館山「幸田旅館」。明治40年創業、”館山二業組合”花街の面影を辿って -館山⑻

館山の老舗旅館「幸田旅館」へ宿泊!創業100年を超え、館山の花街の香りが残る建物内はどこか落ち着く雰囲気で人気だそうです。また、美味しい海の幸も頂けて、2食付きで6千円!
館山に宿泊する際はぜひ泊まってみてくださいね!
館山駅近く「幸田旅館」
千葉県館山市北条1837。内房線「館山駅」東口からすぐの銀座通りに面した旅館「幸田旅館」へ。

外観は至って普通のビジネスホテルのような外観。意外と新しい建物なのかな?とガッカリしてしまうのは勿体ない!館内は当時のままの趣が残っています。

宿泊の予約はホームページからネット予約。
老舗旅館でネット予約が可能なところは少ないので便利。しかも創業100周年企画で、1泊2食付きで6,000円(税込み)!安い…
素泊まりだと、4,400円だそうです。

15時にチェックインをし、旅館の歴史などを伺うことに。スタッフの方と女将さんが温かく出迎えてくださいました。
老舗旅館「幸田旅館」の歴史
幸田旅館は、明治40年(1907)創業。今年で115年を迎える老舗旅館である。
旅館についての詳しい歴史などは以前「知の冒険」さんが記事にまとめているので、私は少し違った角度でまとめようと思います。→館山花街の名残りが窺える明治創業の「幸田旅館」へ!
幸田旅館は明治40年、館山ではなく、東京の本郷で創業。本郷は昔、旅館街だったらしく、現在も「鳳明館」がその面影を残していることからも分かる。ロビーに展示されているのは明治期に活躍した榎本武揚直筆の書(複製)。榎本武揚も御用達の旅館は、その後館山へと移転することに。

この話を伺った時に、館山と本郷の関わりってあるのかな?と疑問に思っていた。立地的には遠いし…
館山駅前にある「館山中村屋」の記事を書いている時にその繋がりが少しわかった気がした。館山中村屋も旅館と同様に本郷で創業、当時、本郷界隈のお金持ちの方々が通っていた中村屋のパンを避暑地である館山でも食べたいとのことで、館山にも店舗が出来たらしい。
戦前、館山には東京から避暑地として多くの方が訪れていたことが分かる。幸田館もそうした狙いで本郷から移転してきたのではないだろうか。
大きな絵図は、館山での幸田旅館の完成予定図。木造3階建て?奥には富士山も見える豪華な旅館だ。

移転してきた当時は、館山には何もない時代で、館山駅が開業したのが大正8年なので周囲には商店街などの姿も見当たらない。
そして、大正11年に木造2階建ての旅館が完成。入り口の門柱には「幸田温泉」の文字が見える。門柱に架かる鉄製アーチも素敵だな~


大正時代の浴室…タイルの壁に木製の風呂という和洋折衷感がたまらない。

しかし、大正12年に発生した関東大震災は館山も甚大な被害を受けた。幸田旅館の建物も全壊してしまったのだ。1年で全壊、全焼してしまい、土地を売り払ったお金で旅館の建物を再建させ、幸田旅館は再スタートを切ったという。

建造当時の建物も残しつつ、改装や増築をし現在の形に。
以前の記事でも書いたが、館山駅前は旅館が多く、いわゆる駅前旅館が連なっていた。島原通りの老舗旅館、最近まで営業していた池田荘(旧松岡旅館)など、近くに海軍航空隊の基地があったため、軍関係の方々も宿泊していたそうだ。
幸田旅館は、館山に現在残る最後の老舗旅館。
元々は1泊、1万5千円ほどの高い旅館だったが、最近一新して安い料金設定にしたそうだ。4代目の女将さんは話していてテンポが良く、話している時間を忘れてしまうほど楽しかった。
花街の面影を残す客室
館山には「館山二業組合」があり、「館山花街」というパンフレットが残っているほど賑わっていた時代があった。戦後に繁昌した房総一の飲み屋街、渚銀座は館山駅西口にあるが、渚銀座が出来る前の話になる。
幸田旅館も芸者を呼び、食事をする部屋として使われていたため、小さな部屋がたくさんあるのが特徴的だと話していた。

