館山市沼、レトロな美容院と大正期の「旅館池田荘」が取り壊しに -館山⑾

館山市沼、レトロな美容院と大正期の「旅館池田荘」が取り壊しに -館山⑾

前回の赤山地下壕から、館山駅へ帰宅途中の道沿いにも商店街や歴史ある建物が残っていました。特に美容院と思われる白亜の建築は必見です。

館山市沼の商店街

館山市沼。前回紹介した「赤山地下壕」から歩いて館山駅へと向かう。館山海軍航空隊基地が存在した場所から館山市街地へと向かう道沿いにもいくつか商店が並んでいるようだ。

昭和の海軍航空隊基地周辺を描いた地図と照らし合わせながら記事を書こうと思う。まず、赤山地下壕の左右の道には南北に「トロッコ軌道」が敷かれていたようだ。資材や爆薬、燃料などの輸送に使われ、港や司令部と赤山地下壕を繋いでいた。

昭和の周辺

現在の赤山下の交差点の辺りに、トロッコ軌道の踏切が存在したのだろう。県道257号を西へ進む。

県道257号

赤山下交差点にある、青果・食料品・豚肉「大黒屋商店」は閉まっていた。

大黒屋商店

赤山地下壕へ行くのも車で行く人が多いと思うので、この道を歩いている人も少ない。炎天下の中、自分を鼓舞しながら歩いていた。

ひっそりしている

右手には「松本堂菓子舗」。閉店しているようだが、「館山銘菓 城山 製造本舗」とある。

松本堂菓子舗

館山銘菓の城山?というお菓子が有名だったのだろうか?今は調べても分からない。

館山銘菓 城山?

隣には松本堂のたばこ店。金色の文字が輝いていた。

たばこ店

右手に國司神社。県道沿いには市無形民俗文化財の「柏崎の御船歌」の説明看板も。(撮影するのを忘れてしまったが)館山市のホームページにまとめられている。

右手にある

國司神社の本来の祭礼日であると伝えられている1月16日のオビシャと、8月1・2日に行われる國司神社の祭礼の際に演じられるそうだ。御船歌が唄われるようになった由来については明確ではないらしい。

松本精肉店

精肉店の看板、「明治ケンコーハム」って初めて聞いたと思ったら、2019年に米久に全株式を譲渡し現在は「米久ケンコーハム」となっているらしい。

以前、グリコもグリコハムの看板があったけれど、看板一つからも知らないことが分かって面白い。

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赤門のある辺り

暫く歩くと、右手に大きな門のある邸宅「鈴木家住宅」が見えてくる。国登録有形文化財に登録されており、見応えがあるので次回の記事で詳しく紹介予定。

鈴木家住宅

立派な門は「赤門」と呼ばれ親しまれ、戦時下は「赤門病院」として病院だったそうだ。

向い側の商店

その向かい側には懐かしい気持ちになる「岡田屋菓子舗」の店舗。

岡田屋菓子舗

ガラス戸のショーケース、駄菓子にアイス…口コミは無いけれど、地元の方の憩いの場なのだろう。今思えばこのお店で一休みすれば良かったと思った。

さらに歩いていると、左手に門柱と奥に古そうな建物が見えたので気になった。

これは病院?

そう、ここは「黒川医院」。左手に繋がっている平屋の病院建築は時代を感じる。

病院建築

入り口に建つ2本の門柱は、先ほどの赤門と比べるとそこまでのインパクトはないが、個人的に好きな雰囲気。

2本の門柱

また、病院の目の前にバス停「西浜」があるが、かつてはこの辺りに銭湯「梅の湯」も存在したらしい。「梅の湯」についての情報は全くなく分からないが、戦時下の地図にも描かれているので戦前から存在したのではと思う。

西浜付近の街並み

また、冒頭の地図を見ると、銭湯の斜め向かい辺りに「将楽荘跡」と描かれているのが気になる。が、ネットには情報が無い。海軍関係の施設だろうか?

