手児奈伝説をたどる。市川真間の「手児奈霊神堂」「弘法寺」-真間⑶

手児奈伝説をたどる。市川真間の「手児奈霊神堂」「弘法寺」-真間⑶

「真間の手児奈の伝説」を知っている方はどれくらいいるでしょうか?伝説のヒロイン手児奈についてのお話と、手児奈伝説ゆかりの弘法寺、手児奈霊神堂を探索します。

真間の手児奈伝説

手児奈(てこな)は万葉集にも歌われた美女。市川国府台にあった下総国府と訪れた人々も手児奈の美貌に見惚れたという…それほどの美女・手児奈の悲しい伝説が今に語り継がれている。

手児奈を供養している手児奈霊堂のホームページから伝説について引用。

むかしむかしの、ずっとむかし「手児奈」という美しい娘がいました。上品で、満月のようにかがやいた顔は、都の、どんなに着飾った娘よりも、清く、美しくみえました。

その美しい手児奈のうわさはつぎつぎと伝えられて、真間の台地におかれた国の役所にもひろまっていったのです。そして、里の若者だけでなく、国府の役人や、都からの旅人までやってきては、結婚をせまりました。しかし、手児奈はどんな申し出もことわりました。そのために、手児奈のことを思って病気になるものや、兄と弟がみにくいけんかを起こすものもありました。

それをみた手児奈は、「わたしの心は、いくらでも分けることはできます。でも、わたしの体は一つしかありません。もし、わたしがどなたかのお嫁さんになれば、ほかの人たちを不幸にしてしまうでしょう。ああ、わたしはどうしたらいいのでしょうか。」といいながら、真間の入江まできたとき、ちょうど真っ赤な夕日が海に落ちようとしていました。

それをみて、「どうせ長くもない一生です。わたしさえいなければ、けんかもなくなるでしょう。あの夕日のように、わたしも海へ入ってしまいましょう。」と、そのまま海へはいってしまったのです。

追いかけてきた男たちは「ああ、わたしたちが手児奈を苦しめてしまった。もっと、手児奈の気持ちを考えてあげればよかったのに。」と思いましたが、もう、どうしようもありません。

翌日、浜にうちあげられた手児奈のなきがらを、かわいそうに思った里人は、手厚くほうむりました。

奈良井時代以前のお話。この話を聞いた行基が天平9年(737年)に手児奈の霊をなぐさめるために弘法寺を開いたという。現在、手児奈霊神堂にて手児奈は祀られている。

『万葉集』には手児奈の恋物語を題材した歌が多く残っており、山部赤人も挽歌を残している。

美人すぎても辛い…

手児奈霊堂へ

京成真間駅から徒歩10分、JR市川駅からも徒歩10分ちょいの手児奈霊堂へ。京成線の踏切では手児奈霊堂の石碑を発見。よく見ると、「安産・子育て」と書いてあるのがわかる。

手児奈霊堂の石碑

手児奈は、文亀元年(1501年)に弘法寺の第七世日与聖人の夢枕に現れ、「良縁成就」「孝子胎児」「無事安産」「健児育成」の守護を誓ったことから、現在も安産祈願などで訪れる方が多いらしい。

伝説の手児奈は、地元の方に愛される存在になったのである。なんだか素敵なお話。

市川真間駅からの商店街も手児奈霊神堂や弘法寺に向かう参拝客で賑わっていたらしく、また万葉集に関連する説明看板も設置されているので散歩が楽しい。

万葉集の看板

真間の継橋

真間の継橋(つぎはし)はかつて存在した橋。現在は川自体も無く、石碑と説明看板が残っているのみ。

真間の継橋

かつて真間地区は「真間の入り江」と呼ばれる海岸地帯が広がっていた。継橋に関する歌も万葉集にて見られる。

『足の音せず行かむ駒もが葛飾の真間の継橋やまず通わむ』(足音せずに行く駒がほしい、葛飾の真間の継橋をいつも手児奈のもとに通いたいものだ)の歌で有名となり、読み人知らずの歌ではあるが、当時の都人にまで知れ渡っていたのである。

 