ロビーに一番近い、廊下の辺りは当時の木造旅館のまま。牡丹の部屋は長期滞在の方が宿泊していたが、特別に見学させていただいた。

1つ1つ違った造りになっている客室。現在は壊れても直せる大工さんがあまりいないという。

壁の下にも木の縁取りがあって趣がある。

牡丹の間では、牡丹の素材を、桜の間では桜の素材を使っていてこだわりを感じる。

また、入口部分も粋な造り。扉が2つあり、一段低くなった石畳みになっている。ここから芸者さんが呼ばれて部屋に入っていく姿が想像できる。

また、こちらは部屋の入り口が茅葺屋根のような施し。

こちらは舟底天井になっている。

女将さんが「木に囲まれると落ち着くという人が多いのよね」と木造旅館ならではの魅力を話していた。確かに、コンクリート製のビジネスホテルでは感じない温かさがあるというか、人間が人間らしくのびのびと過ごすことができる気がする。
女将さんが「この部分取り外せるのよ」と下の写真の四角い障子を外してくださった。

すべての部屋の造りが違うらしいので、毎回宿泊するのが楽しみになりそうだ。昔は部屋一つ一つにお金をかけることができるほど、心にもお金にも余裕があった時代だったのだな…

奥には押し入れと洗面所が新設されているので、古い旅館ではあるが快適に過ごせる。

また、奥の部屋の襖には富士山と船の姿が見える。館山から見えた景色だろうか。

館山の花街について
館山二業組合について、女将さんは「芸者なんてシャレた人はいない、鴨川にはいた」と話していたが、資料は残っている。鴨川に花街があったというのも意外だが、また今度調べてみよう…
昭和30年発行、渡辺寛著『全国女性街ガイド』より
館山
海軍航空隊さんの一座解散で、三昧芸者<三昧は贅沢三昧で、三味線のしゃみ>も散り散りの憂き目。一時はどうなるかとおもったのに、よくしたもので昭和電工と池貝鉄工が結構よいカモを連れてくるので、税務署吏員の妹の芸者がお約束ばかりで仕切られたり、因果をふくめられて水揚げの東京出張をやったり、アプレ芸者がいつのまにか数十名。
昭和30年の頃の様子。海軍航空隊の時は全盛期だったのか、三昧芸者という表現からも賑わいが伝わってくる。戦前の事を調べた方が良いかもしれない。
手元に資料が今ないので、館山の図書館で調べたいなと思う。
館山の花街については、商店街の方にも話を伺った。昭和、商店街が賑わいのある頃は、商店街の店主らが芸者遊びをするのが当たり前で、宴会も年中開催していたという。料亭も各地にあったが、現在は衰退し、その後200軒の飲み屋街ができたという話だった。
ネットで調べていたら、気になるブログの記事があった。→館山 房総の果てに見た文化都市(5)
館山駅と自衛隊駐屯地の間の辺りが、「館山一番の繁華街(花街)だった」と地元の方には話を伺ったとのこと。裏通りに当時からの見番の建物も残されているらしく…私は見逃してしまった!
海軍航空隊の近くに赤線も存在したらしいので、軍専用の売春施設、赤線が存在し、戦後は駅前の商店街に場所を変えたというころだろうか?見番と思われる建物も昭和電工跡近くにあるので、辻褄が合いそうだ。またわかったら追記したい。
宿泊した部屋と館内
そして、今回宿泊した部屋は比較的新しい部屋。


部屋内に洗面所、トイレ、冷蔵庫などすべて必要なものが揃っている。



部屋にはレトロな電話も!水色のタイプは初めて見たな~

旅館の案内図。現在宿泊しているのは二階の富士。増築を重ねているので複雑な造りで新旧が融合していて楽しかった。

フロントとロビー。ロビーの近くに食堂があり、夜と朝ごはんは食堂で頂く。

ロビーにある大きな木製のテーブルと椅子に常連さんが集っていた。

中庭を囲む昭和ガラス
フロントから廊下を進むと中庭が見えてくる。この一角は建設当時のままを残しているらしい。趣がある。

自然の光が旅館内に降り注ぐ。心が休まるな~
ガラスは昭和時代に造られ、現在は修理ができない貴重なガラス。半分曇っているガラスは昭和初期のものだそうだ。

「昔の綺麗さと今の綺麗さが全く違っているので、こういう古い旅館を好む人が少ない。」という言葉が印象的だった。確かにこの旅館は古い。だが、隅々まで清掃されていて埃一つ落ちていないほど綺麗だった。今は何でもかんでも綺麗なものを求めすぎなのではないだろうか…
また、言われるまで気づかなかったが、窓の縦枠が木の枝を使用していて細部まで凝っていて感動した…
扉の上には、旭のデザインのガラス窓。なんて華やかなガラスなんだろう…!

