館山「六軒町本通り」アークスショッピングセンター~映画館の面影 -館山⑷
館山に「永遠の図書室」という戦争関連の資料が豊富に揃っている図書室がある…
その周辺はかつて栄えた商店街「六軒町本通り」。館山に訪れた際はぜひ立ち寄ってみてほしい。
館山「永遠の図書室」
千葉県館山市北条1057 1階 CIRCUS。南町の交差点にあるのが「永遠の図書室」という時間貸しの図書室。
地域新聞の記事にも詳しくまとめられているが、2020年3月にオープン。→「戦争の貴重な資料をアーカイブするコミュニティスペース永遠の図書室~The Eternal Library~」
比較的最近オープンしたのでまだ認知度はそんなに高くないのかも?
交差点の角にある現在の建物は、2019年に館山駅周辺で宿泊業を営む方によって、元薬局だった建物は買い取られた。その際に、元薬局の店主が残した膨大な戦争に関する資料、手記をアーカイブして次の世代に残したいというプロジェクトを開始することになったという。
民間でここまで戦争に関する資料が残っている場所は他にない。元薬局店主が戦争を経験したからこそ、歴史を伝えたいという気持ちを強く感じる。
現在は、戦争関連の図書や酒器3500点が閲覧できる民営の図書室に。初回30分無料、以後1時間500円。
貴重な資料を保存するためにも時間制の料金設定は納得。
また、自習室、コワーキングスペースとしても活用できるらしい。近くに住んでいたら入り浸ってしまいそう…館山良いなあ。
戦後75年が経ち、戦争を覚えている方々が少なくなっている現状。私も聞きたくても当時の情報がなかなか手に入りません。その中でこうして資料を一般に開放してくださるのはとても助かります。
また、元薬局の店舗の建物も素敵。取り壊されなくてよかった。
「飯塚薬局」の文字が残っていた。
古本販売コーナーもある…定休日以外の日に館山に訪れたい。
1日では到底時間が足りないので合宿でもしてゆっくりと勉強したい…
館山はかつて海軍航空隊があり、終戦後には本土で唯一GHQが直接統治した場所らしい。そう考えると、館山にこのような場所があるのは必然的なのかもしれない。若い世代にもこのような場所の存在をもっと知ってほしいと思った。
この前見学したので、また別の記事にまとめる予定です。
六軒町本通り
千葉県館山市北条。南町から北条までの東西に伸びる通りが「六軒町本通り」と呼ばれている商店街。
いき出版の『写真アルバム 安房の昭和』に昭和40年頃の六軒町本通りの写真が載っている。その頃はまだ交通量も今みたい似多くなく、両サイドに個人商店が並ぶ商店街。
現在は交通量が多いのでゆっくりと買い物できる雰囲気ではないが、かつての面影が残る街並み。
キムラ家具店、原時計眼鏡店の建物は昭和から変わってい無さそうだ。
向かい側、日本政策金融公庫の敷地内に近代建築の装飾の一部が残っていた。
「旧国民金融公庫館山支店 玄関装飾」とある。このように一部だけでも残っているのは有難い…
「近代建造物調査一覧及び個別解説」によると、大正11年に「旧安房合同銀行本店」として建設され、昭和45年から国民金融公庫館山支店に。
ネオルネッサンス様式になる鉄筋コンクリート造,2階建の建物で,外壁はタイル貼りである。角地に面した隅切り部分に玄関を設け,小さな尖塔飾りの付いたエンタブラチャーや方形屋根の塔屋,周囲に巡らした重厚なパラペットで構成された外観は,街のシンボルとなっている。
この記事が書かれた頃はまだ建物が残っていたようだが、現在は新しい建物に。いつまで建物は残っていたのだろう、調べてもよくわからず。
日本料理店「新松」
六軒町本通り沿いに建つ、ボーリングピン。奥にボーリング場があるらしい。
ボーリング場へ向かう裏道沿い、日本料理店「新松」が営業中だった。格式のありそうな佇まい、素敵…
創業は江戸時代末期とのこと。鰻の名店で現在六代目。こんな裏道にあるとは知らなかった…
さらに調べていると、六代目の店主が書いているブログがとても興味深いものばかり…「鰻・六代目・新松・覚書帳」
なんと、店主の祖父の実家が成田山新勝寺の門前にあった旅館「小川屋」だったそうだ。その頃の絵葉書も合わせて記事にまとめられていて素晴らしい。
新松は、大正期に木更津から館山へ移転。館山は軍都として栄え、この日本料理店「新松」も多くの海軍関係のお客様で毎晩賑わったそうだ。「海軍満期記念・館山航空隊主計課」のお盆も残っているのだとか…凄い!
