「大房岬要塞群」弾薬庫跡・砲台・弾薬庫・探照灯格納庫など戦跡が保存 -富浦⑸

「大房岬要塞群」弾薬庫跡・砲台・弾薬庫・探照灯格納庫など戦跡が保存 -富浦⑸

南房総市富浦町にある「大房岬自然公園」は、展望台・キャンプやカヤックが人気の観光スポットだ。しかし、ここはかつて太平洋戦争時、要塞が築かれた重要な軍事拠点だった。

現在も「大房岬要塞群」として市指定史跡であり、房総の貴重な戦跡である。弾薬庫跡等、戦争遺跡がしっかりと残っているので興味がある方はぜひ訪れてみてほしい。

南房総市「大房岬自然公園」へ

千葉県南房総市富浦町多田良1212−29。大房岬(たいぶさみさき)へ。
今回、富浦の旅館に宿泊した際におススメされた場所で、公園の駐車場まで車で連れてきてもらった。

最寄り駅のJR内房線「富浦駅」からは徒歩40分ほど。バスも出ている。

案内看板

公共駐車場の傍にあるレストハウスに、大房岬周辺の地図や資料があったので立ち寄ってみた。

大房岬の地図
富浦駅周辺の地図
豊岡周辺の地図

自然公園全体のマップに、見所が記載されているので分かりやすい。
大房岬は、東京湾の入り口にあり、高さ80mの台地上の岬。広さは47.5ヘクタール、周囲は約3㎞だそうだ。

全体のマップ

 

戦跡以外にも、広々とした運動園地や展望塔、ビジターセンター、キャンプやバーベキュー施設があるので、ゆったり自然を楽しみながら過ごせる人気の場所だ。房総の方であれば一度は訪れたことがあるのではないでしょうか?

また、館内にはびわについての説明看板も。富浦といえば、びわの生産地ですよね。

千葉のびわ

看板によると、千葉県でのびわ栽培は宝暦年間(1751年)に始められ、約250年の歴史があるという。第二次世界大戦中の一時期を除き、びわの生産は今日も受け継がれている。

びわ栽培の歴史

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大房岬要塞群(南房総市指定史跡)の歴史

房総に残る戦争遺跡。大房岬の要塞群は南房総市指定史跡として保存されている。

大房岬の要塞群について

大房岬は、旧日本陸軍が昭和3年(1928)から四年を費やして構築したものだという。目的は、東京湾に侵入する敵艦を、神奈川県剣崎砲台と協力して防御するとともに館山湾を掩護すること。

戦後しばらく要塞跡は放置されていたそうだが、平成13年に町の文化財に指定され、戦争遺跡としては知っ馬券の市町村で初めての指定だったという。

安房文化遺産フォーラム」のページに戦時中の大房岬の地図も掲載されているので、照らし合わせて歩いてみると面白そうだ。

■大房岬要塞群(南房総市指定史跡)

大房岬は東京湾に突き出た台地状の岬で、千葉県立自然公園内にのこる砲台・弾薬庫・観測所・発電所・探照灯(サーチライト)・探照灯格納庫などは、南房総市富浦町の指定文化財となっている。一般に要塞とは、敵の侵入を防ぐための要害の地に築いた砦のことで、戦術的に砲台が配置されていた。(安房文化遺産フォーラムより)

今回の探索では私の不注意ですべて周りきれなかったので、「館山の戦跡 旅行・観光ガイド ブログ」を参考にしました。
安房文化遺産フォーラムの「戦跡マップ(印刷用PDF)」も合わせてご覧ください!

 

オーシャンビューな展望塔

まず、駐車場から自然公園内をうろうろ。

数年前の台風15号により大房岬も全滅、倒木被害が大きかったという…これは酷い。

台風15号の記憶

また、木と木の間に、ブランコが設置されているのが面白かった。雄大な自然の風を堪能できる!

童心に帰れるブランコ

そしてこちらが展望塔。戦争遺跡ではないが、この公園に訪れたら一度はのぼってみたい。

展望塔

らせん状の階段を登っていざ頂上へ!日本百景にも認定されている景色を眺めることができる。

展望塔からの眺め

南の館山湾は「鏡ヶ浦」の別名がある。

説明

富士山もはっきりと見えた。冬だったので空が澄んでいて綺麗。

富士山
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弾薬庫跡・砲塔砲台跡

展望塔の周辺にある戦争遺跡から探索。

すぐ近くにあったのは、弾薬庫跡である。

弾薬庫跡

内部には二つの部屋があり、地下道のような構造になっているそうだが、現在は入れなかった気がする。台風の影響かな。

洞窟式に

花壇として利用されている砲台跡は看板だけ撮影して肝心の跡が、あまりにも花壇で見逃してしまったようだ。

幕末の砲台跡

現在は草木に覆われて、土塁の跡がわずかに残るのみ。

黒船来航に備えて

また、戦争遺跡とは関係ないが、崖の下にある明神岬へ。他の観光客の方々がぞろぞろと階段を降りていたので気になった。

急な階段を下る

斜面に階段を無理につけたような急な階段…海が目の前に見える。

 