真間万葉顕彰碑

真間万葉顕彰碑は市指定重要有形文化財。

真間周辺マップ

手児奈霊神堂

継橋の近くにある手児奈霊神堂。

手児奈霊神堂

参道が奥まで伸びている。住宅街の間に参道があって不思議な感じ。

手児奈霊神堂へ

寛政7年、江戸時代に建てられた石碑も状態が良く残っている。

江戸時代の石碑

平日だったが、手児奈霊神堂へ訪れている方も多く、地元の方に親しまれているのだと実感。

手児奈霊神堂の参道
本堂にて

本堂の傍にある「縁結び 桂の木」は昭和56年7月に行われた第3回市川ほおずき市にて、当時市川市に在住していた歌手・さだまさしさんが奉納されたものらしい。

縁結び 桂の木

さだまさしさん、結構好きな歌手なのでこんなところでお目にかかれるとは…市川市には著名人が本当に所縁があるのだな~

境内は縦横無尽に広がる桜?の木が横たわっている。

境内

境内にある池には蓮の花が咲いていて、池を眺めている方も多かった。この辺りまで「真間の入り江」が続いていたという。

亀もいて和むスポット。

現在、「手児奈霊神堂」という名称になっているが昔は「手児奈霊堂」だったようだ。地元の方からは「手児奈さん」と呼ばれている。

真間山弘法寺へ

手児奈霊神堂の北側にある真間山弘法寺へ。商店街からは弘法寺の長い石段が見えて圧巻の景色。こういう風景って良いな~

真間大門会

弘法寺の石段は、地元の部活のトレーニングなどでもよく利用されるほど、一気に登るのは体力がいる。でも市川市とは思えないくらい、良い雰囲気。

階段

石段の下から27番目が常に濡れ続けており、「涙石」と呼ばれているらしい。今回は探すのを忘れていたので次回注意深く見よう。でも、石段を登るのがきつくてそれどころじゃない…

涙石はどこ…

常に濡れ続けているのってなんだか不気味だけど、市川市には300以上の水脈があって、たまたま水脈に触れているのではとも言われていて、興味深い。

石段を登れば赤い仁王門。明治21年(1888)に火災のため全焼し、現在の建物は明治23年(1890)に再建されたものだという。

仁王門

真間山から見渡す市川の景色。向こうにあるタワーマンションがJR市川駅方面。真っすぐ伸びている商店街が残っていて、景観の差が凄い。

市川の眺め

上の写真を撮影したのは2020年4月、花見の季節だったため人通りが多かった。

真間山

美しい伏姫桜

2020年4月の写真。樹齢400年の伏姫桜が満開だった。

伏姫桜

伏姫桜、だれがいつ名付けたかは不明らしい…

枝垂桜

でも房総を舞台にした『南総里見八犬伝』に登場する伏姫から由来しているのではないかと勝手に思った。個人的に好きなお話だったので印象深いが、確か国府台にある「里見公園」も戦国大名里見氏ゆかりらしくて…

証拠はないけど、関係がありそうだと勝手に思っている。

幻想的な桜

境内には枝垂桜井ギアにも約200本の桜があり、春には多くの人が訪れる。

異世界みたい

手児奈の伝説、美しい伏姫桜。なんだか素敵な関係性だ。

2020年4月撮影

さらに境内の奥には「鐘楼堂」があり、

鐘楼堂

少し高台の方へ行くと「月見の広場」という市川市街が一望できるスポットへ。探索をした日はこの場所のベンチでランチをした。

月見の広場

弘法寺古墳

最近気づいたのだが、大国道の奥に「弘法寺古墳」を発見!こんな場所に古墳…

弘法寺古墳

全長43mの前方後円墳。築造年代は6世紀後半から7世紀前半と推定。

台地の崩壊で現在は半壊状態になっているのが残念…

半壊状態に

市川市内には前方後円墳が3基あり、弘法寺、東京医科歯科大学、里見公園にあるという。右奥が前方だけど形はあまりわからず…

手児奈伝説を学んだ上で再び手児奈霊神堂、弘法寺を訪れると感慨深い気持ちになる。

 

(訪問日:2020年9月)

 

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