柱にはマネービル日興証券の温度計。日本観光旅館連盟のものらしく、各地の旅館で見かける。

階段の傍にあるご案内。レトロな看板が良い感じ。

桜の木?を使った湾曲した天井が素晴らしい。
「人が出入りしていないとすぐに朽ちてしまう」
だから、安い料金でも毎日利用してくれる方が有難いとのことだった。人が使うことで建物は生き生きとする、まさに木造旅館は生きているなと感じた。

船の形の大浴場
1階の奥にあるのが大浴場。幸田旅館の舟風呂が有名だったので楽しみ。よく見たら木製の扉が現在も使われていて嬉しい。

夜だったので暗いが、洗面所と大浴場。想像以上にレトロな空間で宿泊して良かったと思った。
タイル張りの洗面台。学校の手洗い場を思い出すな…

女性の浴室。実は、女性側もタイルだったが改装して浴槽は新しくなっている。

女将さんが、浴室の壁をくるりとひっくり返すと換気ができると話していた。昔の人々の知恵が詰まっていて面白い。

翌日、明るい時間に撮影した女湯。浴槽は改装されていて少しショックだったが、脱衣所が当時のままで浴室からの眺めが美しかったのが思い出。



男性の浴室は女性よりも脱衣所も広い。長期滞在者含め、男性の利用客が多いのだろう。

これが噂の舟風呂!!

一面の青いタイルの中央に、石膏?(女将さんも素材が分からないらしい)らしきもので造られた舟型のお風呂がある。

シャンプー、リンスなども完備。
浴室のマットは、「タテヤマダッペェ」と急に茨城弁?訛った表記になっていてびっくりした。館山のイメージキャラクターなのかな?

浴室の奥にも通路があり、別館に繋がっているようだった。石が敷かれた廊下が味わい深いな~
本郷の鳳明館も同じような廊下だったが、こういう造りの旅館が流行ったのだろう。
潮荘とあるのでまた違う客室なのかな?工事中のようだった。

大広間
フロントの横の階段をのぼると、大広間へ。

縦長い鏡。下には「ダイヤモンドジュース特約店 高木商店」の文字。ダイヤモンドジュースって初めて聞いたな~知っている方いますか?

大広間は新型コロナウイルスが流行しているので今はあまり使っていないとのこと。

骨董品がずらりと並んでいた。
大広間は改装されていて綺麗になっているが、よく見たら天井が舟底天井みたいにくねくねしていた。

また、畳は2020年東京オリンピックに合わせて新調し、オリンピックに合わせた柄まで揃えたのに…と。

夕食&朝食
夕食がこちら!!想像以上に豪華で歓喜!

ご飯やみそ汁などはセルフサービスで取り、さらに手作りの漬物や梅干しなども選ぶことができる。
また、丁寧にお魚の説明もしてくださった。お刺身は、あじ・かます・白魚。
和田で獲れた、クジラの竜田揚げも!!

親の世代は学校給食でクジラの竜田揚げに馴染みがあるかもしれないが、私は初めて頂きました。肉と魚の中間のような濃厚な食感。竜田揚げが幸田旅館で頂けるとは思っていなかったので幸せでした~
朝食は鮭、玉子焼きなど!茄子のお浸し好きなので嬉しい~

木造旅館を維持していくことは費用面から考えても大変であるが、女将さんの古いものを大事にしようという気持ちが全面に伝わってくる取材だった。旅館のことが本当に好きなんだなと話していて感じた。
コロナ禍で各地の老舗旅館が次々と閉業している中、自分にできることを少しづつ進めたい。

最後に、館山の地酒をお土産に頂いてしまった…嬉しい。

粋な木造旅館、2食付きで6千円は正直、破格…
もっと多くの人に幸田旅館の良さを広めたい。
(訪問日:2021年8月)
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