「島原通り」周辺、古民家カフェ?「亜瑠亭」と産業遺跡「潮留橋」 -館山⒀

館山城下の県道を歩いている途中、古民家カフェのような素敵な建物に遭遇。だが、情報は無く…もし知っている方がいたら教えてください。
下町の交差点から館山駅へ向かう道沿いの街並みも素敵でした。
古民家カフェ?「亜瑠亭」
千葉県館山市館山、下町の交差点を北西に進む道沿いに気になる建物が見えた。遠くからも目立つ外観、これは近くで見なければ!と足を早めた。

県道沿いに建つ木造2階建ての物件。屋根の側面に青銅の飾りが残っているのが太陽に反射して綺麗だった。左側の戸袋の青銅は錆びているが屋根の方は錆びていないのが不思議。

2014年頃までは側面の戸袋や正面右の戸袋も青銅で、壁も昔のままだったが、新しく木の板で覆われている様子。
改装されて綺麗に保たれている印象を受けた。まるで古民家カフェのよう…館山にこんな素敵な建物があるなんて知らなかった。

2階は閉まっているが、2014年頃のストリートビューでは美しいガラス戸が姿を見せている。
1階の入り口や窓は新しく見えるが、昔の姿が気になるところ…


軒下の看板には「ギャラリー&ティータイム 亜瑠亭(あるて)」とある。

しかし、調べても全く情報無し…
扉を開けようとしたが開いてなかった。店内は扇風機などが置かれていたので活用されているようだが、グーグルマップにも載っていない、このギャラリーというのは何だろう?
真相は分からず、後を去った。もし知っている方がいたら教えてください!
産業遺跡「潮留橋」
下町の交差点から館山駅へ向かう。国道410号沿い、この辺りは道路拡張工事が行われたようで、昔ながらの建物は解体、歩道が広くなっている印象を受けた。

汐入川に架かる、潮留橋。館山城下と館山駅方面を繋ぐ橋は重厚なつくりで、何か歴史が眠っていそうだと直感した。

「千葉県の産業・交通遺跡」によると、昭和4年(1929)に改築された鉄筋コンクリート造桁橋であることが分かった。照明4基もレトロ街灯のようなデザインで素敵。もう少し細かく撮影しておけばよかったな…
以前は館山の下町の町中にあって,汐入川をまたぐ木橋が潮留橋の最初の姿で,館山と北条を結ぶ交通の要所として重要な役割をもっていた。関東大震災で破損はしたものの,崩壊はしなかった。
しかし遅々と進まぬ復旧の中で,館山海軍航空隊(昭和5年開隊)開隊予定地と当時の安房北条駅(現在のJR館山駅)とを結ぶ道路(現在の国道410号)が真っ先に改修され,従来の低湿な島原通りの東に現在の島原通りが出来て,またたくまに汐留橋まで店舗が立ち並び,六軒町に続く賑やかな通りとなった。汐留橋は道路改修と併せて,1929(昭和4)年3月,現在の橋梁の原型である鉄筋コンクリート造桁橋へと改築されている。
以前は木橋だったが、昭和初期に道路が改修され、六軒町本通につづく賑わいのある通りに。そして、現在の原型である鉄筋コンクリート造になったという歴史があった。
個人的に「島原通り」が気になるがどこの通りのことを指しているのだろう?

調べると、現在の館山信用金庫本店前の道、六軒町本通りから長須賀方面を臨む道だという。→「古の館山(北条町)」
このブログを書いている方は、六軒町本通りで現在も営業している日本料理店「新松」の店主。かつてはその島原通り沿いに安房国一番の旅館「木村屋旅館」も存在していたとか…
意図していなかったが、この後探索した道が「島原通り」だったので、次の項で詳しく説明する。記事を書いている途中に新たな発見が多くて楽しい…
木村屋旅館
潮留橋から北へ、現在国道410号となっている通りが「島原通り」と呼ばれていたそうだ。先ほどの新松のブログに書いてある。

道が整備される前は寂しい田舎道だったそうで、曲がりくねった細い道からは想像もできない。
また、この通り沿いには昭和41年頃に廃業した安房国一の「木村屋旅館」もあったそうで、天皇陛下もご宿泊された歴史ある旅館だったとか。木村屋旅館の絵葉書に映る門柱、アーチの街灯がついていて素敵だなあ…「NPO 法人南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム」の資料によると、林芙美子が昭和26年に発表した「房州白浜海岸」にも登場する。
また、明治時代には自由民権の講演会も旅館で開催されたという。
その向かいには「いとう屋デパート」があり、南総一の賑わいがあった通りだったと綴られている。
場所はどこだろうかと調べていると、赤山地下壕に貼られていた地図に描かれていた。内房線の踏切近く、現在の館山郵便局の南辺りだと推測。
「島原通り」の現在
現在の島原通りは、道幅も広げられていてかつての賑わいは感じられない。



国道から一本入った裏道に残る古い飲み屋。

両サイドの道が新しく道路拡張されている…

工事中だが「扇屋」の大きな建物が目に留まった。

寝具店だそうだ。

家紋が店名と一緒に描かれているので老舗だと思うが情報は分からず。
踏切を渡ると崩れかかっている蔵?が…大丈夫なのだろうか。台風の影響かなあ。

館山駅近く、個人商店はあまり活気が無く…
どこの町でもそうだが、館山も衰退が激しい…かつての賑わいはどこへ行ってしまったのだろう。
歩いている途中は気づかなかったが、記事を書いているとこんなにも歴史が詰まった場所だったと知った。今度もう一度歴史を意識しながら歩きたいな。
木村屋旅館があった頃にタイムスリップしてみたい…
(訪問日:2021年8月)
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