館山「鈴木屋菓子店」。旧道沿いの渋い和菓子店(現在は閉業?) -館山⒆
館山で最も好きだった佇まいの「鈴木屋菓子店」。現在は閉業してしまった可能性が高いが、在りし日の姿(2021年1月訪問)を記録に残しておきたい。
館山の老舗「鈴木屋菓子店」
千葉県館山市北条1056。南町の交差点の南側、伊南房州往還沿いに佇む渋い外観…これが館山で一番歴史を感じる菓子店だった。
以前、訪問した際は外観を撮影したのみ。→館山に残る病院建築3軒。”館山まち医者通り”の面影 -館山⑶
Googleマップの口コミに情報が全くなく、初見では入れなかったから。でも、今回こそは入らないと後悔しそう!と思い2022年1月に勇気を出して入ってみることにした。それが吉となったのか、記事を書いている今となっては「閉業」とGoogleマップに記載があるので閉業した可能性がある。
看板には「鈴木屋製菓」「館山市南町 電話 220737番」とある。南町は旧地名だろう。
今度館山に行った際に本当に閉業してしまったのか、確認しに行こうと思う。
鈴木屋製菓のお菓子と歴史
店内に一歩踏み入れると、昭和の菓子屋そのままだった。土間にガラスのショーケース…店内の様子を撮影許可をもらって撮影。
正直、営業しているのかさえ怪しいと思っていたが、ショーケースには多数の菓子が並んでいた。なんとなんと…
現在の店主で4代目。自分の代で終わり、と話していた。
詳しい創業年は分からなかったが、100年以上になるとのこと。戦前から営業していたはず。
気になったのが、入口の脇に「甘味処」と看板が掛かっていたこと。かつては、甘味喫茶も営業していたようで、その名残だという。
菓子店併設の甘味喫茶…大好きな響きなのだが、現在も営業しているところは本当に少ない!
温度計は、館山市島原通りの「青木折箱店」。現在も営業中。
千葉の南側である館山は、北側よりも2~3度温かいね。など世間話もした。
随分と昔の館山のマップが残っていた。事細かに店舗の場所や店名が描かれており、今となっては無いお店も多い様子。貴重な資料だ。
館山駅周辺も変化しているが、キネマ通りが現役で銀映や日活が存在した時代。これを見ているだけでタイムスリップした気持ちになる。
鈴木屋製菓で購入したお菓子。まさかこの後に閉業するとは思っていなかったので、二個しか買わなかったけど…また来ますね、が叶わなかったのが少し悲しい。
(訪問日:2021年1月)
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明里さんのレポートを読んでいて…思わず…「あっ!」と声が出そうになりました。
それは、冒頭の、ガラス製陳列ケースです。
その…見事に湾曲したガラスケース…!何と美しい!
そして、そして…、
その湾曲したガラスケースに合わせて造ってある、中のアルミ皿。
ここまで美しいガラス製陳列ケースは、もうどこを探しても無いのでは?
ですから、本当に残念ですよね…、
何も、日本人が、もう和菓子を食べなくなった、というのではないのです。
今も、わたしたちは和菓子を頂くのです。
ところが、その「和菓子を作る」という作業が、ひとつの職業として金銭的に見合わなくなったということです。だから、日本人は和菓子を引き続き食べ続けているのに、和菓子店を継ぐ人がいなくなり、結果的に「廃業」→「廃村」という形で、その地域がサビれていくわけです。
いまの、日本社会のあらゆる場所で進んでいる「小売店の消滅」「個人商店の廃業」というのは、大手資本の跋扈(ばっこ)と無関係ではないし、この構造&悪循環を、社会全体の問題として正していかないと、この先、とんでもないことになると思います。
※昨年12月、杉並区高円寺にある大正13年(1924)創業の和菓子屋さん(御菓子司「島田」)が98年の歴史に幕を降ろしました。杉並区ですから、人通りは多いのです、でも…後継者の問題もあり、閉店…、ほんとうに悲しい限りです。