館山市北条~長須賀の街歩き。国登録有形文化財「紅屋商店」 -館山⒅

館山市北条~長須賀の街歩き。国登録有形文化財「紅屋商店」 -館山⒅

館山駅から老舗、古民家カフェ、元旅館、近代建築等、今まで歩き損ねた場所をピックアップして散歩。

特に国登録有形文化財の「紅屋商店」は必見です!!

JR館山駅から老舗めぐり

千葉県館山市北条。JR内房線「館山駅」東口から線路沿いの道を通って南へ。

以前は営業していた帽子の専門店「東京堂」が閉店していて驚いた。

東京堂

昭和30年創業の帽子屋さんだった。

脇にある石柱は何だろう?

さらに南へ進み、寿司屋の「白浜屋」も一度入ってみたいお店のひとつ。

白浜屋

「寿司の町・館山」にあって三本の指に入る老舗の一つです。
創業は大正8年(1919年)。大正8年といえば、鉄道が館山まで開通し、洲崎(すのさき)灯台が点灯された年です。近代の息吹が南房州にまで及んできて活気にあふれていた時代に、のれんをあげました。(ホームページより)

大正時代から続く老舗寿司店!憧れます。

老舗のすし屋

場所は変わって、旧池田荘へ。館山城の近くの裏通りに近年まで存在した老舗旅館の跡地である。

旧池田荘

以前、館山の記事で無くなってしまったことを惜しみに惜しんだことを覚えている方はいるか分からないのですが…個人的に好きな旅館でした。→館山市沼、レトロな美容院と大正期の「旅館池田荘」が取り壊しに -館山⑾

池田荘(旧松岡旅館)

ゼロ戦が墜落したこともあるが、大正時代に建てられた木造旅館がつい最近まで残っていたのに。現在は門柱、外壁のみが残っていた…

門柱

2019年のストリートビュー

2022年1月
駐車場の看板

あっけなく、完全に更地に。現在は駐車場として使われているようだ。

完全に更地

いずれ消える古い建物。出来る限り、記録に残したい…特に木造旅館は今後ますます消えていくだろう。

門柱のある民家

旧池田荘から海側へ足を延ばし、以前から気になっていた「TRAYCLE Market & Coffee」へ。こちらは元銀行の建物を活用した近代建築だ。

TRAYCLE Market & Coffee

古民家カフェとして大人気!前回の記事で詳しく紹介してます!

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館山市長須賀の近代建築

館山市長須賀。潮留橋から東側へ伸びる県道86号はまだ歩いたことが無かったので今回歩いてみることにした。

県道86号

城下町として栄えた長須賀の一帯は、昔から商人の街として賑わっていたそうだ。

旧商家が並ぶ

現在は営業していない様子だが、古いガラスのうねりが美しく、惚れ惚れ。

ガラスが美しいなあ

向かいには石造りの蔵を併設している旧商家。

石蔵

肥料や飼料のホーロー看板が残っていた。

ホーロー看板

石蔵はそうした肥料などを保管するために使用されていたのだろう。手前にも古い門柱や民家があったが、現在は取り壊されている。

島田豆腐店

2014年頃と比べると、確実に木造建築の数は減少している。10年後にはもうほとんど残っていないのではないか。

こちらも営業していない。看板にミシンや化粧品等の文字も見えることから、女性向けの商品を扱っていたお店?

右手の看板より

ホーロー看板の電話番号
軒先の照明
旧米店
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「紅屋商店」国登録有形文化財!

県道86号と伊南房州往還が合流する長須賀の丁字路。その正面に国登録有形文化財に登録されている「紅屋商店」が現存している。

紅屋商店

しかも現役!金物屋として営業中である。嬉しい!

べにや

大正13年築の店舗と昭和元年築の主屋が国登録有形文化財。

説明看板が横に

紅屋は金物類を扱う商店。明治26年(1893)、今の南房総市和田町から当地に移築移転したが、大正12年(1923)の関東大震災で、店舗・住宅ともに倒壊。いち早く復興を目指すべく、店舗として活用したのが、地震に耐えて残った蔵だった。現存する紅屋商店店舗は、近くにあった米屋の蔵を移築したものである。店舗2階に残る墨書から、大正13年3月には作業の完了をみたことがわかっている。震災後、当地では蔵を再利用した店舗が数件あったというが、今に残るのは当店舗のみである。1・2階とも開口部に漆喰塗の防火扉が設けられ、震災復興期の店舗建築の特徴をよく現している。(千葉県教育委員会

建物内部の写真

現在は1階が店舗、2階が倉庫に。店舗の帳場、昔から変わらないスタイルが保たれていて凄い。

紅屋 正面

さらに、金網看板という点もポイントが高い!金網の中央に屋号がひらがなで大きく表記され、遠方からでも良く見える。

金網看板

周辺には他にも近代建築が存在したが、いずれも数年前に取り壊されている。

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戦前の境橋・立体的な慰霊碑

館山駅方面へ戻るため、伊南房州往還を北へ。

来福寺

さらに北、なだらかなカーブ沿いにある一軒。白壁が美しい土蔵造りのお店のようだ。

土蔵造り店舗

読みづらいが、切手や電話の文字が読める。右手に「酒のあきやま」があるので、酒屋の旧店舗かな?

切手等の文字が読める

端にはシガレット(タバコ)の自動販売機。年代はいつ頃のものなのだろう。

たばこのレトロな自販機
周辺の案内図

さらに鉤型のような曲がりくねった道を北上すると、小川に架かるコンクリート製の橋があった。これは古そう!萌える。

古い橋

名は「境橋」。南側の長須賀と北側の新宿の境の目印になっているのだと思う。

境橋

反対側には「昭和14年11月竣工」とあった。

昭和初期…

昭和14年、1939年から100年近くひっそりと歴史を伝えている橋。こういう小さな歴史を見るのが好き。

踏切傍の旧商店

踏切を超えると、タバコ屋の「塩田屋」。Googleマップの口コミも多く、タバコ屋としては珍しいかも。

塩田屋

手巻煙草等、マニアックなタバコが多数販売されているという。私はタバコを吸わないので、もしお好きな方がいたらぜひ行ってみてほしいです…!

ポップな雰囲気!

建物の隣の看板に「SINCE1868」と書いてあるので、創業が1868年?!明治元年ではないか…

イラストが可愛い

現在の経営者の方が若い方なのか、全体的にポップな雰囲気で気になるお店だった。

そしてさらに北、金台寺へ。

隅にある慰霊碑

その敷地の隅に、立体的な顔が彫られた慰霊碑が建っていた。慰霊碑は各地で見かけるが、このようにリアルに人物が表現されたものは初めて見た。

隣には以前紹介した旧病院。この建物もこのまま朽ちていくのは惜しい。

 

 

(訪問日:2022年1月)

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