階段から先に行くと、弁財天の洞窟があった。洞窟は奥が深く、その深さはまだ確かめられていないのだとか…ちょっと怖い。

弁財天の洞窟

館山市の那古弁天の洞窟まで続く、という言いう伝えもあるらしい。

 

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第1探照灯掩灯所

戦争遺跡だが、倉庫として活用されている「第一掩灯所(えんとうじょ)跡」。

掩灯所跡

ビジターセンターのすぐ脇にあるが、あまりにも倉庫としての雰囲気が強いので素通りしてしまいそうになる。内部は天井が湾曲していて、車一台分ほどのスペースがある。

向かいには保管庫か、四角い建物も残っていた。こちらも倉庫として現在も使用されている。

保管庫跡?
外壁はごつごつしたモルタル塗り
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照明所(探照灯)跡

今回のメインの戦争遺跡である、「照明所(探照灯)跡」。自然公園の南西側、第一キャンプ場近くに位置する。

照明所(探照灯)跡

実際に立ち入り禁止の箇所以外は入ることができる。少し暗いので、最初に入るときは緊張するが…

奥は立ち入り禁止

戦前から変わらない場所。
光が差し込み、白い建造物内が反射して輝いていた。

思っていたよりも明るい

かつては扉が設置されていたのでしょうか。その奥には広々としたスペースがある。ここで兵士らが寝泊まりしていたのか…

扉の跡?

直径 2 メートルの探照灯が 2 基配備され、第1・第 2 の照明所・掩灯所が配置されました。探照灯は普段は掩灯所に格納されているが、必要により、台車に載せレール上運搬し照明所に設置されます。第 2 照明所は防空用として利用されました。(大房岬戦跡マップより)

全体像
探照灯格納庫の看板が捨てられていた

天井
出入口

公園側からは一段低く、階段で繋がっている。

脇にある階段

さらに先ほどの建物の向かいにトンネルがある。少し下り坂となっているトンネルの奥へ。

トンネルへ

トンネル内には配線跡が残っているものの、現在は照明はないので暗い。このトンネルの出入口にも扉が存在したのだろうか。

トンネル 出入口

配線跡?

トンネルの奥に、探照灯が格納されていた場所がある。昇降機によって上下に動かし、敵の戦闘機や戦艦を照らし出していたという。

探照灯が格納されていた

現在、階段から下の空間は水たまりになっていた。

下には降りれない

本当は反対側にも行きたかったが…残念。

 

もはや探照灯がどのように配備されていたのか分からない。
説明看板もなくただ遺構がそのまま残っている状態だったが、何もなくても何かを感じるような場所だった。

どこで撮影したか分からなくなった写真
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発電所跡

第2キャンプ場の北側にあるのが、「発電所跡」。

発電所跡

現在は封鎖されている。看板を見ると、危険のため入口をコンクリートで封鎖したという。

立ち入り禁止に

砲塔の後方に設置された小発電所は、砲塔・砲側庫・観測所などの電源用としてそれぞれ地下に造られました。探照灯用として 50馬力27キロワットのディーゼル発電機が2 機設置されました。

さらに土砂が侵食

階段の脇にある戦争遺跡。コンクリートで埋められ、土砂が侵食しているが、このまま埋もれて行ってしまうのではないかと少し心配になる。

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魚雷艇基地跡

最後に向かったのは、「魚雷艇基地跡」。海岸園地から階段を下り、南けい船場へ。

海軍秘密特殊部隊(S特)「山岡部隊」の訓練基地跡として知られている。

魚雷艇基地跡

射撃の訓練場としても使用され、奥の絶壁には弾痕も見えるとか。
また、格納庫から水中に至るレールの跡が垣間見える。

レールの跡

人間魚雷「回天10 型」特攻基地
跡「回天 10 型」は、人間が航空魚雷にまたがって操縦し、敵艦に体当たりする特攻兵器のことです。本土決戦にそなえ、館山湾に敵艦が現れると、格納壕から水中まで敷かれたレール上を台車に乗せたまま押し出し、発射する基地でした。

格納庫跡

人が一人通れるほどの狭いトンネルがあった。

トンネル
奥には特に何も無い
照らして撮影

トンネルから見た海。トンネル内が暗いので海の輝きが強調される。海の中にいるみたいだった。

訪問時、家族連れやカップル等、多くの方にすれ違ったが、戦争遺跡を見学しているような人はいなかった。

 

 

(訪問日:2022年1月)

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