今回見逃してしまったが、この辺りに「館山町道路元標」が残っているらしい。

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館山城(城山公園)周辺

右手の山の上に館山城が見えてきた。現在房総の戦国大名・里見氏の居城跡を整備した城山公園となっており、城山の頂上に館山城「八犬伝博物館」がある。

館山城
館山市立博物館への案内

個人的に「南総里見八犬伝」は読破したことがあり好きなので時間があるときにゆっくり博物館を見学したい。周辺は城下町として整備された街並みだと想像しながら歩くのも楽しそうだ。

「なまこ壁」が美しい古民家も残っていた。

なまこ壁

左折するタイミングを間違え、今回行きそびれてしまった元郵便局の「TRAYCLE Market & Coffee(旧小高記念館)」が港の近くにあるのでぜひ立ち寄ってほしい。次はここを目的に館山に行きます…

壁に多数のイラストが描かれている
木製の大きな倉庫
商店街の雰囲気
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旧松岡旅館(池田荘)

また、冒頭の地図に「旧松岡旅館(現池田荘)」とある建物が現在も残っている。2019年頃までは県道沿いに看板も出ていたが、今は閉業してしまったらしい。

裏通りに面した旅館建築、営業していたら即刻泊まりたかった…

また、地図には火事の様子が描かれている。当時、旅館の北側には「昭和電工」の工場があったようなので、空襲の被害があったのかもしれない。

現在は更地…塀と建物、当時のままだったのでは…またしても貴重な建物を記録できずに終わってしまった。

が、調べていると池田荘の建具を三芳村の新しくできたカフェ(現在閉店)で再利用しているという情報がブログに書かれていた。「潮騒が聞こえる」

ブログには池田荘の在りし日の写真も。帳場や金庫、客室は本当に素晴らしい佇まい…

カフェでは囲炉裏や障子の引き戸、ガラス窓などが使われているらしい。

旅館は戦前の絵葉書にも描かれているらしい。「房州館山町 松岡旅館 (電話館山56番)(川名写真館製)」いつか見かけたら購入したいな。絵葉書の姿と池田荘の姿があまり変わらない…池田荘は、最近まで弓道部の合宿などで使われていたらしいが、弓道場の騒音で近所の方によるいやがらせ?さらに消防法の関係で閉業してしまったらしい。なんてもったいない!(2014年頃から休業)

また、この方のブログを読み進めていると旅館についての情報も。「昭和の面影」

・実家の宿は大正期の旅館ですが、関東大震災で崩壊し、
建てなおされて、昭和の戦争の時にゼロ戦が屋根に墜落。
広間の部分を建てかえるという歴史をもっています。
ときの流れでいまは、宿としては営業していません。
・戦争時の航空隊関係、大相撲の巡業宿、昭和の避暑客、
臨海学校、そして、弓道合宿。。。
数えきれない人が、この階段を昇って行きました。
・大正期は「松岡楼」といい、昭和41年頃までは「松岡旅館」でした。
関東大震災で崩壊したものが、巡業に来ていた相撲の
当時の横綱の力で建て直されたようです。
関取たちが居ても大丈夫なように部屋の天井は高く、畳も大きめです。
写真も素晴らしいのでぜひブログをご覧ください。
戦時中に燃えていたのは、ゼロ戦が墜落したからなのですね…
大正時代築の旅館。風呂場のタイル、客室、大広間、長い廊下…どの写真を見ていてもホッとする。文化財レベルの建物だと思う。こういう建物が知られずに各地で消えていることを改めて実感しました。
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美容院?

先ほどの池田荘の近く、県道沿いに建つ和洋折衷建築を見て最後の締めにしましょう。

県道沿い

「きみづか美容院」の建物。美容院の部分が洋風で、まるでカフェー建築のような佇まい!

きみづか美容院

2階建て、当時はかなりハイカラだったのではと思う。青いスペイン瓦と白い壁、真夏に拝見できて良かった。

美しい

左の住居部分は和風建築。

タイルが素晴らしい柱

調べても建物についての情報は見当たらなかったが、いつ頃の建物かしら…

美容院メインに書こうと思ったのに、気づけば旅館の話がメインに…

調べているうちに熱くなってしまいました。自分は本当に旅館建築が好きなんだなあと実感します。

 

(訪問日:2021年8月)

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