨深い。戦前のパンフレット類でも観光地として紹介されていたのを見たことがある。

山本鉱太郎著『川蒸気通運丸物語』に利根運河の当時の様子が描かれている。個人的に好きな一冊。

回漕店や小料理店に転業する農家の人、そのほかにも雑貨屋や下駄屋、自転車屋、質屋、鍛冶屋なども並び、蒸気宿で乗船の切符を買ったり小荷物を頼んだり、茶屋には芸者、岡場所の勢いまで。本には分布図が描かれているので現在の街並みと照らし合わせて歩くのも楽しい。

窪田醸造所

今も残っているの料理屋「新川」は東側へ移転、窪田醸造所は変わらずに営業している。

5月

しかしその運命は短く…

鉄道の開通によって物流は船から鉄道、自動車の陸上交通の時代へ。さらに度重なる利根川の洪水など自然災害により、昭和16年の台風では水堰橋が崩壊し、船が通行不可に。内務省が運河を買収し、運河沿いの6千本の桜は伐採、商店や住居も立ち退きを命じられ、水運目的とした利根運河の歴史は50年ほどで幕を閉じた。

現在

文化庁の「歴史の道百選」にも2019年選ばれており、現在も憩いの場として市民に愛される場として歴史は続いている。

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料理屋「新川」 現在はフランス料理も

利根運河の繁栄を伝える料理屋が一軒だけ残っている。

利根運河沿いの新川

窪田醸造所の向かいにある「新川」。明治25年創業、利根運河完成から2年後に創業した老舗料理店だ。

鰻割烹新川

現在は「鰻割烹新川」として昼、夜は完全予約制で営業しているようだ。また、「Café新川」はその1階にて14時~16時の2時間のみ営業しているとのことでこちらの方が入りやすいかも。

新川入口

記念日とか大切な時に使いたい雰囲気だ…

メニュー

今回は外からのみの見学だがそれでも門柱や建物から歴史を感じる。建物の歴史も伺いたい。

フランス料理店「ブラッスリーしんかわ」移転のお知らせによると、旧割烹旅館・新川家の家屋が指定文化財に登録。さらに、今後は市の観光施設として改修後公開になるらしい。ちょうど訪問後1カ月後に移転したので入れば良かったなと今更公開。

「ブラッスリーしんかわ」移転のご案内
これまでBrasserieしんかわが営業をしておりました旧割烹旅館・新川家の家屋は<流山市指定有形文化財>になります。改修工事に伴い、令和4年6月1日より「割烹新川」の二階に移転いたしました。

流山市ホームページによると、昭和8年築らしい。外観写真も添付。

やはり一度見学してみたい!そして前は割烹旅館だったのですね。泊まりたかった~

蔵もある

割烹旅館新川の時代の話が気になる。調べると、「でれすけ 地域密着型流山本町八木道洋品店的ブログ」さんが記事に書いていた。→2014年08月15日割烹旅館、新川

流山の宿と言えば、誰しも利根運河沿いの「新川」をふと思い浮かべるであろう。

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明治25年11月7日付で料理屋営業許可証が、松戸警察署野田分署長警部斎藤倉吉から出ており、その許可証が今も大切に保存されている。料理屋としての創業者は石井広吉の妻はるさんである。

昭和13年に運河の土手拡張かさ上げのため宿の移転が決まり、昭和17年に現在地に移動したとある。でも新川の旧館は昭和8年築!どうやら曳家したらしい。

その後は、柏飛行場の特攻隊員が最後の晩餐を新川で開いていたという話。

敗戦間近か、柏十余二航空隊の若き特攻隊員達は、みな新川に集まって最後の晩餐会を開いた事も知る人は少ないだろう。当時極端に物資が不足していたが、せめて今生の思い出に美味い物を腹いっぱい食べさせてやろうという上官のはからいで、送り迎えは自動車で、丁重をきわめた。

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軍の許可を得て房総の網元から新鮮な魚を取り寄せ、チョコレートや羊羹など甘いものも食べ放題。お酒も飲み放題。すべて無礼講の一夜である。利根運河沿いにある料亭新川の女主人が語った文が残っている。

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数日後、特攻機は新川家の真上で何回も旋回しながら宿の人達との最後の別れを惜しんで、やがて飛び去っていったという。

ぜひ元の記事から読んでほしい。なぜあまり話題になっていないのか不思議だが、利根運河だけでなく戦時中の周辺の歴史とも密接な料理店。戦後は割烹旅館として。

現在土地は縮小し、それでも約2300坪、令和の今も残っていることが奇跡的だ。

旅館業はいつまで営業していたのか、あまり歴史情報が無い。いつか全貌を伺いたい。

駐車場あり

こうした老舗料理店もいつまで続くか分からない。本当に早く足を運ばねば。

周辺には利根運河の面影を残す建物やお店は新川と窪田醸造所以外残っていない。本当に貴重な一軒!

利根運河編、続く。

 

 

(訪問日:2022年5月)

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