巴橋(館山市大神宮)|国登録有形文化財の明治のアーチ橋
安房神社から歩いて向かったのは、国登録有形文化財に登録されている橋「巴橋」。
明治時代のアーチ橋、一度見てみたかったので立ち寄りました。
国登録有形文化財「巴橋」
千葉県館山市大神宮28「巴橋」
前回の安房神社探索からの続き。安房神社からは西へ海側へ歩き住宅街へ入っていく。巴川にかかる巴橋、入口に看板があるのですぐに分かった。
明治39年(1906)に造られた石造りのアーチ状の橋。平成19年に国登録有形文化財となっている。説明看板もしっかりしていて助かる。
特に川から見た橋の全景は、川に降りることが出来ないので写真が看板に載っていて有難い。
巴橋は石造の橋で、大神宮側の親柱には、「明治三十九年」と彫られています。1906年に建設されたこのアーチ橋は岩盤上につくられ、長さ11m、幅3mの大きさです。方形に整えられた比較的大きな地元産の凝灰岩質の砂岩を、目が横に通るように積み上げる布積という工法で築かれ、橋の両側にある石垣に接続しています。
同じようなアーチ形の石橋で著名なのが、南房総市白浜町の長尾橋です。明治21年(1888)年に架けられ、県内では唯一の3つのアーチをもつ石橋として、千葉県有形文化財(建造物)に指定され、「めがね橋」の愛称で親しまれています。
巴橋には1つのアーチしかありませんが、地元の人たちは眼鏡の橋と呼んでいたとされています。残念ながら、図面を含めて資料は残っていませんが、地元犬石の職人島田岩吉が設計して築いた橋だと伝えられています。
長尾橋も地元の石工が築いたとされていますので、明治時代になって次々と導入された西洋の技術が、安房地方の職人の間にも普及してきていたことがよくわかります。
大正12年(1923)の関東大震災で、巴川を逆流した津波は、すごい勢いで巴橋を飲み込み、上流へと流れ込んでいったとされていますが、石積みのこの橋は、津波の勢いにも負けませんでした。また太平洋戦争中、近くの佐野にあった旧館山海軍砲術学校の戦車がこの橋を渡っても、重さに耐えたとされています。
関東に残る数少ない明治期建設の石造アーチ橋であることが高く評価されましたが、巴橋は、20世紀の館山の歴史を物語る証人でもあります。
説明によると、関東大震災の津波や太平洋戦争中の旧館山海軍砲術学校の戦車がこの橋を渡っても、重さに耐えたという頑丈さ。
令和の今も車も通行可能、現役です!
アーチを横から。アーチは1つですね。南房総市白浜にある長尾橋はアーチが3つですが、それはまた今度記事にします。
巴橋から次は布良地域まで足を伸ばそう。
(訪問日:2022年11月)
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