また、この新松がある辺りは「南町地区」と呼ばれ、官公庁や銀行、大商店の並ぶ繁華街だったそうな。また、お店の近くにあるという「南壽庵(なんじゅあん)」という軍需産業としての旧池谷鉄工所のゲストハウスとして建てられた建物も気になる。現在は起業家の方によって保存されているらしい。
館山ヤングボウル
裏通りを進むと右手にボーリング場「館山ヤングボウル」が見えてきた。
ビリヤードなども営業中。裏道にボーリング場があるということは、昔はこの辺りが盛り場だったのかな?
ボーリング場の横には一軒だけ取り残された昭和の建物が。手前に2軒ほどあったが更地になっていた。
窓ガラスの雰囲気からして古い建物だと思うが、取り壊される運命なのだろう…
また、ボーリング場入り口の向かいには昭和の雰囲気の飲み屋街が残っていた。
現在はひっそりとしているが両サイドにカラフルな看板が並ぶ。
ボーリング場と飲み屋街…なんだか気になる。
六軒町本通りと近代建築
再び六軒町本通りへ戻る。
営業していないが左にある屋根のイラストが気になった。
ファンシーショップ、キャンディ…猫のイラストも可愛い。今はファンシーショップ自体も少ないから名前だけでも残っていると反応してしまう。
その先は歯抜け状態で古い建物はあまり残っていなかった。
そして館山駅方面にさらに歩いていると右手に近代建築が見えてきた。
元商店?現在は営業していないが、ショーケースらしき棚などが残っている様子だった。
ピンク色の下板見張りの外観。2017年頃までは外観の塗装が剥がれていたが、最近塗り替えられて綺麗になっていた。文化財登録などはされていないが大事に保存されていて嬉しい。
1階が全面ガラス戸。どこからでも出入りができるようだ。当時はどのような品物を扱っていたのだろう…
アークスとキネマ通り
さらに西へ進むと左手に望楼が見えてきた。教会?と思っていたらショッピングセンターだった。
「アークス」というグルメ&レストランの15の専門店街。
噴水などヨーロッパ風なショッピングモールがあるとは知らなかったのでびっくりした。
2階建ての建物に店舗が連なっている。が、平日の昼間、あまり活気はなく…
せっかく素敵な雰囲気なのにもったいないなあと思ってしまった。
テナント募集している場所もある…
なんだか寂しい気持ちになりながらアークスを後にしようと思ったら、「キネマ通り」のバス停表示が気になった。映画館がこの辺りにあったということだろうか?
なんだか胸騒ぎがする。
調べていたら、キネマ通りに「銀映」が存在したらしい。「館山のハイカラ」というブログに思い出が綴られていた。銀映で映画を見た後、ハイカラなレストランである「鏡軒」で銀食器のアイスクリームを食べたという。
その「鏡軒」は、現在の京葉銀行向い、駐車場になっている場所に存在したらしい。また、キネマ通りが映画ファンで賑わったのは昭和30~40年代のこと。
仲町には館山劇場、キネマ通りの銀栄、館山駅前の中央劇場、竹映、北条シネマなど、館山市内には7軒の映画館が存在したことを「消えた映画館の記憶」が伝えている。また、昭和40年代にはキネマ通りには3軒の映画館が並んでいたらしい。凄いな…
また、両側にスズラン燈が並ぶ竹沢チェーンストリートも気になる。
キネマ通りというのは、ショッピングモールアークスの北側の細い道のことかもしれない。その細い道の右手に館山銀映(千葉県館山市北条1772)が存在した。その細い道を見ると今も繁華街の面影が残っているようだった。
キネマ通りについてはまた後程の記事で詳しく書く予定。
中野洋品店の看板に「館山銀座」の文字を発見。館山銀座と呼ばれていた範囲は思っていた以上に広いようだ。
千葉銀行館山支店のある交差点、ここから北へ館山銀座通りを探索する。
かつては各地に存在した映画館も、現在は館山市内に映画館は存在しない…時代の流れは恐ろしいなと感じた。
(訪問日:2021年8月)
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